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『筋肉の詩(うた)を、君に。』 ――笑われる勇気を、青春と呼ぶなら。  作者: 南蛇井


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文芸部室とボディービル部室の往復 ― “精神と肉体の融合”

放課後の校舎には、夕焼けがじわりと染み込み、廊下に長い影が伸びていた。

澄音は、その影の帯をひとつずつ踏みしめるように歩いていく。


まずは文芸部室へ向かう。

その道のりは、まるで図書館へ入る前のように空気が静まり返っている。

足音すら吸い込まれてしまうような、柔らかな沈黙。


けれど、文芸部の扉を閉めてしまうと、今度は反対側――ボディービル部室へ向かう自分がいる。

鉄の音、汗の匂い、鼓動が跳ねるような「動」の気配。


どちらが本当の自分なのか。

澄音にはまだ分からない。

静かな言葉の世界に身を置くべきなのか、

身体を震わせて立ち向かう世界に飛び込むべきなのか。


どちらの部室にも、半分だけ足を突っ込んだまま。

逃げることもできず、選ぶこともできない。


ただ――歩く速度は一定だった。

急がず、遅れず。

走るでもなく、立ち止まるでもない。


その曖昧な歩みこそが、今の澄音そのものだった。

決めきれない自分を抱えたまま、それでも前へ進もうとする、ぎこちないリズム。


今日も、夕焼けの影を踏み越えながら、澄音はふたつの部室へ向かう。

どちらへ向かう足取りにも、同じ重さと、同じ静けさを携えて。



文芸部室の扉を開けると、いつもの静謐が迎えてくれた。

古い木の机、すこし黄ばんだ蛍光灯、棚に並ぶ文集。

紙とインクの匂いが、深呼吸すると胸の奥にゆっくり沈んでいく。


澄音は定位置の机に腰を下ろし、ノートを開いた。

今日の景色、今日の痛み、今日の自分。

それらを、言葉へと落とし込む時間が始まる。


ペン先が動くにつれて、筋肉の痛みが比喩へ姿を変えていく。


――太腿の奥の鈍い痛みは、

  言葉にし損ねた想いの残響。


かつての澄音のノートは、

「繊細で弱い自分を記録する場所」だった。

ひび割れたガラスをそっと撫でるように書く、そんな作業だった。


だが最近は違う。

壊れた部分が、ゆっくり積み直されていく瞬間を、

どうしても言葉にしたくなる。


筋肉痛すら、再生の証として眺めてしまう自分がいる。


ペンを走らせていると、ふと足が震えた。

スクワットの余韻だ。

以前の澄音なら「あ、もう無理だ」と机に突っ伏していたかもしれない。


だが今は――


澄音(心の声)

「これも……今日、生きた証か……」


震えを嫌わず、そのまま一行を書き足す。

揺れ続ける身体の奥に、かすかに灯る火を、澄音は確かめるように。


文芸部室で静かに言葉を積んだあと、

澄音はそっとノートを閉じる。

深く息を吸い、立ち上がると――気配が切り替わる。

まるで胸の奥のスイッチが「静」から「動」へ倒れるように。


向かう先は、汗と鉄の匂いが満ちたボディービル部室。


扉を開けた瞬間、空気が一変する。

金属が触れ合う高い音。

呼吸の荒いリズム。

坂井先輩の低く通る声。

どれも、文芸部室にはない“熱”だった。


澄音は軽くストレッチをし、

スクワットのラックの前に立つ。


膝を曲げる。

足裏が床を押し返す。

太腿の奥がじん、と熱を持つ。

そこに、坂井の声が刺さる。


坂井

「そこで逃げると形が崩れるぞ。」


澄音の肩がわずかに震える。

だが、今の澄音はその震えを“悪いもの”とは思わない。


坂井

「震えてるなら、ちゃんと支えてやればいいだけだ。」


その短い言葉が、澄音の内側で

詩の行のように意味を持ち始める。


かつての澄音なら、

「叱られた」と怯えて縮こまってしまっただろう。


だが今は――


澄音(心の声)

「……そうか。逃げると崩れる。

 震えは、支えることで形になる……」


身体で理解しようとしている。

言葉そのものよりも、言葉が伝えようとする“芯”を。


フォームを整えながら鏡を見ると、

そこにはほんの少しだけ輪郭の確かさが増した自分がいた。


まだ細く、まだ弱々しいが――確かに“形になり始めている”。


昇降口を出ると、空はすでに薄紫色に沈みかけていた。

夕焼けの残光が校舎の窓に反射して、澄音の影を細長く伸ばす。


その影を見下ろしながら歩いていると、ふと胸の奥にひっかかりが生まれる。

今日も文芸部室で何度も言葉を削り、

ボディービル部室で何度も筋肉を追い込んだ。


どちらも疲れた。

どちらも痛かった。

でも、どちらも……どこか満たされていた。


澄音(心の声)

「文芸部室では、言葉を壊して積み直してて……

 ボディービル部室では、身体を壊して積み直してる……

 どっちも……同じなんじゃないか……?」


歩みが自然とゆっくりになる。

胸の内側で、今日一日の光景が静かに呼応し合う。


言葉を削る時の“かすれ”。

筋肉を追い込んだ後の“震え”。


そのどちらにも、「壊れる瞬間」があった。

だが、その後には必ず“積み直す時間”が訪れた。


澄音(心の声)

「……壊れるのって、怖いことじゃない……?」


今日まで何よりも恐れていた“欠けること”や“失敗すること”。

それが、文芸部でもボディービル部でも、

いつの間にか澄音を少しだけ強くしていた。


校舎の影が夜に溶け始めるころ、

澄音の中で二つの部室が同じプロセスとして静かにつながった。


それはまだ言葉にならない。

でも、たしかに芽吹き始めた“理解”だった。



文芸部室の古びた椅子に腰を下ろした瞬間、太腿がじん、と重く痛んだ。

スクワットの余韻は、まるで筋肉の奥に住み着いた小さな幽霊みたいに、

歩くたび、座るたびに存在を主張してくる。


ノートを開けば、今度は言葉が迷う。

探している感情の形が掴めず、指先で何度もページをめくっては止まり、また戻る。


澄音(心の声)

「筋肉も……言葉も……ぼくって本当に下手だな……」


そう呟きかけて、ふと気づく。


“下手なまま”ではない。

昨日より、ほんの少しだけ動く範囲が広がっている。

昨日より、ほんの少しだけ比喩が深くなっている。


脚の痛みも、言葉の迷いも――

その質が、少しずつ変わってきている。


澄音はゆっくりとペンを握り、ページの隅にそっと書きつけた。


「今日もちゃんと震えている。

  だから、少しだけ強くなれた気がする。」


書き終えてから、静かな笑いが漏れた。

誰に見せるつもりでもない、小さな自分への応援のような微笑みだった。


部室の窓から差し込む薄い夕光の中で、

澄音はその一行を見つめながら、

「震えながら進む」自分を、少しだけ肯定できた気がした。





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