第5話 夜の礼拝堂で、鍼を打つ
治療は、夜に行うことになった。
王都へ向かう準備の前に、どうしても――というリリアの希望だった。
礼拝堂には、誰もいない。
灯された蝋燭が、静かに揺れている。
聖女の治療を他人に見せないため、という建前。
だが、理由はそれだけじゃない。
(……限界、近いな)
リリアの循環は、昼よりもさらに乱れていた。
気を張っている間は持つが、緩めると一気に崩れる。
「……緊張、解いて」
俺がそう言うと、リリアは苦笑した。
「無理です」
「じゃあ、目閉じて」
「それも……」
「指示に従えない患者は、治療しない」
少し強めに言う。
彼女は、驚いたように俺を見てから――小さく息を吐いた。
「……はい」
石の床に敷かれた布の上で、リリアが横になる。
聖女が、無防備に。
その事実だけで、どれほど異常か。
だが俺は、余計なことを考えない。
(集中)
一本目を、慎重に打つ。
――瞬間。
「……っ」
リリアの喉が、小さく鳴った。
「苦しい?」
「いえ……違います」
彼女は、戸惑った声で言う。
「胸の奥が……静かに、なっていく」
当然だ。
ずっと無理やり押さえつけてきた流れを、解いている。
二本目。
三本目。
少しずつ、少しずつ。
「……ねえ、レン」
彼女が、目を閉じたまま呟いた。
「私、聖女になってから……誰かに“大丈夫?”って聞かれたこと、ありません」
俺は、手を止めない。
「そういう立場だろ」
「ええ」
静かな笑い声。
「だから……今、変なんです」
「何が」
「怖いのに、安心してる」
沈黙が、礼拝堂を満たす。
鍼を打つ音だけが、微かに響く。
「……治療師って」
リリアが、ぽつりと続けた。
「人の体を、こんなに真剣に見ていい仕事なんですね」
俺は、少しだけ言葉を選んで答える。
「見ないと、治せない」
「でも……壊れてるって、分かるじゃないですか」
その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。
「……分かる」
前世の記憶が、よぎる。
治せなかった人。
間に合わなかった時間。
「だから、逃げたくなることもある」
「それでも?」
「それでも、手を離したら終わりだ」
リリアは、しばらく黙っていた。
やがて、小さな声で言う。
「……私、聖女を辞めたら、何も残らないと思ってました」
鍼を、一本抜く。
「違う」
「え?」
「今みたいに苦しくなるのも、怖くなるのも……生きてる証拠だ」
最後の一本を抜いたとき、彼女の循環は――
完全ではないが、明らかに安定していた。
「今日は、ここまで」
俺は、そう告げる。
「……治った、わけじゃないんですね」
「長年の歪みだ。一晩でどうにかなるなら、俺はいらない」
リリアは、少し考えてから、ふっと笑った。
「……それ、安心します」
起き上がった彼女の顔色は、確実に良くなっている。
だがそれ以上に――
表情が、柔らかかった。
「ありがとうございます。レン」
聖女としてではなく、
一人の人間としての礼だった。
俺は、軽く頷く。
「無理するな。治療は、続ける」
「……はい」
礼拝堂を出るとき、リリアが小さく呟いた。
「ねえ、レン」
「?」
「……私、ちゃんと“患者”でいられますか」
俺は振り返らず、答えた。
「それが一番、難しい」
――だからこそ、価値がある。
そう言葉にはせず、夜の空気を吸い込んだ。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




