第32話 満ちた限界
朝から、列はできていた。
いや、正確には――夜のうちから、途切れていなかった。
「……まだ、こんなに」
リリアが、小さく息を呑む。
焚き火の周囲に、人が折り重なるように座っている。
眠っている者。
起きたまま、じっとこちらを見ている者。
期待と不安が、同じ目に宿っている。
(……追いつかない)
俺は、鍼を握ったまま、列を見渡した。
昨日より多い。
一昨日よりも、確実に。
午前中だけで、十数人を診た。
軽症もいれば、重症もいる。
戦場帰りだけでなく、長く痛みを抱えた民間人も混じっている。
全員を診たい。
だが。
手が、わずかに震えた。
(……疲労じゃない)
違う。
判断疲れだ。
誰を先にするか。
どこまで治すか。
戻れる状態にするのか、留めるのか。
選び続けることが、確実に消耗を生んでいる。
「次の方、どうぞ」
声に出した瞬間、数人が同時に立ち上がった。
「俺だろ」
「いや、私の方が重い」
「昨日も待ったんだぞ」
言い争い。
以前なら、起きなかった光景だ。
「落ち着いてください」
リリアが、必死に声を張る。
「全員、順番に診ます」
――その言葉に、胸が痛んだ。
(……嘘になる)
診られない可能性が、もう見えている。
昼過ぎ、俺は一人の男を前にして、動きを止めた。
王国兵。
致命傷ではない。
だが、放置すれば長引く。
視る。
(……後回しで、いい)
そう判断した瞬間、隣から声がした。
「……どうして、俺じゃない」
次に控えていたのは、民間人の女だった。
脚を引きずっている。
「昨日から、待っているんです」
その言葉に、周囲の視線が集まる。
俺は、ゆっくりと息を吸った。
「……今日は、ここまでだ」
一瞬、空気が凍った。
「え?」
「今日は、これ以上診ない」
はっきりと言った。
「明日、また来てくれ」
ざわめきが広がる。
「そんな……」
「ここまで待ったのに」
「治療師がいるって聞いたのに」
責める声ではない。
だが、失望が混じっている。
それが、一番きつい。
「レン……」
リリアが、小さく呼ぶ。
俺は、首を振った。
「無理だ」
それ以上、手を動かせば、判断が鈍る。
判断が鈍れば、誰かを壊す。
その夜、治療所の外は、静かではなかった。
小さな不満。
ため息。
囁き。
「……あの人、診てくれなかった」
「思ったより、助からない」
「ここに来れば、全部治るって……」
焚き火の火が、揺れる。
俺は、鍼を拭きながら、じっと聞いていた。
怒鳴られるより、辛い。
期待が、静かに剥がれていく音。
リリアが、隣に座る。
「……間違っていません」
彼女は、そう言った。
「分かってる」
分かっている。
だが。
「それでも……」
言葉が、続かない。
全員を診られない。
それを、初めて現実として突きつけた。
夜が深まる。
列は、短くなった。
だが、人はいなくならない。
(……満ちたな)
この場所は、もう限界だ。
救いが、
重さに変わる境界線。
俺は、鍼をしまった。
――治療師は、
無限ではない。
それを認めた瞬間、
物語が進んだ。
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