第16話(閑話) 治療師の夜
夜の診療所は、静かだった。
昼間は人の気配が途切れないこの場所も、
今は、俺一人の呼吸音だけが響いている。
鍼を一本、布で拭く。
特別なものじゃない。
どこにでもある、細い金属片。
(……ここまで来たな)
王都に居場所を得た。
追い出されず、だが迎え入れられたわけでもない。
中途半端な立場。
けれど、それが今の俺にはちょうどよかった。
扉の外で、足音が止まる。
「……まだ、起きてますか」
リリアだった。
「どうぞ」
彼女は、聖女の装いではなく、
簡素な外套を羽織っている。
「今日の治療、ありがとうございました」
「礼を言われるほどじゃない」
いつものやり取り。
だが、少しだけ間が空く。
「……レン」
彼女が、珍しく言葉を探す。
「私、最近思うんです」
「何を」
「回復魔法は、“元に戻す”力です」
静かな声。
「でも……あなたの治療は」
一拍置いて。
「“進ませる”ものなんですね」
思いがけない言葉だった。
俺は、少し考えてから答える。
「戻れない人間もいる」
「はい」
「だったら、止まった場所から、別の道を探すしかない」
リリアは、ゆっくりと頷いた。
「……怖くありませんか」
「何が」
「元に戻せない選択を、すること」
正直な問いだ。
俺は、鍼を置き、天井を見上げる。
「怖い」
即答だった。
「でも、戻れないって分かった時点で、
元に戻そうとする方が残酷なこともある」
前世の記憶が、微かによぎる。
治せなかった患者。
延命だけを続けた時間。
「……それでも」
俺は、リリアを見る。
「手を離さないことは、できる」
彼女は、少しだけ目を潤ませて笑った。
「それが……治療師なんですね」
「さあな」
照れ隠しに肩をすくめる。
しばらく沈黙が続く。
やがて、彼女が立ち上がる。
「そろそろ、戻ります」
「無理するな」
「あなたも」
そう言って、扉に向かう。
その背中を見て、ふと思う。
(……嵐の前だ)
この静けさは、長くは続かない。
王都の外では、戦が続いている。
回復魔法では届かない場所で、
人が壊れ続けている。
机の上に置かれた一通の書状。
騎士団の印。
まだ、開いていない。
(いずれ、呼ばれる)
分かっている。
治療師は、
人が壊れる場所に呼ばれる存在だ。
俺は、最後の一本を丁寧にしまった。
「……次は、戦場か」
呟いた言葉に、答える者はいない。
ただ、夜風が静かに吹き抜ける。
――治療師の物語は、
まだ、始まったばかりだ。
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