第31話 異物、地下室に眠る
『……ん?』
子どもの絶叫のような悲鳴がふと耳に届き、あたしは来た道を振り返る。
『どうかしたか?』
『……いえ、何でもありません。……行きましょう』
立ち止まっていたその足を目的地に向け、両者は再び動かし始める。
あたし達は床に隠された秘密の階段を下り、ジメッとした湿り気のある、薄暗い通路をランタンライトで照らしながら歩いて進んでいた。
今向かっているのは、その突き当たりにあると思われる1つの地下室だ。
『──ここだな』
そして、シリンダー式南京錠をかけられた、とある部屋の真ん前まで来たところで、あたし達は歩みを止める。
そこは地下倉庫にカモフラージュされている、アーサーの隠し研究室だ。
『……ここに、あるんですね』
『あぁっ、そうだ』
ミス・ヴァレンタインは手に持っていたランタンライトを足元に置き、アーサーのポケットから拝借した地下室のキーを鍵穴に差し込もうとした。
『…………ん、何だ? 音……?』
扉奥より聞こえてくる、不穏な音がだんだんとこちらに接近しているのをあたしは察知し────
『……下がって!』
彼女の身代わりとして、あたしが目の前に飛び出た──その刹那のことだ。
ガガガ、ガンッ!!!!
ドアロックのかかった分厚い鉄扉が、そんな衝撃音と共にぶち破られる。
『ク──ッ!! 伏せて──ッ!!』
飛来する分厚い鉄扉がミス・ヴァレンタインを襲う。
あたしは身を挺して彼女をそれから庇った。
直後、破壊され吹き飛ばされた鉄扉で、あたし達は2人共々下敷きになった。
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『Give it to……us, give it to……us──give us that!!』
壊された地下室の鉄扉の奥から現れたのは、憎悪、憤怒、嫉妬、執念、絶望、空虚、怨念、侮蔑などのマイナス感情が形を成したものだった。
『Give us……give us……give us your soul!!』
常日頃人間の根幹に存在する、ありとあらゆるその負の感情に包まれ構成されたエネルギー──狂気を纏った異物が宙に浮いていた。
『声ガ……聞コエル。我ラ……強ク欲スル声ガ……』
そう言葉を紡ぎ異物は無慈悲な重量に押しひしがれた、クルクス達のすぐ側を浮遊し素通りして行く。
そして────その異物が通り過ぎるのを見計らったかのように、もぞもぞと下から2つの影が這い出てきた。
『ぷはっ……! ……ミス……聞きましたか、今の』
分厚い鉄扉を押し退け、液状化を解いたクルクスは通路の壁へそれを立てかけた後そう言う。
『あぁ、もちろん。聞いてたさ……それよりもクルクス。お前はまず、幹部の安否確認を行え。仮にもエージェントだろう? それぐらいの優先順位は弁えろ』
立ち上がりながら服の砂ぼこりを払い、ヴァレンタインは彼女へそう苦言を呈した。
『……申し訳ありません』
『ふん……まあいい。それより……』
『……はい。今のは一体──』
床に倒れたランタンライトを拾い上げ、胸ポケットに入れられたサングラスをヴァレンタインは取り出す。
そしてそれをかけながら、異物の去って行った方に視線を向ける。
『──十中八九、アレ……だろうな』
真剣な表情を浮かべつつも、ガサゴソと懐にある葉巻を咥えライターで火を付けて一服しようとした──。
カラン、カランカランッ
しかし、手元が狂ったのか。
ヴァレンタインはライターを床へ落としてしまう。
『……………………』
脚を曲げ摑もうとライターに伸ばす……が、その手の震えで何度も何度も、摑んでは落ち、摑んでは落ちを幾度も繰り返す。
わざとではなく、完全に、そして無意識に彼女はそれを行っていた。
まるでそれがないと…………落ち着いていられないかのように────
『え──っ?』
途端、素っ頓狂な声をヴァレンタインは漏らしてしまった。
ポンッと、肩に誰かの手が置かれていたことに彼女は気付く──クルクスだ。
『………………』
向き直るヴァレンタインだったが、彼女の口から言葉は一言も発せられない。
だが、クルクスの目には絶対的な自信が滲み出ていた。
こちらを見つめる少女の優しい瞳を見て、彼女はこう思わずにはいられなかった。
その奥には、かつての太陽がまだそこにいる──そんな錯覚。
それほどまでに追い詰められ、精神に余裕がなくなっていたのだ。
『……あたしが、傍に付いてます。……あなたのことは、あたしが全力で……必ず護ります。ですから……大丈夫です。……あなたは堂々と、あたしに指示を出して下さい』
空いているもう片方の手で、クルクスは彼女の落としたライターを拾い、目の前にそれを差し出す。
35歳の大人が、ポーカーフェイスのまだ若干11歳の少女に元気を分けられた。
いや、たとえ姿形がそうであっても、投与された薬品によって精神の成熟スピードが単に速まっただけだと──ヴァレンタインは、微塵もおくびにも出さずにそう解釈する。
『……ふんっ……余計なお世話だ』
少女の手の平にあるライターを受け取ると、葉巻先端を着火し、彼女はようやくタバコにありついた。
『……それなら、安心です。……1本もらっても……?』
クルクスはヴァレンタインに対し、ダメ元でタバコを所望する──それは、彼女が口先だけの立ち直りではないことの確認も兼ねてのことだった。
『──ダメだ。お前にはまだ早い』
吸い込んだ煙が一度に吐き出されると落ち着きを取り戻したのか、冷静にそうヴァレンタインは言った。
煙は狭く薄暗い通路内に漂い、薄っすらと視界に靄をかける。
『……左様ですか』
クルクスはそれ以上何も言わず、彼女の邪魔にならない程度の距離間で静かに待機する。
数十秒後──まだ半分残るタバコを足下に投げ捨てると、それを踏みつけ火の始末をするヴァレンタイン。
枷が取り払われ覚悟を決め準備が整った彼女に対し、いかが致しますか? とクルクスは指示を仰いだ。
『圧縮空気砲──アレを確実に無力化するんだ。魂にある負の感情。あれから発射される増幅された狂気のエネルギーには注意しろ。油断せずに、覚悟してかかれッ!!』
『……マム、イエスマム……ッ!!』
その瞬間、クルクスは一直線に通路を駆けた。




