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【第一巻】 プロローグ「世界を割った一発」

 その一発は、世界を二つに割った。


 あの一発の前と、後。それだけが、御崎凛(みさき りん)にとっての時間の区切りだった。


 一年前──夏の終わり。


 鳴神区(なるかみく)南部、朝凪エリア。暁嶺学院(ぎょうれいがくいん)の管轄する区域と聖樹館女学院せいじゅかんじょがくいんの境界線に広がる廃商業施設。かつてはショッピングモールだったその建物は、今では裁定戦(アービトレーション)の演習場として使われている。


 コンクリートの柱が林立するフロアに、硝煙の匂いが漂っていた。


「凛、右!」


 頭上から降ってきた声に、凛は反射的に身を低くした。右の柱の陰から制圧弾(サプレスラウンド)が飛来し、凛がいた場所の壁面に青白い痕を残す。制圧弾──正式名称サプレスラウンド。着弾時に衝撃を拡散させ、致死率を大幅に低下させた特殊弾薬。裁定戦(アービトレーション)での使用が義務付けられている、いわば「殺さないための弾」。


 とはいえ、当たれば普通に痛い。防弾制服越しでも、肋骨にヒビが入ることくらいはある。


「了解──沙耶先輩、位置は?」


 凛はインカムに囁きながら、SIG P226のスライドを引いた。薬室に弾が送り込まれる小さな金属音。吹き抜けになった二階の回廊から見下ろす位置に、橘沙耶(たちばな さや)の姿が見えた。


 暁嶺学院風紀部隊(ヴィジランテ)、第三分隊隊長。


 凛より一つ年上。亜麻色の髪をポニーテールに束ね、深紅のリボンで留めている。暁嶺の防弾制服──黒を基調としたブレザーに、深紅のラインが走るスカート──がよく似合う、凛の敬愛する先輩。


「二時方向、柱の裏に二人。一人はライフル持ち。──凛、私が囮になるから、左から回り込んで」


「了解」


 沙耶がそう言うと、凛は何の疑問も持たなかった。沙耶の判断はいつも正しかったし、何より沙耶は自分を囮にしても絶対に生きて帰ってくる人だった。


 ──そう、信じていた。


 沙耶が柱から身を乗り出し、MP5Kを三点射で撃つ。タタタ、という乾いた連射音がフロアに反響した。制圧弾(サプレスラウンド)特有の、実弾より少し軽い発射音。敵の二人が柱の裏に引っ込む。


 凛は身を屈めたまま、左側の通路を駆けた。スニーカーの底がタイルの上を滑る。呼吸を整え、角を曲がる。


 見えた。柱の裏で伏せている聖樹館の生徒二人。白と金の制服が、薄暗いフロアの中で妙に目立つ。


 凛はP226を構え、二発。


 一発目が一人の肩に命中し、制圧弾(サプレスラウンド)の衝撃で体勢が崩れる。二発目はもう一人の太ももに当たり、彼女は短い悲鳴を上げてその場に座り込んだ。


「二人とも行動不能。沙耶先輩、クリア」


 インカムに報告しながら、凛は小さく息を吐いた。制圧弾(サプレスラウンド)でよかった。実弾だったら、今の二人は死んでいたかもしれない。


 ──ふと、感情を削ぎ落としたかのように冷静に考えている自分が、少しだけ嫌だった。


「さすが凛。──よし、あと残りは三人。千歳たちが北側を押さえてるから、このまま──」


 沙耶の声が、途切れた。


 銃声は、聞こえなかった。


 何の音もしなかった。制圧弾(サプレスラウンド)の乾いた発射音も、着弾の衝撃音もない。ただ──沙耶の声が途切れた。それだけだった。


 凛が二階を見上げた時、沙耶はまだ立っていた。


 ただ、その表情がおかしかった。驚いているのでも、苦しんでいるのでもない。まるで、何が起きたのかわからないという顔をしていた。


 左胸に、赤い染みが広がっていく。防弾制服を貫通している。制圧弾(サプレスラウンド)では、あり得ない。


「──沙耶、先輩」


 凛の声は震えていた。自分の声が震えるのを、凛は初めて聞いた。


 沙耶がゆっくりとこちらを向いた。口が動いている。何か言おうとしている。インカムからは、かすれたノイズしか聞こえない。


 凛は走った。階段を二段飛ばしで駆け上がり、二階に辿り着いた時──沙耶は、手すりに寄りかかるようにして座り込んでいた。


「沙耶先輩!」


 凛は膝をつき、沙耶の体を支えた。手が温かいもので濡れる。見なくてもわかる。赤い。


 沙耶の唇が動いた。今度は聞こえた。


「──凛。銃は……人を、傷つけるためじゃ、ない」


「喋らないでください。今、衛生班を──」


「守る、ために……あるんだよ」


 沙耶の右手が、凛の頬に触れた。血で汚れた指先が、まだ温かかった。


「だから……撃って、いいんだよ。守りたい、もののために」


 沙耶の手が、落ちた。


 凛はその手を掴んだ。掴んで、離さなかった。衛生班が駆けつけるまで、ずっと。


 だが、凛にはわかっていた。


 この手はもう、二度と銃を握らない。


 あの一発がどこから来たのか、凛にはわからなかった。聖樹館の方向ではない。もっと遠く──西。建物の外から窓を貫き、音もなく沙耶の心臓を撃ち抜いた、一発の凶弾。


 裁定戦(アービトレーション)の記録には、こう記載された。


『橘沙耶──裁定戦(アービトレーション)中の事故により死亡。流れ弾による不幸な偶発事故と認定』


 嘘だ、と凛は思った。


 あれは事故じゃない。沙耶は殺された。


 狙って撃たれた。


 弾は──嘘をつかない。


 凛のP226には、あの日から二発足りないマガジンが装填されている。弾は一度も補充していない。制圧弾(サプレスラウンド)。殺さないための弾。──それでも、この十三発には意味がある。


 一発は、真実のために。


 残りの十四発は──沙耶が守ろうとしたものを、守るために。


---


 一年後。


 夏の終わりが、また来る。


---

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