静寂の回復と変調
杏が、笑い声を残して部室を出ていった。
ドアが閉まると、世界は再び静かになった。
窓の外では、放課後の風がカーテンを揺らしている。
光が少し傾き、机の影がゆっくりと伸びていく。
ペンの影と、澄音の指先が、同じ速度で沈黙の中に溶けていった。
――静かだ。
けれど、さっきまでの静けさとは、どこか違う。
空気のどこかに、言葉の“残響”が漂っている気がした。
さっき口にした軽口が、まだ空中で形を失わずに浮かんでいるような。
言葉は目に見えない筋肉を持ち、まだこの部屋に息づいている。
澄音はゆっくりとノートを開いた。
続きを書こうとして、ペンを動かす。
――す、と紙の上に現れた文字は、
「筋」。
澄音は思わず息を止めた。
ペン先が、その一文字の上で小刻みに震える。
「……詩の中に、筋肉は似合わない。」
苦笑して、線を引いて消す。
だが、インクの下に残る跡が、なぜか完全には消えなかった。
その痕を眺めながら、澄音はぽつりと呟く。
「けれど――今日の沈黙には、少し力がある。」
言葉のない時間が、静かにその言葉を包み込む。
時計の針がコツ、コツと音を立て、
まるで沈黙そのものが、彼女の胸の奥で呼吸しているようだった。
夕陽がノートを照らす。
インクの黒が、かすかに赤みを帯びて光る。
詩人の放課後に、小さな異物が芽吹いた。
それはまだ名もない感情で、筋肉のように形を持たない。
けれど、確かに“力”の萌芽だった。




