第23話 敵からの使者
それは、夜明け前だった。
戻る場所の扉を叩く音が、静寂を破る。
――三度。
控えめで、だが迷いのない叩き方。
(……兵じゃない)
俺は、鍼を置き、ゆっくりと立ち上がった。
扉を開けると、そこに立っていたのは――魔族だった。
黒い外套。
角は小さく、武装はしていない。
そして、胸元には白布が巻かれている。
「……失礼する」
低いが、落ち着いた声。
「ここが、“治さない治療師”の場所で間違いないか」
その呼び方に、胸が少しざわつく。
「用件は」
俺が短く問うと、魔族は一歩下がり、頭を下げた。
「我が主――魔将エルシアの命により、参った」
来たか。
「彼女は、まだ生きている」
それは、報告であり、牽制でもあった。
「そして……あなたに、借りがある」
リリアが、奥から現れる。
魔族を見るなり、息を呑む。
「……話を、聞かせてください」
彼女の声は、震えていない。
魔族は、静かに頷いた。
「短く済ませよう」
彼は、室内に足を踏み入れない。
境界線を、守っている。
「魔将エルシアは、あなたの治療以降、戦場に出ていない」
意外な言葉だった。
「……なぜだ」
「戦えなくなったからではない」
一拍置いて。
「“壊れたまま戦う”ことを、拒んだからだ」
空気が、張り詰める。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「それで?」
「和平を望んでいる」
はっきりと。
リリアが、思わず一歩前に出る。
「……本気、ですか」
「本気だ」
魔族は、迷いなく答えた。
「だが、王国は応じない」
予想通りだ。
「だから」
魔族の視線が、俺に向く。
「あなたに、頼みがある」
嫌な予感が、確信に変わる。
「“治療師”としてではない」
彼は、言葉を選ぶ。
「“境界に立つ者”として、会ってほしい」
沈黙。
治療でも、戦闘でもない。
対話だ。
「……俺を、信用する理由は」
魔族は、少し考えてから答えた。
「あなたは、敵を治した」
「それだけか」
「それだけで、十分だ」
その理屈が、妙に重かった。
リリアが、俺を見る。
「……危険です」
「分かってる」
カナンがいたら、何と言うだろうか。
おそらく、止める。
だが同時に――理解もする。
「返事は、今すぐでなくていい」
魔族は、一歩下がる。
「三日後、灰の谷」
聞き覚えのある地名。
戦場の境界線。
「来なければ、それまでだ」
そう言って、彼は闇に溶けた。
扉を閉めると、リリアが小さく言った。
「……戦争を、止める話ですか」
「可能性の話だ」
俺は、正直に答える。
可能性は、いつだって不確かだ。
だが。
(治療を“拒んだ”魔将がいる)
それは、無視できない事実だった。
俺は、鍼を見つめる。
治すことでも、治さないことでもない。
話すことで、何かが変わるかもしれない。
――治療師が、境界に立つ理由は、十分すぎた。
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