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【第一巻】 第三章「月が見ている」

 裁定戦(アービトレーション)まで十二日。


 結月が第三分隊に合流した最初の放課後、凛は一人で情報班の記録庫にいた。


 記録庫は詰所の地下一階にある。窓のない部屋に、金属製の棚が何列も並んでいる。棚にはファイルが年度ごとに整理されていた。紙の記録は古い形式だが、暁嶺学院(ぎょうれいがくいん)の情報班は電子データとは別に紙のバックアップを保管する規定がある。電子戦で記録を消去された場合の保険として。


 凛が探しているのは、去年の裁定戦(アービトレーション)の通信傍受記録だった。


 結月が抽出してくれたデータは電子ファイルで受け取っていたが、凛はその元データの紙のログも確認したかった。電子データは改竄される可能性がある。紙の記録なら、少なくとも書き換えの痕跡が残る。


 棚の前でしゃがみ込み、一年前のファイルを抜き出す。


 分厚いバインダー。表紙には『通信傍受記録──裁定戦(アービトレーション)第七号 暁嶺学院vs聖樹館女学院せいじゅかんじょがくいん』と印字されている。


 凛はページを繰った。


 裁定戦(アービトレーション)当日の通信ログが、時系列で並んでいる。暁嶺側の通信、聖樹館側の通信、そして──分類不能の第三者通信。


 第三者通信は三件記録されていた。


 一件目。裁定戦(アービトレーション)開始四十分前。周波数は暁嶺とも聖樹館とも異なる暗号化帯域。通信時間は約十二秒。内容は解読不能。


 二件目。裁定戦(アービトレーション)開始二十分後──つまり戦闘が始まってからしばらく経った頃。同一周波数。通信時間は約八秒。解読不能。


 三件目。


 凛の指が止まった。


 三件目の通信時刻は、裁定戦(アービトレーション)開始四十七分後。


 沙耶が撃たれたのは、裁定戦(アービトレーション)開始四十八分後。


 三件目の通信の一分後に、沙耶は実弾で心臓を撃ち抜かれた。


 通信時間は三秒。内容はやはり解読不能──だが、紙の記録の備考欄に、手書きの注釈があった。


『※本通信の発信元は西方向と推定。電波強度から距離は約六~八キロ。月詠(つくよみ)管轄エリア方面の可能性。──情報班、確認のため通信解析を申請。申請番号K-4419』


 凛は申請番号をメモした。そしてバインダーの後ろの方に綴じられた申請書の写しを探した。


 あった。申請番号K-4419。情報班から暁嶺学院事務局への通信解析申請書。日付は裁定戦(アービトレーション)の翌日。


 そして、その申請書の上に、赤いスタンプが押されていた。


『却下──鳴神区(なるかみく)統括事務局より、本件は機密事項に指定。以後の調査を禁ず』


 凛の目が細くなった。


 統括事務局。つまり政府が、この通信の解析を止めた。


 偶然の事故として処理された沙耶の死。その裏にある第三者の通信。そしてその調査を潰した政府の介入。


 点と点が、線になり始めていた。


---


「御崎先輩、これが去年の通信記録の電子データです」


 翌日。第三分隊の控室で、結月がノートPCの画面を凛に見せた。


「三件の不明通信は、すべて同一の暗号化方式を使用しています。この暗号化方式は──」結月が画面をスクロールした。「商用の暗号ではなく、軍事グレードの暗号です。一般の学園が使えるものじゃありません」


「軍事グレード」


「はい。鳴神区内で軍事グレードの暗号通信を使えるのは、政府の統括事務局か──あるいは、政府と直接つながりのある組織だけです」


 凛は腕を組んだ。


「月詠女子学園のスポンサーは不明だったな。政府の裏組織との繋がりが噂されている」


「はい。月詠は他の四校と違って、スポンサー企業を公開していません。資金源も不透明で、情報班でも詳細を掴めていないんです」


「この暗号通信の解読は可能か」


 結月は少し口ごもった。


「時間があればできる……かもしれません。暗号鍵のパターンを推定するのに、最低でも一週間。ただ、解読作業をしていることが外に漏れたら──」


「わかってる。表向きは裁定戦(アービトレーション)の通信対策の一環として処理しろ。実際の解読作業は、分隊内の人間にも伏せておく」


「千歳先輩たちにも?」


「……今は、まだ」


 結月は少し不安そうな顔をしたが、頷いた。


「了解です。それと、もう一つ気になることがあるんですが」


「何だ」


「去年の不明通信の周波数帯なんですけど──最近、また同じ帯域で微弱な電波が検出されているんです」


 凛の表情が変わった。


「いつから」


「三日前からです。裁定戦(アービトレーション)が公式に発表された翌日から。電波は断続的で、発信源は──」


「西」


「はい。月詠方面です」


 沈黙が落ちた。


 裁定戦(アービトレーション)の発表と同時に、月詠が動き始めた。去年と同じパターンだ。


 凛は窓の外を見た。西の空は薄い雲に覆われて、月詠のある方角は見えない。


「結月」


「はい」


「その電波の監視を続けろ。パターンを記録して、去年のログと照合してくれ。そして──」


 凛はポケットから小さなUSBメモリを取り出した。


「これに入っているのは、沙耶先輩の手帳を撮影したデータだ。その中に通信に関する記述がある。照合の参考にしてくれ」


 結月はメモリを受け取り、大切そうに両手で握った。


「必ず、成果を出します」


---


 その夜、凛は中庭のベンチに座っていた。


 秋の夜風が冷たい。空には薄い雲の隙間から星が見えている。西の空には──三日月が浮かんでいた。


 月が見ている。


 沙耶が残した言葉。それが単なるメモなのか、暗号なのか、警告なのか。凛にはまだわからない。だが、月詠女子学園が関わっていることは、もはや疑いようがなかった。


「こんな時間に何してるの、隊長」


 暗がりの中から、瑠衣の声が聞こえた。ミリタリージャケットのポケットに手を突っ込み、長身の体を揺らしながら近づいてくる。


「考え事」


「珍しいな。凛が外で考え事って」


 瑠衣はベンチの隣に腰を下ろした。長い足を前に投げ出し、空を見上げる。


「瑠衣こそ。こんな時間に」


「走ってた。夜のランニング。体が鈍ると前衛は務まらねえからな」


 しばらく沈黙が流れた。二人とも、別に会話を必要としているわけではなかった。ただ、同じ場所にいる──それだけの時間。


「なあ凛」


「ん」


裁定戦(アービトレーション)、勝てると思うか」


「勝つ。勝たなきゃいけない」


「そうじゃなくて。冷静に見て、聖樹館に勝てるか、って話」


 凛は少し考えた。


「戦力差はある。聖樹館の風紀部隊(ヴィジランテ)は暁嶺の三倍以上。装備も上。ただ、五対五の市街地戦なら話は別だ。少数で連携の取れたチームのほうが有利になる場面は多い」


「千歳と楓と新入りの結月ちゃん、あとは私と凛。悪くないメンバーだとは思うけどよ」


「でも、聖樹館が誰を出してくるかによる」


白薔薇(しろばら)、だろうな」


 瑠衣が呟いた。聖樹館女学院の精鋭部隊「白薔薇」。その名前は鳴神区の風紀部隊(ヴィジランテ)の間で恐れられている。


白百合紫苑(しらゆり しおん)。聞いたことあるか」


「聖樹館の二年生で、白薔薇の隊長。去年の裁定戦(アービトレーション)にも出ていた」


「そう。あいつは強い。個人の戦闘力もだけど、部隊の統率力が異常だ。五人が一つの生き物みたいに動く」


 瑠衣の声に、珍しく緊張が混じっていた。凛は少し意外に思った。瑠衣が他校の人間を素直に評価するのは、あまりない。


「瑠衣、蒼風(そうふう)にいた頃に白薔薇とやり合ったことがあるのか」


 瑠衣は答えなかった。


 長い沈黙。夜風がベンチの周りの木の葉を揺らした。


「……一回だけ」瑠衣が口を開いた。「蒼風の風紀部隊(ヴィジランテ)がまだまともに機能してた頃──一年くらい前かな。聖樹館との境界で小競り合いがあった。裁定戦(アービトレーション)じゃない、非公式のやつ」


「非公式の武力衝突」


「ああ。蒼風の連中が聖樹館の物資輸送ルートに手を出した。報復として白薔薇が来た。私は──その時、蒼風側で戦った」


 瑠衣の声が低くなった。


「十対五だった。こっちが十人で、向こうが五人。なのに──三分で終わった。蒼風側の十人のうち、最後に立ってたのは私だけ。全員あっという間に制圧弾(サプレスラウンド)でやられた」


「瑠衣は無事だったのか」


「無事じゃなかったよ。左肩と右太ももに被弾してた。動けたのは根性だけだ。白百合紫苑は──私の前に立って、銃を下ろして言ったんだ。『あなたは強い。でも、この学校では勿体ない』って」


 瑠衣は自嘲的に笑った。


「悔しかった。でも、否定できなかった。蒼風はもう終わってた。装備はボロボロ、士気は最低、まともな指揮官もいない。私一人が強くても──仲間がいなきゃ、戦えない」


「それで暁嶺に来たのか」


「……まあ、そういうことだ。蒼風に残した連中には恨まれてるだろうけどな」


 凛は瑠衣の横顔を見た。夜の暗がりの中で、瑠衣の表情は見えにくかったが──その声の奥に、まだ癒えていない傷があるのは感じ取れた。


「瑠衣」


「ん?」


「今の第三分隊は、蒼風の頃とは違う」


「わかってるよ」


「私も──一人で戦うつもりはない。少なくとも、そうなりたいと思ってる」


 瑠衣が凛を見た。暗がりの中で、かすかに目を見開いたのがわかった。


「凛がそんなこと言うの、珍しいな」


「千歳にも同じことを言われた」


「だろうな」瑠衣は笑った。今度は自嘲ではなく、純粋な笑みだった。「ま、安心しろ。前衛は私に任せておけ。凛たちの前に、壁を張ってやる」


「頼りにしてる」


「おう」


 瑠衣は立ち上がり、ストレッチをしながら寮の方に歩いていった。


 凛は一人、ベンチに残った。


 西の空の三日月が、雲に隠れようとしていた。


 月が見ている──だが、こちらも見ている。


 裁定戦(アービトレーション)まであと十一日。凛は立ち上がり、寮に戻った。P226の重みが、いつもと変わらず腰にあった。


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