第24話 灰の谷へ
灰の谷は、地図よりも静かな場所だった。
かつて激戦があった名残か、
地面は黒く焼け、草はまばらにしか生えていない。
風が吹くたび、細かな灰が舞い上がる。
「……嫌な場所だな」
同行してきた王国側の護衛が、低く呟いた。
無理もない。
ここは、どちらの領土でもない。
勝者も、敗者もいない場所。
――境界だ。
俺は、谷の入り口で立ち止まった。
(……来てるな)
視える。
人の気配。
魔族の気配。
互いに、まだ距離を保っている。
「レン」
後ろから、リリアが声をかける。
今日は聖女の装いだ。
だが、その表情は王都にいた頃とは違う。
「ここから先は……」
「一人で行く」
俺が言うと、護衛が即座に反応した。
「危険です!」
「魔将が相手だぞ!」
「分かってる」
それでも、首を振る。
「ここは、武器を持ち込む場所じゃない」
沈黙。
リリアが、一歩前に出た。
「……私も、ここで待ちます」
強い声だった。
「戻ってきてください。必ず」
それは命令ではない。
信頼だ。
俺は、頷いた。
「必ず」
そう言って、谷へ足を踏み入れる。
谷の中央に、石が一つ置かれていた。
即席の、会談の場。
その向こう側に、立っている影がある。
細身の少女。
黒い外套。
――エルシア。
彼女の循環は、以前より落ち着いている。
だが、完全ではない。
(……無理は、続いてるな)
「来たか、治療師」
彼女の声は、風に紛れて届く。
「約束通りだ」
俺は、石の手前で立ち止まる。
「護衛は?」
「いない」
「嘘はついていないようだ」
彼女は、小さく笑う。
「信用されていないのは、お互い様だな」
その通りだ。
しばらく、沈黙が流れる。
谷を渡る風の音だけが、二人の間を通り過ぎる。
「……戦争を、止めたいと言ったな」
俺が切り出す。
「ああ」
即答。
「だが、王国は応じない」
「知ってる」
それも、即答。
「だから、ここに来た」
エルシアは、俺を見る。
「あなたは、戦場を離れた」
「結果的にな」
「それでも、人を治している」
彼女の視線は鋭い。
「なぜだ」
核心だった。
俺は、少し考えてから答える。
「壊れたからだ」
「?」
「壊れた人間は、立場に関係なく、壊れている」
兵も。
魔族も。
「治す理由は、それだけで十分だ」
エルシアは、目を伏せた。
風が、灰を巻き上げる。
「……魔族は、戦わなければ滅びる」
低い声。
「生まれた時から、そう教えられている」
「壊れながら?」
「ああ」
彼女は、自嘲気味に笑う。
「だから、あなたの治療は……危険だ」
「なぜ」
「“壊れなくても生きられる”と、知ってしまう」
その言葉が、重かった。
「知ってしまった者は、もう戻れない」
それは、王国側にも言える。
治療で生き延びた兵が、
もう以前の自分には戻れないように。
「……それでも」
俺は、静かに言う。
「壊れたまま生きるより、いい」
エルシアは、しばらく黙っていた。
やがて、顔を上げる。
「次は、条件の話だ」
空気が、変わる。
「この会談が、無駄にならないための」
彼女の目に、将としての光が宿る。
――ここからが、本番だ。
灰の谷は、まだ静かだった。
だが、その静けさは、
嵐の前のものに過ぎない。
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