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【第一巻】 第四章「それぞれの傷痕」

 裁定戦(アービトレーション)まで九日。


 第三分隊は連日、放課後から夜まで訓練漬けだった。五対五の市街地戦を想定した連携演習、個人の射撃精度向上、通信プロトコルの確認。新たに加わった結月を含めた五人のフォーメーションを、実戦レベルまで仕上げなければならない。


 その日の訓練は、旧市街エリアでの屋外演習だった。


 鳴神区(なるかみく)東部、蒼風高等学校そうふうこうとうがっこうの管轄する旧市街エリア。かつては商店街や住宅が立ち並んでいたが、人口減少と治安悪化で大半が空き家になっている。暁嶺(ぎょうれい)は蒼風との協定で、この一帯を演習場として借りていた。


「いいか、今日の訓練はレッドチームとブルーチームに分かれての模擬戦だ」


 凛が全員に説明した。


「レッドチームは千歳と楓と結月。ブルーチームは私と瑠衣。レッドチームは指定エリアに旗を設置して守備。ブルーチームが奪取を試みる。制限時間は二十分。制圧弾(サプレスラウンド)使用」


「二対三? アンフェアじゃない?」と千歳が首を傾げた。


裁定戦(アービトレーション)では数的不利になる場面は必ずある。その対処を練習する」


「つまり凛と瑠衣のコンビで三人を相手にするわけだ」瑠衣がにやりと笑った。「上等じゃねえか」


 凛は頷いた。本当は別の理由もあった。瑠衣との二人だけの連携を確認したかった。瑠衣は転入してから半年が経つが、本気の戦闘における息の合い方は、まだ完全に把握できていない。


「開始位置はレッドが商店街の北端、ブルーが南端。五分後に開始。──行け」


---


 旧商店街の路地は、まるで迷路だった。


 錆びたシャッター、ひび割れたアスファルト、雑草が生い茂る歩道。かつて賑わっていたであろう通りは、今では風の音しか聞こえない。


 凛は路地を低い姿勢で移動していた。右手にP226、左手はフリー。瑠衣が背後からシールドを構えてついてくる。


「結月、敵の通信は拾えるか」


 インカムで訊く。──いや、今回は結月はレッドチームだ。通信支援なしで戦わなければならない。


「瑠衣、楓のポジション予測は」


「あいつが狙撃手として動くなら、見晴らしの良い高所を取るはずだ。この商店街だと──あそこだな」


 瑠衣が指差したのは、商店街の北端にある三階建てのビル。元は電器屋だったらしく、看板が傾いて残っている。


「屋上に陣取れば、商店街の大通りを一直線に見通せる。楓なら確実にそこを選ぶ」


「同感だ。つまり大通りは使えない。裏路地を回り込む」


 凛と瑠衣は大通りを避け、並行する裏路地に入った。ブロック塀と建物の隙間を縫うように進む。凛が先行して安全を確認し、瑠衣がシールドで後方をカバーする。


 三分経過。旗の設置場所と思われる北端のエリアまで、あと百メートルほど。


「止まれ」


 凛が手を挙げた。路地の先に、微かな人影が見えた。


 千歳だ。M4を構えて路地の角に張り付いている。凛たちの迂回を読んで、待ち伏せに来ている。


「千歳が前方約三十メートル。路地の角」


「やるか」


「待て。千歳が一人ということは──」


 凛が言い終わる前に、頭上から射撃音が響いた。


 楓のM700。


 弾は凛の足元のコンクリートに当たり、制圧弾(サプレスラウンド)特有の衝撃波が広がった。凛は反射的に壁際に身を寄せた。


「楓──ビルの屋上じゃない。あの二階の窓だ」


 瑠衣が盾を頭上に掲げながら言った。電器屋ビルではなく、手前のアパートの二階の窓から楓が狙撃していた。凛の読みが外れた。


「あいつ、予想されやすいポジションをわざと避けやがった。成長してるな」


「千歳が前方で足止め、楓が上から狙撃。──挟まれた」


 凛は冷静に状況を分析した。千歳が正面、楓が斜め上。瑠衣のシールドは一方向しかカバーできない。


「瑠衣、シールドで楓の射線を切れ。私が千歳を潰す」


「了解──だけど凛、千歳は甘くねえぞ」


「わかってる」


 凛は壁から飛び出した。P226を片手で構え、千歳のいる方向に走る。


 タタタ──千歳のM4が三点射で応射。制圧弾(サプレスラウンド)が凛の横を掠める。凛は走りながら射撃した。一発、二発。千歳が角の裏に引っ込む。


 その隙に凛は路地を横切り、反対側のブロック塀に身を隠した。ここからなら千歳との距離は十五メートル。P226の有効射程内だ。


 だが千歳も同様に、M4の有効射程内にいる。


「凛ちゃん、正面突破とは大胆だね」


 千歳の声がブロック塀の向こうから聞こえた。


「大胆じゃない。合理的だ」


「どこが!」


 千歳が角から体を半分出し、M4を撃つ。凛は塀に身を隠して回避。同時に手を伸ばして、塀の端から死角になっている角度で一発撃った。


 制圧弾(サプレスラウンド)が千歳の左腕に命中。千歳のセンサースーツが反応し、左腕使用不可の判定音が鳴った。


「くっ──左腕やられた!」


 千歳がM4を右手だけで保持する。片手での連射は精度が落ちる。凛はそれを見逃さなかった。


 壁から飛び出し、二発──胴体に一発、肩に一発。千歳のセンサーが行動不能を告げた。


「はい、千歳やられました! 早い!」


 千歳がその場に座り込み、手を挙げる。凛は頷いて、背後の瑠衣を振り返った。


 瑠衣はシールドを構えて楓の射撃を防いでいた。制圧弾(サプレスラウンド)がシールドに当たる鈍い音が連続している。


「千歳を倒した。次は楓だ」


「凛、あいつ──窓から動かねえ。こっちから仕掛けるのは難しい」


 凛は考えた。楓のポジションはアパートの二階。階段で上がれるが、狭い階段を上る間に狙撃される。


「瑠衣、シールドで私を隠してくれ。アパートの入口まで」


「了解」


 瑠衣がシールドを前面に構え、凛の前に立つ。二人は並んで路地を進み、アパートの入口に到達した。


「ここからは一人で行く。瑠衣は外で待機」


「気をつけろ。楓のやつ、近距離でも当ててくるからな」


 凛はアパートに入った。埃っぽい階段を駆け上がる。二階の廊下。楓がいるのは突き当たりの部屋のはずだ。


 ドアは半開きになっていた。凛はドアの横に張り付き、中を窺った。


 窓際に楓がいた。M700を構え、外の瑠衣を狙っている。凛に気づいていない──いや。


「──御崎先輩。来ると思っていました」


 楓の声。銃口は窓の外に向けたまま、だが体は微かに凛を警戒している。


「なぜ」


「先輩は正面突破を好みます。千歳先輩を倒した後は、直接私のところに来るだろうと」


「読まれていたか」


「はい。ですので──」


 楓が振り向く動きと、凛がドアを蹴り開けて突入する動きは同時だった。


 楓がM700を凛に向ける──が、ボルトアクション式の狙撃銃は近距離では取り回しが悪い。凛はそれを承知で距離を詰めた。


 二メートルの間合い。凛はP226を楓の胴体に向けた。楓はM700の銃口を凛の頭に向けた。


 相打ち。


 両方のセンサーが同時に反応した。


「──引き分けか」凛が息を吐いた。


「いえ。私が先に撃たれています。御崎先輩の勝ちです」


 楓が小さく頭を下げた。凛はM700の銃口が自分に向いた瞬間に引き金を引いていた。楓は一瞬遅れた。


「でも、楓の判断は正しかった。狙撃手が近距離戦を受けて立ったのは勇気がある」


「……ありがとうございます」


 楓の頬がわずかに赤くなった。凛に褒められることが、この一年生にとってはまだ特別なことらしい。


---


 訓練後、全員で旧市街エリアの空き地に集まり、反省会をしていた。


 秋の夕暮れ。缶コーヒーを片手に、五人が円になって座っている。


「千歳が前方で足止め、楓が上から狙撃。配置は良かった」凛が総括した。「ただ、私に千歳がやられた後のリカバリープランが、そっちにはなかった。結月、通信で連携を取っていたか」


「はい。千歳先輩がやられた後、楓先輩に後退するよう通信を入れたんですが──」


「無視しました」楓が淡々と言った。「後退する合理性がなかったので」


「おいおい、通信を無視すんなよ」瑠衣が呆れたように言った。


「でも楓ちゃん、結果的にあの場で踏みとどまったから凛と相打ちに持ち込めたわけでしょ」千歳がフォローした。「判断としては間違ってなかったのかも」


「結月の通信を無視したことは問題だ」凛が言った。「でも、楓の戦闘判断は正しかった。二つは別の話だ。通信規律は守った上で、判断は現場に委ねる。そのバランスを覚えてくれ」


「……了解です」楓が頷いた。


 反省会はそのまま雑談に移っていった。千歳が「お腹空いた」と言い出し、瑠衣が「そういえば旧市街に自販機あったな」と立ち上がる。


 楓は少し離れたところに座って、一人でM700の手入れをしていた。凛はコーヒーを持って楓の隣に移動した。


「楓」


「はい」


「聞いていいか。なぜ暁嶺に来た?」


 楓の手が一瞬止まった。ボルトを磨く布が、途中で動きを止める。


「……スカウトです。暁嶺の情報班が、射撃大会の記録を見て声をかけてきました」


「それは知ってる。聞きたいのは、なぜ応じたか、だ」


 楓はしばらく黙っていた。遠くで千歳と瑠衣が自販機の前で何かを言い合っている声が聞こえる。


「家族のためです」


 楓の声は平坦だったが、どこか硬かった。


「父は三年前に亡くなりました。母は体が弱くて、パートもままなりません。弟が二人います。中学生と小学生。暁嶺の風紀部隊(ヴィジランテ)に入れば、生活支援金が出ます。それで家族が暮らせるんです」


「それだけか」


「……それだけ、です」


 凛は楓の顔を見た。無表情だが、目の奥に何かを堪えている色がある。


「楓。銃を人に向けることに、罪悪感はあるのか」


 楓が初めて、はっきりと凛を見返した。


「──あります」


 その一言に、楓の声が震えた。


制圧弾(サプレスラウンド)でも、人に銃を向けるのは──怖いです。訓練では平気なふりをしていますが、本当は。引き金を引くたびに、これが実弾だったら、この人は死んでいたかもしれない、と思います」


「それでも撃つのか」


「撃ちます。家族を守るために。それが私にできる唯一のことだから」


 凛は頷いた。


 銃は人を傷つけるためじゃない。守るために、あるんだよ。


 沙耶の言葉が、脳裏を過った。楓は沙耶と同じことを──別の言葉で、別の理由で──言っている。


「楓。裁定戦(アービトレーション)で、お前は人を撃つ。制圧弾(サプレスラウンド)だから殺しはしない。でも、撃たれた相手は痛い。苦しい。それでも撃て。迷うな」


「はい」


「迷わないために──理由を持て。なぜ自分がここにいるのか。なぜ銃を握るのか。その答えが揺るがない限り、お前の弾は当たる」


 楓は凛の目をじっと見つめた。そして、深く頷いた。


「御崎先輩の──理由は、何ですか」


 凛は答えなかった。


 代わりに立ち上がり、空になったコーヒーの缶をゴミ袋に入れた。


「帰るぞ。明日も訓練がある」


---


 帰り道、凛は千歳と並んで歩いていた。瑠衣は楓と結月を連れて先に行っている。


「凛」


「ん」


「楓ちゃんと何話してたの?」


「訓練のフィードバック」


「嘘。凛がフィードバックする時、あんな顔しない」


 凛は千歳を見た。千歳は真剣な顔をしていた。


「楓は──家族のために銃を撃ってる。罪悪感を抱えながら」


「知ってる。楓ちゃんの事情は入隊時に聞いた」


「千歳はどう思う」


「どう思うって──かわいそう、とは思わない。楓ちゃんは自分で選んだから。でも──」千歳は少し声を落とした。「十五歳の女の子が銃を持って戦わなきゃ家族を養えない世の中って、おかしいと思うよ」


「ああ」


「凛も、沙耶先輩も、瑠衣も、楓ちゃんも。みんなそれぞれの理由で銃を持ってる。でもさ、そもそも──あたしたちが銃を持たなきゃいけない理由なんて、あっちゃいけないんだよ。本当は」


 凛は何も言わなかった。千歳の言葉は正しい。正しいが──今の凛には、その正しさを受け入れる余裕がなかった。


 沙耶を殺した相手を見つけるまで。


 それが今の凛の理由であり、それ以外のことは、考えないようにしていた。


「千歳」


「ん?」


「ありがとう」


「だから、お礼言うの珍しいって」


「うん。だから、珍しいうちに言っておく」


 千歳が目を丸くして、それからくすりと笑った。


「──帰ったら、寮の自販機でアイス買おう。訓練頑張ったご褒美」


「夕飯前にアイスは」


「いいの! たまには!」


 千歳が凛の腕を引いて走り出した。凛は引きずられるように走りながら──ほんの僅かだけ、口元を緩めた。


 暁嶺学院の寮が、夕闇の中に見えてきた。深紅と黒の校旗が、秋風に揺れていた。


---

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