10 その微笑みは、もう嘘じゃない
『天使りりか』の配信画面は、もはや配信と呼べる代物ではなかった。
『なんで……なんでよ! 行かないで!』
『私を見なさいよ! 私が一番可愛いのよ!』
画面の中で、かつての女王が泣き叫んでいる。
だが、その声は誰にも届かない。
右肩下がりだった同接数は、ついに底が抜けたように垂直落下を始めた。
【現在の視聴者数:12,050人】
【現在の視聴者数:8,400人】
【現在の視聴者数:3,200人】
まるで砂時計の砂が落ちるように、人が消えていく。
コメント欄は、別れの言葉ですらなく、ただ機械的な『登録解除しました』というシステムログだけが高速で流れていく墓場と化した。
『待って、待ってよぉ……! 私が悪かったから! 謝るから!』
りりかがカメラにしがみつき、厚塗りのメイクを涙で溶かしながら懇願する。
だが、止まらない。
俺がかけた「呪い」は絶対だ。
彼らはもう、りりかの声など聞こえていない。ただ「聖羅」の命令に従い、過去の女を切り捨てていく。
【現在の視聴者数:50人】
【現在の視聴者数:5人】
そして、ついに。
【現在の視聴者数:1人】
広いスタジオのような配信部屋に、静寂が訪れた。
りりかが、虚ろな目で画面を見つめる。
数字は「1」。
ゼロではない。まだ、誰か一人が見ている。
『……誰?』
りりかが、縋るように呟いた。
最後のファン。私を見捨てなかった、たった一人の理解者。
そんな希望が、彼女の表情に微かに灯る。
『ねえ、誰なの? コメントしてよ……私、頑張るから……』
俺は、コンビニコーヒーを飲み干し、キーボードに手を置いた。
ああ、りりか。
お前は最後まで、ピエロだったな。
俺は、最後のコメントを打ち込み、エンターキーを叩いた。
聖羅:『りりかちゃん、バイバイ。ゆっくり休んでね』
画面に表示された名前に、りりかの目が限界まで見開かれる。
希望が、絶望へと反転する瞬間。
俺はマウスを操作し、画面上の「登録済み」ボタンをクリックした。
【聖羅 さんが登録を解除しました】
配信者用の管理画面に、その通知が冷酷に表示されたはずだ。
最後の1人は、ファンではなかった。
お前の死に様を見届けるための、死神だったんだよ。
『あ…………あぁ…………』
りりかの口から、空気の抜けるような音が漏れた。
そして。
『いやぁああああああああああああああああ!!!』
耳をつんざくような絶叫と共に、りりかが発狂し、カメラを殴り倒した。
ガゴッ、という不快な音と共に、配信が途切れる。
画面が暗転し、「配信は終了しました」の文字が浮かんだ。
「……お疲れ様」
俺は静かにブラウザを閉じた。
胸の奥にあるのは、空虚さなどではない。
腹の底から湧き上がる、極上の達成感と優越感だ。
勝った。
底辺だった俺が、頂点を食い殺したのだ。
◇ ◇ ◇
それから、半年が経った。
「いらっしゃいませー! あ、山下さん! 今日もお疲れ様ですっ!」
昼下がりのコンビニ。
俺――聖羅は、常連のくたびれたサラリーマンに、心からの笑顔を向けていた。
今の俺は、この街で知らぬ者のいない「伝説の看板娘」だ。
「聖羅ちゃんに会うと、元気が出るよ……ありがとう」
「えへへ、こちらこそ! この温かいお茶で、午後も無理せず頑張ってくださいね」
お釣りと一緒に、そっと手を添えて渡す。
おじさんの顔に、ぽっと赤みが差し、疲れ切っていた表情が柔らかく緩んだ。
その背中を見送りながら、俺はふと思う。
(……昔の俺も、こんなふうに誰かに笑いかけてほしかったんだな)
かつては「チョロい」「養分だ」と見下していた男たち。
けれど今は違う。
俺が好意を向ければ、彼らもまた、純粋な好意で返してくれる。
「強者」の身体を手に入れたことで、俺の周りには優しい世界が広がっていた。
その温かさが、長い間こびりついていた俺の中のルサンチマン――社会への怨嗟を、ゆっくりと溶かしてくれたのだ。
そして、夜。
「みんな~! こんばんは、聖羅ですっ!」
配信をつければ、そこには数十万人のリスナーが待機している。
『天使りりか』が消え、名実ともにトップとなった俺のチャンネルは、以前のような殺伐とした空気が消え、不思議なほど穏やかな場所になっていた。
配信を終えたあと、俺はスマホでとある「底辺配信者」の枠を覗きに行った。
視聴者数は、わずか50人ほど。
だが、画面の中の彼女――『リリー』と名を変えたりりかは、以前のような厚塗りメイクをやめ、憑き物が落ちたように楽しそうにゲーム実況をしていた。
彼女を完膚なきまでに叩き潰した『あの日』からしばらく経ったころ。
全てを失って絶望していた彼女に俺は匿名で連絡を取った。
新しい機材と、少しの生活費、そして「もう一度、数字なんか気にせず、好きなことをやってみたら?」というメッセージを添えて。
今の彼女は、10万人の時よりもずっと、幸せそうに見える。
(……これで、よかったんだよな)
俺はそっと配信を閉じた。
彼女もまた、この競争社会で必死にもがいていた一人だったのだから。
【登録者数:500,000人】
数字は増え続けている。
だが、俺はもう、数字のためだけに彼らを利用しようとは思わない。
(俺がこの奇跡を手に入れられたのは、たまたま運が良かっただけだ)
アプリという偶然がなければ、俺は今もあの薄暗い部屋で、誰かを呪いながら腐っていただろう。
だからこそ、俺はこの幸運を独り占めしてはいけない気がする。
かつての俺のような「持たざる者」たちに、少しでも夢や癒やしを与えていくこと。
それが、この身体を手に入れた俺の役割なのかもしれない。
「……よし、明日も頑張るか」
俺は鏡の前に立った。
そこに映るのは、世界で一番美しい「聖女」の姿。
その瞳は、もう濁ってはいない。
初心忘るべからず。
傲慢になれば、いつまたあの日々に逆戻りするか分からないのだから。
俺は鏡の中の自分に向かって、優しく微笑んだ。
その笑顔は、作り物ではない、心からの聖女の顔をしていた。
(完)
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最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
最後、投稿時間を色々と変えてみましたが、多くの方に読んでいただけて感謝の気持ちでいっぱいです。
底辺おっさんの成り上がりと救済の物語、楽しんでいただけましたでしょうか?
もし「面白かった!」「スカッとした!」「聖羅ちゃん幸せになれ!」
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