堕ちた天使の断末魔
一仕事終えて帰宅した俺はコンビニで買ってきた一番高いプレミアムロールケーキを皿に乗せ、同じくコンビニのドリップコーヒー(Lサイズ・高級豆)を一口すすった。
まだ高価なコーヒーメーカーを買う余裕はない。
配信で稼いだスパッチャは莫大な額になっているが、実際に口座に振り込まれるのは来月末だからだ。
今の俺の財布の中身は、相変わらずコンビニバイトの給料だけ。この味が一番落ち着くのも無理はない。
パソコンのモニターには、美しい右肩上がりのグラフが表示されている。
【聖羅:登録者数 8.5万人(↑急上昇)】
【天使りりか:登録者数 6.2万人(↓激減)】
あの放送事故から数時間。俺のチャンネルには、行き場を失ったりりかの難民たちが雪崩を打って押し寄せていた。
俺は甘いクリームを舌で転がしながら、ついさっきまでのスタジオでの出来事を反芻する。
◇
(……いやぁ、酷かったな)
配信が切断された直後のスタジオは、まさに地獄絵図だった。
取り押さえられたマネージャーは「聖羅ちゃん! 俺を見てくれ! 愛してるんだ!」と涎を垂らして叫び続け、りりかは「裏切り者! 死ね! みんな死ね!」とヒステリックに暴れ回っていた。
そんな中、俺の周りにはハエのように男たちが群がってきた。
「せ、聖羅ちゃん! 君は逸材だ! ぜひウチの事務所に!」
「写真! 写真撮らせて! 個撮させてくれたらギャラは弾むから!」
名刺を突き出してくるプロデューサー気取りの男や、鼻息の荒いカメラマンの田所。
実際に会う前までは俺を「加工厨のブス」と見下していたであろう連中が、今や俺の靴を舐めんばかりの勢いだ。
俺は怯えたように身を縮め、上目遣いで彼らを見上げた。
「ごめんなさい……私、こういうの初めてで、怖くて……。今日は帰らせてください……」
魅了スキルを乗せた、か細い拒絶。
男たちは「ああっ、ごめんね!」「無理しなくていいよ!」と勝手に反省し、モーゼの海割りのように道を開けた。
チョロい。本当にチョロすぎる。
俺はペコペコと頭を下げながら、心の中で中指を立ててスタジオを後にしたのだった。
◇
「……ふふっ」
思い出し笑いが漏れる。
スマホがブブブと震える。画面には『りりかマネージャー』の文字。
スタジオで拘束された後も、隙を見て送ってきているのだろう。通知欄が彼の愛の告白で埋め尽くされている。
俺は鼻で笑い、着信拒否に設定した。
用済みだ。りりかを裏切るような男は、俺の犬になる資格すらない。
一方、画面の向こう側では、見るも無惨な『断末魔のショー』が幕を開けていた。
『天使りりか』が緊急生配信を始めたのだ。
タイトルは『真実を話します。聖羅に嵌められました』。
俺はコーヒーを片手に、その面白そうな配信を開いた。
画面に映った彼女は、目を覆いたくなるような有様だった。
髪は乱れ、目は充血し、厚塗りのメイクも涙で崩れてドロドロになっている。
暴れたのか、背後の部屋も荒れ放題で、どこか狂気じみた空気が漂っていた。
『みんな、聞いて……! あいつは悪魔よ!』
りりかが金切り声を上げる。
『すっぴんとか嘘だから! あれ絶対、特殊メイクだから! それに、あいつ私の彼氏を……ううん、マネージャーを誘惑したの! 色仕掛けで洗脳したのよ! あんなの汚い枕営業と一緒じゃない!』
見苦しい。あまりにも見苦しい。
彼氏の存在を自ら認めつつ、それを「誘惑された被害者」という文脈ですり替えようとしている。
だが、今の彼女に味方する者は少なかった。
『見苦しいぞ』
『彼氏いたのは事実だろ』
『聖羅ちゃんの悪口言うな』
『顔が怖い』
コメント欄はアンチと、失望した元ファンたちの罵倒で溢れている。
りりかはコメントを読むたびにヒステリックになり、机を叩き、喚き散らす。
『うるさいうるさい、うるっさい! 私は悪くない! 私が一番可愛いの! お前ら私のファンだろ!? なんであんなぽっと出の女の味方すんのよ!』
かつての「天使」の面影はない。
そこにいるのは、承認欲求と嫉妬に食い殺された、ただの醜い女だった。
(……ああ、もう見てられないな)
俺はロールケーキの最後の一口を飲み込み、ため息をついた。
ここまで堕ちると、俺が引き金となったとはいえ、見ている方が辛くなってくる。
彼女はもう、配信者として死んでいる。あとは誰かが引導を渡してやるだけだ。
俺は自分の配信準備を始めた。
タイトルはシンプルに、『りりかちゃんのこと』。
配信開始ボタンを押す。
瞬く間に、数万人の視聴者が集まる。
りりかの配信を見ていた層も、こちらに流れてきているようだ。
「みんな……こんばんは」
俺は沈痛な面持ちで、カメラを見つめた。
照明を落とし、儚げな美少女が憂いている絵面を作る。
「りりかちゃんの配信、見た? ……私、悲しいよ」
俺は胸に手を当て、声を震わせる。
「あんなに取り乱したりりかちゃん、見たくないよね。きっと、疲れちゃってるんだと思うの。……私のせいで」
自責の念に駆られる聖女。
視聴者たちは『聖羅ちゃんは悪くない』『あいつが勝手に自滅しただけ』と擁護する。
「ううん、違うの。私がいるから、りりかちゃんは苦しんでる。比べられちゃうのが辛いんだと思う。……だからね」
俺は真っ直ぐにカメラを見据えた。
その瞳に、催眠スキルの魔力を込めて。
「私、みんなにお願いがあるの。りりかちゃんを、楽にしてあげてほしいの」
【スキル「催眠音声」発動】
俺の声が、視聴者の脳髄に深く、優しく突き刺さる。
「これ以上、彼女が傷つくのを見たくないでしょ? 彼女の醜い姿を、見たくないでしょ? ……だったら、もう見ないであげて。関わらないであげて」
そして、俺は最後の「呪い」を吐き出した。
「もし、本当に私のことが好きなら。私だけを見てくれるなら。……今すぐ、『あっち』の登録を解除してきてくれるかな?」
それはお願いではない。命令だ。
「私(聖羅)」を選ぶか、「過去の女」を選ぶか。
踏み絵を突きつけたのだ。
コメント欄が、一瞬止まり――そして、爆発した。
『分かった』
『聖羅ちゃんがそう言うなら』
『介錯してくる』
『さよならしてくる』
それはもはや、ファンの応援などではない。
俺の言葉一つで動く、訓練された軍隊の行進だ。
モニターを埋め尽くす文字の奔流が、物理的な熱を持って俺の肌を焼く錯覚さえ覚える。
俺はサブモニターに映る『天使りりか』の配信をチラリと見た。
彼女はまだ、自分が何をされたのか気づいていない。
ただ喚き、当たり散らし、被害者ぶることで自分の首に巻きついた縄を自ら締め上げている。
(……哀れだな)
これから彼女を襲うのは、罵倒や炎上ではない。
「無関心」という名の、最も残酷な死だ。
数万人が一斉に背を向け、去っていく恐怖。
承認欲求で膨れ上がった彼女の精神は、その落差に耐えられないだろう。
数万の兵隊が、一斉に行軍を開始する。
向かう先は、りりかの処刑場だ。
こみ上げてくる笑いを、もう抑えきれそうにない。
俺はカメラに映り込まないよう、とっさにうつむいて顔を伏せた。
垂れ落ちた長い黒髪のカーテンの奥、モニターの影でだけ、俺の唇は三日月のような弧を描いていた。
さあ、フィナーレだ。
直接手を下す必要さえない。
「数字」という暴力で、引導を渡してやる。




