イケボおじさん、弱者たちの教祖になる
深夜3時。コンビニバイトの休憩中、俺はバックヤードの薄暗い片隅でスマホを睨んでいた。
画面には、昨日の配信のアーカイブと、増え続けるコメント。
『この声で底辺とか嘘だろ』
『なんか聞いてると落ち着くわ』
『もっと愚痴ってくれ』
登録者数は、あの一夜で「38人」になっていた。
たかが38人。だが、昨日の俺にとってはゼロだった数字だ。
喉の奥が熱い。アプリの報酬で手に入れた「イケボ」は、俺の肉体に完全に馴染んでいた。
「……ふん、チョロいもんだな」
休憩室の誰もいない空間で、わざと独り言を呟いてみる。
低く、甘く、鼓膜を直接撫でるようなバリトンボイス。
鏡に映る姿は、相変わらず油ぎったハゲかけのチビデブおやじだが、口を開けばそこには「別の誰か」がいる。
俺はニヤリと笑い、次の作戦を練った。
次の報酬目標は「登録者50人」。
報酬は『代謝機能向上(脂肪燃焼・体臭除去)』。
喉から手が出るほど欲しい。この醜い腹肉と、染みついた加齢臭と決別できるなら、何だってやる。
――ターゲットは決まっている。
俺と同じ、「持たざる者」たちだ。
◇
深夜4時。バイトから帰宅した俺は、即座に配信を開始した。
タイトルは変更する。
『眠れない夜に。社会に殺されかけている底辺たちへ』
画面は真っ暗。音声のみ。
開始と同時に、通知を受け取った昨日の視聴者たちがパラパラと集まってくる。同接15人。
「ようこそ。……今日も生き延びて、偉かったな」
第一声。
俺は意識して、昨日のような卑屈さを消し、包容力のある「兄貴分」のようなトーンを出した。
これは俺が一番欲しかった言葉だ。誰にも言ってもらえなかった言葉だ。だからこそ、こいつらに何が刺さるか痛いほど分かる。
『うわ、やっぱいい声』
『今日も仕事でミスって死にたかったけど、なんか泣けてきた』
『主も底辺なの?』
「ああ、底辺だよ。さっきまでコンビニで、年下のガキ店長に怒鳴られてたところさ」
嘘ではない事実を、イケボというフィルターを通して語るだけで、それは「哀愁漂う物語」に変わる。
コメント欄が加速する。
社会への不満、上司への殺意、女への怨嗟。
吹き溜まりのようなコメントの一つ一つを、俺は丁寧に拾い上げ、肯定し、そして扇動した。
「分かるよ。お前は悪くない。悪いのは、何も分かってない世の中だ」
「あいつらは上から目線で綺麗事を言うだけだ。俺たち痛みを知る人間だけが、本物なんだよ」
俺の言葉に、視聴者たちが酔いしれていくのが分かる。
彼らは、俺に自分自身を重ねているのだ。
そして、この「いい声」に肯定されることで、自分が救われたような気になっている。
(……馬鹿な連中だ。俺はお前らと同じゴミだが、今は「飼い主」だぞ?)
優越感が背筋を駆け上がる。
今まで誰かに見下され、踏みつけられるだけだった俺が、今は数十人の感情をコントロールしている。
これが、「承認欲求」というやつか。
いや、もっとドス黒い、「支配欲」だ。
その時、画面に派手なエフェクトが飛んだ。
【スパッチャ:¥500】
『缶ビール代にしてくれ。あんたの話、もっと聞きたい』
初めてのスパッチャ。500円。
時給の半分にも満たない額だが、俺の全身に電流が走った。
金だ。他人が、俺の喋りに価値を感じて、金を払った。
「……ありがとう。この500円は、俺の命綱だ」
感極まったような演技をして見せると、それに釣られるように少額の投げ銭が続く。
¥200、¥100、¥1000。
画面の向こうの負け犬たちが、なけなしの小遣いを俺に捧げている。
その時、アプリの通知音が鳴り響いた。
【登録者数:50人 達成】
【報酬「代謝機能向上」がアンロックされました】
来た。
配信中だが、構うものか。俺はマイクをミュートにし、震える指で『Yes』をタップした。
ドクン!!
心臓が早鐘を打つ。
全身の血管に、熱湯が流し込まれたような感覚。
全身から玉のような汗が噴き出し、皮膚の下で脂肪が燃える音が聞こえるようだった。
シャツが汗でびしょ濡れになる。
だが、その汗はいつものベたついた不快なものではなく、老廃物を全て吐き出すようなサラサラとしたものだった。
「はぁ……はぁ……ッ!」
1分ほど続いた激痛と熱が引くと、身体が羽が生えたように軽い。
腹を触る。
ベルトの上にだらしなく乗っていた贅肉が、明らかに減っている。
腕の皮膚をつまむ。弾力が違う。
そして何より、部屋に充満していた加齢臭とゴミの臭いの中に、微かに爽やかな……石鹸のような匂いが混じり始めていた。俺自身の体臭だ。
(すげぇ……本物だ……!)
鏡を見るまでもない。あのぶよぶよとした汚らしい脂肪が無くなっている。
俺はミュートを解除し、興奮を隠してマイクに向かった。
「……すまない、ちょっと席を外していた。水が美味くてな」
声に、先ほどまでとは違う「張り」が出ている。
肉体が活性化したことで、声の響きも良くなっているのだ。
『なんか声、さらに良くなってない?』
『色気が増した気がする』
『主、絶対イケメンだろ。顔出ししてくれよ』
コメント欄の熱量が一段階上がった。
俺はマスクの下で、歪んだ笑みを深める。
顔出し? まだだ。
今、この豚のような顔を晒せば、こいつらは一瞬で掌を返して離れていくだろう。
だが、待っていろ。
このまま登録者を増やし、報酬を獲得し続ければ……。
俺は、お前らがひれ伏すような「本物」になってやる。
「顔出しは……そうだな。登録者がもっと増えて、俺が自分を好きになれたら、考えてもいいかな」
思わせぶりな言葉を残し、俺は配信を切った。
登録者数、72人。
投げ銭の合計、3,800円。
俺はコンビニの制服を脱ぎ捨て、汗ばんだシャツの匂いを嗅いだ。
臭くない。
42歳、底辺おっさんの夜明けだ。
次の目標は登録者100人。
報酬は『骨格矯正』。
チビで猫背の俺が、モデルのようなスタイルを手に入れる。
(……もっとだ。もっと養分を集めろ)
俺はスマホを握りしめ、次の獲物を探すために『天使りりか』の配信アーカイブを開いた。
この女に群がる数万人の信者。
あの中から、不満を持っていそうな「予備軍」を見つけ出し、俺の沼に引きずり込んでやる。
復讐の準備は、まだ始まったばかりだ。
◇ ◇ ◇
【底辺】Kenの配信について語るスレ Part1【イケボ】
1 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:15:00
最近出てきたKenって奴、見たことある?
底辺アピールすごいけど、声だけ異常に良くね?
2 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:16:23
>>1
見た見た
おっさんの愚痴かと思ったら、声が深夜ラジオのパーソナリティで草
機材何使ってんだろ
3 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:18:45
どうせ「設定」だろ
中身は売れない声優とかじゃね?
一般人であの声は出せんわ
4 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:22:10
でも言ってる内容はガチっぽかったぞ
コンビニの廃棄弁当の話とかリアルすぎて泣いた
俺も社畜だから刺さるわ……
5 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:25:33
りりかの配信が金の話ばっかで冷めてたから、こっち見てる
なんか妙なカリスマ性あるよなこの主
宗教始まりそうw
6 名無しさん@配信中:202X/XX/XX(金) 04:28:00
>>5
わかる
傷の舐め合い最高
飽きるまではしばらくここ通うわ




