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異色の瞳と伝達の肌

 ――神ちゃん、私はその瞳、好きよ。

 そう言った由良が、GINの長い前髪をそっと掻きあげる。彼女はGINの瞳をまっすぐ見つめ、面映そうに微笑んだ。

 ――神ちゃんは絶対にグローブを外さないのね。私の手だって、一度も握ってくれたことがない。

 由良が寂しげに呟いた。彼女からかするだけの淡い口づけが施されたのは、二十歳をとうに過ぎた頃だった。

 その時由良から伝わって来たのは、表層の思念だけだった。彼女の行動にも驚いたが、それ以上に思念の伝播がほとんどない、という事実の方が、当時のGINをより驚かせた。

 ――家族になりたいってのはね、兄妹って意味じゃあないんだよ。

 彼女から漏れ伝わる思念が、GINの頬を火照らせた。

 ――風間由良になりたいな。

 由良と出逢った小五の時から、そんな風に彼女を見たことがなかった。由良は、初めて自分を認めてくれた紀由の、たったひとりの妹だ。GINはそんな彼女のことを、自分と同い年の妹という感覚で接していた。

 それをきっかけに、初めて由良を女性として意識するようになった。思えば彼女の思念だけは、初めから今ひとつ曖昧にしか読めなかった。別の見方をすれば、GINの思念も彼女にだけは駄々漏れになっていなかった、ということになる。

 そんな彼女が特別な存在に見えた。彼女の傍らが自分の居場所だと思っていた。

 ――お前たちが由良を殺したも同然だ。俺はお前たちを赦さない。

 五年前、由良がこの《能力》のせいで拉致された。彼女を助けられなかったGINと零に向かい、紀由があの時そう吐き捨てた。親も兄弟もいない施設育ちのGINを、「弟みたいなものだ」と受け容れてくれた親友の顔が醜くゆがんだ。




「紀由、違うっ。話を」

 そんな自分の叫び声で、後味の悪い朝を迎えた。見開いたGINの目に、すすけた天井が映される。緑をまったく帯びていない、古びた貸し部屋でよく見られる普通の色だ。それを認識すると、渇いた口から大きな溜息が零れ出た。

「夢か」

 夢にしては生々し過ぎる過去の再現映像に、GINはベッドの中で一度だけ身を震わせた。

 三月中旬を過ぎたのに。寒の戻りという奴だろうか。

「寒……」

 身を震わせた原因を、飽くまでも気温のせいにしたかった。


 先月から電気と電話がとめられた。事務所を兼ねたこの棲家も、数日前に契約更新を拒否されたので、今月いっぱいで立ち退かなくてはならないらしい。

「滞納三回で契約更新はなし、とか。でかい字で書いておけっつうの」

 子供のように布団の中で身を丸め、拗ねた口調でそうごちる。自分の低い声が鼓膜を揺さぶった瞬間、その不気味さに気落ちした。俯瞰で自分を見るもうひとりの自分が「いつまでもガキやってんな」と嘲笑う。

 巧く隠し果せて来たつもりだったのに。由良にあの日、最悪の形で《能力》を知られる恰好になってしまった。その上この《能力》を知られたのは、由良にだけではなかった。

(結局、あの“S”って組織はなんだったんだろう)

 GINの身柄と引き換えにするため、由良を拉致した謎の組織。一切表沙汰にされないまま、闇に葬られたあの事件。犯行グループが直接コンタクトを取った相手は、警視庁ではなく本間紀由個人に、だった。

『神祐の“それ”を知っているのが俺と零だけだからだろう』

 あの時紀由はそう言っていたが、果たして本当にそうだったのだろうか。

「零……か」

 途端にこめかみを走る痛みに気づいた。同時に嫌な記憶が溢れ返る。

 土方零。大学時代から同期だった女。警察学校でも腐れ縁だった。能面のように無表情で、同性の中でも孤立していた、スタンドアローンが基本の女。そして、GINが由良を泣かせる原因になった女。

「痛……って……」

 相手もないのに拗ねた振りをするのが、急に無意味に感じられて虚しくなった。

「荷造り、しなきゃな」

 GINは痛む頭を押さえて、渋々と身を起こした。




 水道はまだとめられていなかった。前の住人が非常袋を置いたまま転出していたのもラッキーだった。GINは適当に身づくろいを済ませ、非常袋に入っていたカセットコンロを利用するつもりで、簡単な食材とカセットコンロ用のガスを買いに出た。財布の中には樋口一葉が一枚と夏目漱石が二、三枚。数えたら肝が冷えそうなので、紙幣の有無だけ確認すると、近所のスーパーまでだるい身体を引きずった。

 独り用の万能パンを手に取ろうとして、ふと過去の会話がよぎっていった。

 ――ふふ。新婚さんが新居用の買い物をしてるみたい。

 警察学校を卒業する年の、ちょうど今頃の時期だった。ようやく念願の独り暮らしが可能になって、本間兄妹と紀由の妻が、GINの引越しを手伝ってくれた。紀由が由良とGINを追い出した。

『どうせ大した荷物の量じゃあないだろう。運んでおいてやるから、ふたりで買い出しに行って来い』

 今思えば色恋に鈍感な紀由にしては、珍しいほどの機転だったのではないかと思う。

(きっと志保さんの入れ知恵だったんだろうけど)

 志保という紀由の妻は、本間兄妹と幼馴染だったらしい。紀由の性格をよく理解している人だった。彼女も、あの頃はGINと普通に接してくれていた。

「……じじいか、俺は」

 万能パンを籠に入れる時に、そんな独り言と苦笑が口を突いて出た。このところ過去ばかりを思い出す。とうとう今日は夢まで見た。人は死期が近づくと、「虫の報せ」と言ってこれまで関わって来た人に思いを馳せることがあるという。

「……コーヒーと酒だけでいっか」

 由良が赦してくれるのかも知れないと思った。迎えに来てくれるのではないか、と。


 ――神ちゃんの使命に比べたら、私の気持ちも、命なんかも、本当にちっぽけなものなの。だから助けになんか来ないでね。


 彼女がそう言って散ったために、GINは彼女から死という選択肢さえ奪われていた。ただひたすらに赦しを乞い、居場所のないこの世界で生きながらえる毎日。意識するとどうしようもない気分になる。だから名刺のポスティングや、口コミを狙って依頼が来るよう小さな案件も地道にこなし、これまでをどうにかやり過ごして来た。由良の言った“使命”というものが、それまでの彼女の人となりを思い返すと“救いを欲しがる誰かを助けること”だと解釈した。だから警察から逃げたあとの生業にこの仕事を選んだ。

 由良が連れて逝ってくれるなら、生きるための食糧などもう必要ないという気がした。

 GINは万能パンを元の位置へ戻し、インスタントコーヒーとヘネシーを数本籠に入れてレジの最後尾についた。




 薄曇りの弥生の空にも関わらず、色濃いサングラスにみすぼらしい深緑のコート。無精ひげもそのままで、起き抜け間もないと判る面構え。癖のあるぼさぼさの長い猫毛は、毛先が絡まって糸くずのようになっている。午前の買い物をする主婦たちが、好奇と嫌悪を交えた目でそんなGINを盗み見ては、足早にすれ違っていった。そんな視線にも随分慣れた。むしろ感情の起伏でGINの瞳の色を変えさせるのは、混じり気のない澄んだ心で自分を知ろうと覗き込むまっすぐな瞳。

(由有、って言ったっけ、あの子)

 先月偶然出逢った、由良とよく似た少女の瞳を思い出した。

 アイテムからの残像しか読み取れなかったが、何やら家庭が複雑な雰囲気だった。あのあと母親と和解したようには見えたが、その後あの海に行っていないのでどうしたのか解らない。

 笑みの向こうに縋る想いが見えた。気のせいかも知れないが。

「探しモノでもあったのかな」

 たかが百円ライターにあそこまで「返せ」と拘ったのは、自分が探偵稼業だと知らせたからではないかという気がしていた。

(父親とやらの素行調査とか?)

(両親がなぜ別れたのかってこととかか?)

(父親が誰か判りさえすれば、軽く触れる程度だったら何か情報を掴めるかな)

 何か、自分に出来ることがあるかも知れない。そんなことを考えながら歩く足取りが、いつのまにか快活になっている。GINがそれに気づいたのは、事務所に戻ってからだった。

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