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鷹野由有保護 4

 急速に流れる景色は、Zを操っているときの疾走感とよく似ている。久々に味わう空気の薄さが、GINにアグレッシブな判断を促した。目指す透明な龍の頭上まで、一跳躍で行けるかどうかという微妙な距離。水で出来た龍の身体が、うねりながら目の前に迫って来る。GINは一度それを足場に再跳躍しようと試みた。

(お?)

 水龍の尾付近だったそこに脚をつけた途端、ずぷりと埋まっていく感覚を覚えた。だが、そのまま引き込まれることはなく、途中で埋没を阻まれた。まるでハイジャンプを助けるように、龍の尻尾がGINを捉えたまま頭部に向かって再びうねった。GINの脚が解放され、更にYOUの許へと近づいた。舞い踊るYOUの頭上を通り過ぎる。GINは両手に小さな《気》の渦をかたどった。すくうように左腕を下から振り上げる。身体がくるりと旋回する。頭から落下しながら、掻くように空へ向かって《気》を流した。更に加速していく景色の中で、GINを待ち受けるYOUの瞳が瑠璃紺にきらめく。彼女が青みを帯びた白い腕を、まっすぐGINへ差し出した。GINはためらいがちに、その手を素手で掴んだ。

「手を取ってくれてありがとう。私の操る水は絶対防御だから、あなたの思念が流れて来る心配はありません。安心してくださいね」

 ラピスラズリを思わせる瞳がそう言って微笑み、こちらの懸念を先読みする言葉が優しい声音で紡がれた。

「……アシスト、さんきゅうです」

 そんな礼の言葉と一緒に、GINの口許に苦笑が浮かんだ。

 深緑のオーラが瑠璃紺に溶け、ふたつの色が混じり出す。《送》のMAXがどの程度なのか、GIN自身にも解らない。広範囲の送受信を試みる機会など、これまで一度もなかった。失敗は許されないという緊張感が、ある種のモチベーションを上げさせた。

「四時方向に、二名。検問突破で侵入した車輌一台」

 YOUがそれを受けて、右手を勢いよく振りかざす。強い雨の帯が、その方向へと降り注ぐ。GINはYOUの《清》へ被せるように、走り屋と思しきふたりの若者へ差し替える思念を《送》った。彼らに《送》ったのは、“悪天候による交通規制にチャレンジ精神を刺激された”意識。それが彼らを規制箇所へ踏み込ませたという思念を植えつけた。

 同じように、ほかの侵入者や入口付近を検問していた警察職員達の意識も、次々と書き替えていく。すべての処理を終えた途端に襲って来た疲労感が、GINに行儀の悪いあぐらを掻かせた。

「……すげ。やれば案外出来るもんだな」

 思わず自画自賛の言葉が出た。YOUの優しいブルーの瞳が、そんなGINを見下ろして微笑の弧を描く。

「実は私も、湖規模の水を操ったのは初めてなんです。落ちなくてよかった」

「落ち……、本間は俺らを殺す気だったのか」

 一瞬緩み掛けたGINの緊張が、再び別の意味で鋭さを増して蘇った。

「仕上げに入りましょうか。現場へこのまま向かいます」

「仕上げ? YOUのコレ、まだ少しはもつのか?」

「もたせないと。ほら、見て」

 YOUが指差したのは現場方面。幹線道路に乗り捨てたZが、まだそこに居座っていた。

「肝心の人の記憶を《淨》化しないと、私たちの存在を知っていることで、また“彼女”に危険が及びます」

「あ……、そうか」

 彼女――由有。YOUやRIOの派手な大立ち振る舞いを、あれほどの近距離にいる彼女に見えていないはずがなかった。

 仕上げとは、YOUの《清》で記憶を消し、《淨》で本人の穢れとする記憶を、別の何かに自浄補完させる、ということ。常軌を逸した約一日の出来事は、恐らく由有にとって消してしまいたいほどの恐怖だっただろう。

「俺も、消されるのかな」

 由有はGINが探偵だと知ったとき、何か依頼をしたそうな感じだった。GINは取り繕うように、ついでを装って言い足した。

「依頼そのものが浄化されるかも知れませんよ。それはそれで、彼女にとって悪いことではないと思いますよ」

 そう慰めるYOUの瞳から、青が少しずつ引いていく。同時に、水が龍の形を崩し始めた。GINのこめかみにも、再び鈍い痛みがうずき始めた。

「YOUの瞳は、綺麗だな。外国人で通用しそうな、綺麗な目」

 返す言葉をごまかすために口にしようと考えた言葉ではあった。だがYOUを見上げて口にしたときには、心の底から出た言葉に変わっていた。YOUの澄んだ瑠璃紺の瞳は、引き始めたとは言えまだ目立つものではあるけれど。人間ならばあり得ない瞳の色、というわけではない。まだ完全に緑の抜け切っていない自分の視界の感覚から、自分の色を思い出した。サングラスが無事であることを祈りつつ、コートのポケットをまさぐった。

「GIN」

 水の下降するスピードが落ちる。YOUがGINの隣に腰を落とし、ずっとコンプレックスだった瞳を横から覗き込んで来た。

「GINのグリーンも、ステキですよ。玄武のまとう甲羅のよう」

 そう言ってにこりと笑うYOUから少しだけ距離を取る。

「亀、ですか」

 あまり嬉しくない例えだった。

「神の子のようだ、と言っているのに。そんな拗ねた解釈をしないでください」

「別に拗ねてないし」

 GINはそう言いながら、荒っぽい手つきでグローブをつけ直した。

「げ。血ぃついてるし」

 恐らく“処理”した犯行グループの誰かが飛ばした血だろう。そう思うと気分がトーンダウンした。GINの心境に合わせるように、とうとう水の柱がYOUのコントロールを無視し始めた。

「きゃ」

「おっと」

 姿勢を崩したYOUの腕を咄嗟に掴んで引き寄せる。

「わ。憧れだったの。お姫さま抱っこ」

「少女趣味っすね。顔伏せて、しっかり掴まっておいて」

「はい」

 下降を続ける中、目ぼしい足場を探す。いい具合に大枝が覗いている大樹に狙いを定め、片手で《気》を集めて流れを作る。GINは片腕でYOUを抱えたまま、その大枝に向かって急降下した。

「いっ」

 何本かの枝が、体中にぶち当たる。それでも一応大枝に脚をつけることは出来た。そこでYOUを抱え直して、もう一度だけジャンプする。

「いでっ」

「大丈夫、ですか?」

 全身が痛い。頭も痛い。そしてなぜか寒気がする。

「大丈夫。つか、あれ、何?」

 GINの関心が、自身の体調の変化から目的地の異変へと移った。プレハブ小屋のあった、乱暴に伐採された一区画に、もう樹木が繁っている。

「RAYが任務を完了したようですね」

 彼女の《育》が、森を再生させたのだろう、とYOUが当たり前のように説明した。




 幹線道路に着地したと同時に、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨に見舞われた。

「うわっ」

 咄嗟に頭を庇ったものの、空を見上げれば雨雲らしきものはない。そしてYOUの《能力》でかたどられていた水の柱も消えていた。

「この寒さで霧が発生してくれるでしょう。もうしばらくは時間稼ぎが出来そうね」

 YOUの説明に「なるほど」と簡素に答えながら、周囲の思念を確認した。

「どうせなら雨の避けられる場所で解除してくれたらよかったのに」

 GINは首を大きく左右にぶるんと振って、異常無の報告にそのひと言をつけ加えた。

「ごめんなさいね。でも霧の発生までのタイムラグを考えると、少しでも早い方がいいかと思って」

 そう言われれば、もっともだ。山に隠されている陽射しが辺りを充分に照らすような時刻になっていた。

「つか、由有も本間もZにいないし」

 とてつもなく嫌な予感がした。

 重い体を引きずるように、鉄板の簡易舗装をまた五分ほど歩く。深夜に歩いた時よりも、その距離が随分と長く感じられた。

「え……、GIN?」

 あとに続いて来たYOUに呼び止められ、振り向いたまではよかったが。

「おぁ?!」

 向かおうとしていた方向からぶつかって来た重みと、そして何より淡いいちごみるく色をしたオーラ。そのふたつがGINに間の抜けた声を上げさせた。

「このバカ探偵っ! あたしを人任せにして、どこ行ってんのよっ」

「はぁ?」

 まるで緊張感のないGINの相槌に、安堵の色が滲み出る。懐に飛び込んで来た由有は、上ずった声を出しているものの、無傷で気丈な様子を見せていた。

 彼女を見下ろそうとして、自分の瞳の色を思い出す。咄嗟に右手で両目を覆った。まるで由有の突飛な行動を見て、心底呆れたかのように。

「お前さんね、人のこと出会い頭の時から、“バカ”とか“おじさん”とかさ、口が悪過ぎ。一応首相の娘なんだろう?」

 邪魔とばかりに由有を押し退ける。彼女の子守でも押しつけられたのだろう、顔色を髪と同じ色にさせたRIOがGINの方へ近づいて来た。目を覆った指の隙間からそれが見えた瞬間、その顔の可笑しさについ噴き出した。

「待ってよ、GIN。ねえ、これなに? どういうこと? っていうか、何それ、血?」

 背後からの声を無視し、司令塔の許へと重い足を運ぶ。通り過ぎざまに睨みつけていくRIOの視線も受け流し。

「本間」

 GINの紀由を呼ぶ声が、バックから轟く「触るなっ、この変態パンク年増スキー!」というひどく残念な暴言で掻き消された。

「ご苦労だったな」

「なんで集合してるんだよ」

 FDにもたれて零の任務を見守る紀由の顔から、子供じみた仕返しにサングラスを奪い取った。

「あの顔で神祐に会わせろと泣き続けられたら、どうせ消す記憶だとも思えてな。つい情にほだされた」

「ここ一番ってところで、お前はいつも詰めが甘いよな」

 隣からの「同感だ」という自嘲が、GINの鼓膜をそっと揺らした。

「由有はなんで現場に来たのが俺だと解ったんだ? あいつは、ケースに押し込められていて見えなかったはずだ」

「依頼だ」

「依頼?」

「由有は毎日お前の事務所に通っていたそうだ」

 そんな切り出しで紀由から語られたのは、一見GINの問いとは掛け離れたもののように思えた。

「マジか。なんでまた」

「鷹野が自分を認知することで、本妻が自分の母親と同じ思いをするんじゃないか、という心配が一点。もう一点は、自分の母親が、娘さえ裕福な暮らしが出来ればそれでいい、と考えるエゴイストだとは思えないので裏があるのではないかと疑問を抱いたらしい」

「ああ、なるほど。確かに基本的には仲のいい母娘っぽかったな」

「自分を鷹野に委ねようとした真意が解らない。自分の知らないところで、大人たちがどんな話し合いをして勝手にことを進めたのかを知りたかった。それをお前に調べさせたかったらしい」

「ふうん。あ? ひょっとして由有のヤツ」

「ああ。ご丁寧に、出先を母親にその都度連絡していたそうだ。心配させないためのつもりが、却って母親にお前のことを容疑者と思い込ませたという結果になった。それを東郷たちの会話から知ったらしい。お前がこの事件を知ることには確信があったようだ。よく頭の働く娘だと感心した」

 来るという確信はなかったが、咄嗟にGINを呼んだのだろう、と紀由は言った。

「突入時、由有を呼んだらしいな。その声が、彼女を由良と見間違えて呼んだときと同じ声をしていたと言っていた。由有の方が随分と思い詰めた目をしていたので、ついこちらも情にほだされた、というわけだ」

 それに対して返す言葉が何も思い浮かばない。紀由もまた、それ以上何も語ることはなかった。


 零がふたりの目の前で、愛しむように大地にそっと口づける。手折った小枝の一枚一枚を噛んでは、地面に植えつけて発根を促す。それを繰り返す零のオーラは、温もりを感じさせる黄土色。彼女のこんな色を見たことがなかった。この五年間で、零自身が《能力》を受け入れたことの表れなのだろうか。GINはふと、そんな風に思った。

「紀由、零のアレを見るのは、初めてなのか?」

 そんな零を見ながら質問を変えた。

「いや。零は表の仕事のときにも何度か《育》を使って事件を解決に導いている」

 例えば証言を渋る目撃者の中から証言する勇気を《育》んだり、被疑者の犯罪実行を確信すれば、出頭の意識を増幅させたり。

「何が零をあそこまで体当たりで向かわせているのか、俺には解らん。時々羨ましくさえ思える。俺には天賦という才が、ない」

 紀由は何も知らず、もし零が聞いたら自己崩壊し兼ねないほどの鈍感な私見を口にした。

「何を引きかえにしてでも守りたい、ってもんが零にはあるんだろ」

 複雑な心境を、吐き捨てた言葉と一緒に振り払った。

「それなら俺にだってある」

「志保さんか?」

「ほかに何がある」

「お前、いっぺん死ねよ」

「大丈夫だ。お前もちゃんと家族の頭数に入ってる」

 勝手な勘違いをした紀由の手が、くしゃりとGINの猫毛を掻き混ぜた。

「ガキじゃないっつってんだろ。ホント、マジでいっぺん死ねって……」

 紀由の手を払い除けながら、黄金のオーラと溶け合う樹木の緑を見守った。あんなにも苦手で敬遠していた零に、初めて別の感情が湧いていた。

 この場の再生を終えた零が、今にも倒れそうな頼りなさでゆらりと立ち上がる。

「紀由、零を頼むわ」

 GINはそれだけ言うと、彼女とは反対の方へつま先を向けた。

「由有の依頼を請けてやるのか?」

「俺自体が忘れられたとしても、依頼の解決は、きっと記憶に残るだろう。そしたら由有の放浪癖も治まって、鷹野にとっても万々歳だ」

「お前も俺のことなど言えないな」

 紀由はそんな捨て台詞を残して、GINとは逆、零の方へと向かっていった。土を踏みしめて遠のいていく足音を聴きながら、GINも由有がいるであろうZの方へと歩む足を早めていった。


 零は自分の片恋が報われることを、今も昔も一度として考えたことがない。理想論だと嗤う反面、不可解なざらつく感覚を否めなかった。それが、これまでのGINだったのだが。

「せめてお前自身が、零にねぎらいのひとつでも言ってやれよ」

 零の変わらない能面の横顔を見た今は、その程度の見返りくらい、彼女にあってもいいと思ってしまう。それが紀由に届けてはいけない言葉だと解っていても、口にしないではいられなかった。

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