第5話 罪人(つみびと)は死、あるのみ
「──ふぇっ……?」
ニット帽男の右肩をトントンッと、あたしは左手で軽めに叩き声をかける。
すると、反射的に背後を振り向いた。
あたしがあらかじめ立てておいた人差し指の指先が、ニット帽男の右頬に食い込む形で当てる……ついでに水滴もつけてやった。
あたしのイタズラに、ニット帽男はまんまと引っかかったのだ。
「……ふふふっ。……ひっかかった」
表情変化はほぼなく、微々たるものだがあたしは笑っている。
感情の起伏が乏しく、何を考えているか皆目見当がつかない……と、チームメンバーにも、顔を合わせる度に言われている。
「なっ、ガキ──ッ!? いつから……つか裸──ッ!?」
ニット帽男は懐から取り出したナイフの切っ先をあたしに向ける。
「──うっ……動くなよっ……!!」
こんな生まれたままの姿をした、あどけない13歳の少女の首筋に、しかも銃ではなくナイフを突き付けてくるなんて……あまりにも──正気の沙汰とは思えない……。
当然このニット帽男は、あたしのことをただの小娘だと思っていて、脅威足り得るとは思っていない。
まあこんな小娘相手に危機感を覚えろ、と言う方が無理な話であるとは思うけど──あたしはそれよりも……ニット帽男が気になって仕方がない。
まず、体勢は悪い。小柄な敵を前にして、しゃがむなど愚の骨頂。反撃された際に体勢を崩され、次の動作がワンテンポ遅れ、死に直結する。
あぁっ……ダメ出しを出し始めたらキリがないと思う。ハッキリ言って素人だ。
やり合ったところで、張り合いなくトマトみたいにグジュグジュと音を出して、無様な醜態を晒し呆気なく潰れて、見慣れた赤い液体を流すだけ。
組織の武器保管庫に格納される、“対神の代行者戦闘用バレットM27フルオート式スナイパーライフル”じゃない限り──この体には傷一つつけられない。
弾薬は専用弾である“50口径特殊炸裂粘着弾”も、セットで使う必要がある。
あたしを相手取るなら、それくらい必要だ。
故に──話にならない。
だからあたしはニット帽男に恐怖心を抱くどころか、そんな貧弱な装備で、よくもまああたしに脅迫してこれたな、と逆に多少の好奇心が湧いてしまった。
……神さま──ごめんなさい。
「──私情を挟んでしまうことを……どうかお許しください……」
唇を僅かに動かし、ニット帽男に聞き取れない声量でボソリと呟く。
「ん……? 何か言ったか──?」
あたしはニット帽男の言葉を無視して続ける。
「──あのさ……」
「なんだ……」
ニット帽男の後ろにある、ベッド横の小さな引き出しをあたしは指差す。
「…………取らせて欲しいんだけど……そこの下着……。シャワー浴びたばっかりだから……風邪引く。……それともニット帽さんは、あたしをこのままにしたいの……? もしかして、小児にしか魅力を感じない小児性愛者……? あたしの身体で……欲情でも、した……?」
ニット帽男はあたしの言っていることに理解が追いつかず首を傾げた。
「────いやーん……えっちー。……み、見ないでー……だったっけ?」
望まれていそうだったので、つい口走ってしまった。
「はぁ……?」
「あー……ごめん。この国では“ロリコン”……って言った方が──ニット帽さんにも……分かる、かな?」
「俺にそんな下卑た趣味はねぇよ──っ!!」
ニット帽男は声を張り上げ否定する。
「なら、そこをどいて……。あと……声でかい……」
ニット帽男は「変な真似するなよ」とだけ言って、体を退ける。
同時にさっきまでの不利な体勢でなくなった。
「……ありがと」
ニット帽男が退いたことを確認し、あたしは少し前屈みの体勢なりながら、引き出しを開ける。
そこには引き出しの隅から隅までぎっしりと、かわいらしい見た目をした、うさぎのキャラクターパンツがこれでもかと敷き詰められていた。
「うゎ……」
ニット帽男はその光景に表情を引き攣らせ絶句していた。
「……えっと、確か奥に──」
あたしはたくさんあるパンツの山を掻き分けて、奥深くに眠る今日の日替わりおパンツを探す……すると──首筋にひんやりした感触が肌から伝わった。
「……別に逃げたりしないよ……ニット帽さん……」
パンツを探す手は止めずに、あたしはニット帽男に顔だけを動かし振り返った。
「ふん、どうだか……」
ニット帽男はあたしの背後に回り、再度ナイフを首筋に突き付けていた。
「……はぁっ。まあ……別にいいけど──」
そう言って視線をパンツに戻そうとした時──
「──おい」
ニット帽男にあたしは呼び止められた。
「まだ何か……?」
「その背中……」と、ニット帽男はあたしの背中を指差した。
「……背中が、どうかしたの……?」
「髪をどけろ」
あたしはニット帽男に言われるがまま、首筋にかかった腰まで伸びた茶色い髪を、そっと払いのける。
すると、ニット帽男の声色が驚愕に染まった。
「まだ若いのに、刻んだのか……? 入れ墨を……」
きっと“十字架のタトゥー”のことだろう。
「……問題でもあるの?」
「何故入れた……未成年に対する入れ墨の施術は、法律で禁止されているはずだっ」
ニット帽男は声を荒げた。
「……それはこの国……での話。……それに、タトゥーを入れたのは……かなり前。……あたしが物心つく前だって、言われた──」
「なに、言われた……? その入れ墨は、お前の意志じゃないのか?」
言葉に引っかかりを覚えたニット帽男はあたしにそう聞き返す。
「……あたし自身の意志、で入れたわけじゃない……けど、あたしの意志……でもある」
「──どういうことだ?」
「……話すと長くなる……それに──もう時間切れ」
「……ガハ──ッ!!」
するとニット帽男は突如口から血反吐を吐いた。
「⋯⋯黒曜石ナイフって……知ってる? ……人類史上最も鋭いナイフ。……そう言われているわ」
あたしはパンツを探す手を止め、ニット帽男に向き直る。
「……何を、言っている……?」
「……そのナイフは切られたことに、気付かないほど……鋭利な刃物で、切れ味は最高レベル──ここまで言えば分かるかしら?」
「言っている……ケホッ、意味が……まるで分から、ない……」
「そう……なら──何も知らないまま死になさい」
腹部から血を流し地面に倒れたニット帽男は、あたしがその言葉を言い終える前に絶命した。
「……人に説教を垂れるのなら、まず自分の行いを振り返り、その行動を改めてからすることね」と、あたしは事切れたニット帽男に語りかけるが、当然返答はない。
「──助かりました。……ありがとうございます。この者の穢れた魂も、主によって浄化されることでしょう⋯⋯」
あたしは、立ったまま胸前で十字架の印を切る。そして、目の前にいるニット帽男を殺めた、長身で全身黒ずくめの人物にお礼を言った。
「極めて薄く、硬い物に当たれば簡単に砕けてしまう程、黒曜石は非常に脆く衝撃に弱い……が秘匿性、携帯性、隠滅性。共に申し分ない──」
この人と会話のキャッチボールが任務時以外で成り立たないのは、今に始まったことではない。
「……外でお待ちを……準備が出来次第、移動します」
「ここで待とう」
「……しかし、あたしのお見苦しい姿を……お見せするわけには──」
「構わん、今さらどうでもいい。時間もそれほど余裕がない。口よりも手を動かせ、ほれっ」
「……了解」
あたしは先ほどまで探していたパンツを断念し、ベッドに投げ捨てられた黒のキャットスーツを手に取った。
首から下の全身をぴったりと覆うようにしながら、ファスナーを閉め素早く着替える。
諸々準備を済ませたあたしたちは、ニット帽男の亡骸の処理を組織の死体処理班に任せ、雨が降りしきる暗闇の中を急いで任務地へ赴くのだった。




