第28話 拒否権
灰の谷での出来事は、思った以上に早く王都へ届いた。
俺が呼び出されたのは、非戦闘区域の設置から三日後。
場所は、以前と同じ会議室だった。
だが、空気は違う。
(……決まってるな)
議論ではない。
確認だ。
「治療師レン」
軍部の男が、開口一番に言った。
「灰の谷での“衝突回避”は評価されている」
評価、か。
「限定停戦が成立したことで、
戦線全体の再配置が可能になった」
つまり――使える。
「そこで、提案だ」
彼は、書類を差し出す。
「灰の谷を中心とした“緩衝地帯”を拡大する」
嫌な予感が、形を持つ。
「治療行為は、引き続き君が担当する」
「……条件は」
俺が問うと、男は躊躇いなく言った。
「治療対象を、王国が指定する」
来た。
「重要人物、指揮官、交渉要員……」
淡々と、列挙される。
「彼らを優先的に治療し、
停戦を“維持”してもらいたい」
維持。
言い換えれば、管理だ。
俺は、静かに書類を置いた。
「断る」
即答だった。
会議室が、ざわめく。
「理由は」
軍部の男の声が、低くなる。
「治療は、命の順番を決める行為だ」
俺は、はっきりと言う。
「その順番を、俺以外が決めるなら」
一拍置いて。
「俺は、関わらない」
「感情論だ!」
別の貴族が、声を荒げる。
「国家が関わる以上、効率が必要だ!」
効率。
前世でも、何度も聞いた言葉。
「効率のいい命と、
そうでない命があると?」
沈黙。
誰も、否定しない。
そこへ、リリアが立ち上がった。
「……私からも、お願いします」
会議室が、再び静まる。
「聖女様?」
彼女は、深く息を吸う。
「治療を、交渉材料にしないでください」
震えているが、逃げない。
「それは、救いではありません」
軍部の男が、苛立たしげに言う。
「理想論です」
「そうかもしれません」
リリアは、頷いた。
「でも……理想を捨てた救いに、意味はありますか」
その問いは、重かった。
ヴァルドが、静かに口を開く。
「……治療師レン」
「はい」
「君は、条件付きで協力する気はないか」
最後の逃げ道。
俺は、首を振る。
「ありません」
はっきりと。
「治療は、武器じゃない」
二度目の拒否。
前回よりも、重い。
会議室に、長い沈黙が落ちた。
やがて、軍部の男が言った。
「……分かった」
不本意そうに。
「緩衝地帯の拡大案は、凍結する」
勝利ではない。
だが――踏みとどまった。
会議が終わり、廊下に出る。
リリアが、隣に並ぶ。
「……怖くなかったですか」
「怖い」
正直に答える。
「でも、譲ったら終わりだ」
彼女は、静かに頷いた。
「私も……同じです」
その言葉が、何より心強い。
(これで、後戻りはできない)
俺は、そう理解していた。
治療師に、
拒否する権利があることを示してしまった以上。
この戦争は、
もう“便利な形”では進まない。
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