表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『筋肉の詩(うた)を、君に。』 ――笑われる勇気を、青春と呼ぶなら。  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/40

町の坂道 ―「フォームの覚醒」

 放課後の帰り道。住宅街へと続く、あの緩やかな坂に差しかかったときだった。

 アスファルトは夕陽をたっぷり吸い込み、金色に滲む光をその表面いっぱいに広げていた。まるで道そのものが、ゆっくりと燃える帯になって流れているようだった。澄音はその真ん中を歩きながら、足元がほんのり温かいのを感じた。


 セミの声は遠ざかり、風が一本の道をすうっと撫でていく。

 日中の熱を奪いながら、それでも夏の匂いをどこかに残した風だった。


 ――そこで、ふいに足が止まった。


 どうして立ち止まったのか、自分でもわからない。

 ただ、背中を押されるようでもあり、逆に引き留められるようでもある、不思議な“向き”の風が吹いたのだ。


 澄音はゆっくりと息を吸い込んだ。

 さっき通り過ぎた学校の廊下や部室のざわめきはすでに遠く、夕焼けのなかに沈んでいく。


 風がもう一度吹き込み、髪をそっと後ろへ撫でつける。

 その瞬間、背筋が自然と伸びた。


 ――まるで「姿勢を整えよ」と言われた気がした。


 澄音は自分でも気づかない表情のまま、金色の坂を見つめた。

 その光は、行き先ではなく“今の自分”を照らしているように思えた。


風がふっと吹き抜けた。

 髪が軽く浮いて、ついでのように背へ押し返される。

 その一連の動きに引っ張られるように、澄音の背筋は自然と伸びた。


 無意識のはずなのに、どこか“合図”に反応したみたいな動きだった。

 胸の奥で、なにかが小さく鳴る。


 ――風が髪を押し戻すたび、私は少しだけ強くなった気がした。

 それは筋肉の錯覚か、心の確信か。


 その言葉が、考えるより先に浮かんだ。


 昨日の屋上で抱えた羞恥と決意。

 今日の部室で感じた、笑われても折れない自分の小さな芯。

 そして坂井の、あの真っ直ぐすぎる言葉。


 それらが身体の奥で、静かに重なり合う。

 筋肉でも、精神論でもなく、ただ“姿勢”として表に滲み出るように。


 澄音は気づかないまま、呼吸がいつもより深くなっていた。



澄音は家への帰り道、ふと立ち止まって前方を見上げた。

夕方の光を受けて橙に染まる坂道が、まるで彼女を試すかのように静かにそびえている。

ただの通学路なのに、その傾斜は――弱さと向き合うための小さな“試練”に見えた。


胸の奥が、ふっと熱くなる。


「……よし」


誰もいないのを横目で確認すると、澄音は自分でも気づかないまま足を開き、膝を軽く曲げた。

姿勢を整える動作はあまりに自然で――自分の身体ではないみたいだ。


背はまっすぐ、膝の向きもブレず、足幅は昨日より圧倒的に正確だった。


澄音(心の声)

「私……こんなにちゃんと身についてたっけ?」


わずかに目を見開く。

意識して覚えたはずのフォームが、もう“思い出す”必要のないものとして、身体のどこかに定着している。

坂井の声、部室の空気、昨日の自分の呼吸――

それらが小さな線となって身体の奥で繋がり、ひとつの形になったようだった。


澄音は静かに背筋を伸ばし直し、坂の上を見据えた。


まるで、これから自分が歩く道を確かめるかのように。


澄音はそっと息を吸い込み、夕陽の光を正面から受け止めた。

オレンジ色の光が頬を温める。まるで「いけるよ」と背中を押してくれるようだった。


彼女はゆっくりと腰を落としていく。


太ももに、電気が走るような鋭い痛み――

だが、その痛みはどこか真っ直ぐで、迷いがなかった。

昨日感じた、あの重くて濁ったような痛みとは明らかに違う。


今日の痛みには“軸”がある。


身体が、自分に教えてくれる。

──今のフォームは正しい、と。


筋肉の線が一本に結ばれたような感覚に、澄音は目を細めた。


そのまま静かに息を吐く。

そして、ふと口から言葉がこぼれた。


「……あ。気持ちいい。」


その言葉が自分の声だと気づいた瞬間、澄音はわずかに目を見開いた。

思わず言ってしまった、という驚きがまず来る。

けれど、胸の奥に広がったのは羞恥ではなく、ぽっと灯るような温かさだった。


一度だけの挑戦。

けれど、その一回が、自分のなかで確かな何かを押し広げていく。


夕陽の下、澄音はそっと立ち上がった。

太ももはまだ痛い。

それでも、どこか誇らしかった。



スクワットを終え、澄音がそっと呼吸を整えたその瞬間だった。


坂の下から、ふわりと風が吹き上がってきた。

汗ばんだ頬を撫で、肩の力を静かにほどいていくような風。

昨日、屋上で感じた風とよく似ている。

けれど今日のそれは少しだけ軽やかで、どこか前へ押してくれる気配を帯びていた。


澄音は目を細める。


風って、不思議だ。

形がないくせに、こんなにも輪郭を持って心に触れてくる。


「風って、変わるたびに……

 私の姿勢もどこか変えていく気がする。」


胸の奥に柔らかな声が響く。

自分でも驚くほど自然に出てきた心の言葉だった。


澄音はゆっくりと足を前に出す。

その一歩は、いつもよりほんの少しだけ真っ直ぐだ。

膝の向き、足裏の接地、背筋の角度――

どれも昨日よりわずかに整っている。


だが本人は、それにまだ気づいていない。


夕陽の坂道を、風がまたひとつ撫でていく。

まるで「リセットじゃないよ。前に進んでるよ」と告げるように。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ