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『筋肉の詩(うた)を、君に。』 ――笑われる勇気を、青春と呼ぶなら。  作者: 南蛇井


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24/40

翌日の文芸部 ―「詩と筋肉の交差」

放課後の文芸部室は、夕方の光をゆっくりと吸いこんでいた。

薄橙の光がページの白を淡く照らし、紙とインクの匂いが静かに満ちている。

机の上には、昨日の読書会で使ったプリントが無造作に重なり、壁には文化祭の色あせたポスターが揺れていた。


そんな穏やかな空気の中に――

ガタ、という妙にぎこちない足音が割り込む。


澄音だった。


ドアを開ける動作だけで、すでに痛みをごまかしているのが分かる。

歩くたび身体のどこかが軋むらしく、まるで自分の骨格と交渉しながら進んでいるような歩き方だった。


その不自然なリズムだけが、静かな文芸部室にくっきりと浮き上がっていた。


杏は澄音の姿を見るなり、目を細め、口元を引きつらせた。

その表情は、「突っ込んでくれと言われている」と確信した時のものだ。


「……ねぇ澄音、その歩き方何? ロボットの稼働初日みたいだけど。」


澄音は、なんとか椅子に腰を下ろそうとして――

ぎゅ、と歯を噛んで小さく呻いた。


「筋肉痛よ。」


杏の眉が一気に跳ね上がる。


「嘘でしょ!? え、なに、階段と戦って負けたとか?」


澄音は机に肘をつき、淡々とした声で答える。


「違うわ。スクワット三回で地球に負けたの。」


その瞬間――

杏は耐えきれず吹き出した。声を殺しきれず、机に額を押しつけて震える。


「ちょっ……三回って……っ、弱すぎでしょ……!」


澄音は軽く睨みつつ、どこか誇らしげに胸を張った。

敗北宣言のはずなのに、妙に堂々としていた。


杏はようやく笑いの波を落ち着かせ、深呼吸を一つ。

それでも澄音のぎこちない姿を見るたびに、口元が勝手にゆるんでしまう。


「……あんたが筋肉痛って、なんか世界観が壊れるわね。」


澄音は肩をすくめ――その動きでまた痛みが走り、眉をひそめた。


「詩を書くのと、あんまり変わらないわよ。

どっちも痛いし、誤魔化せないし。」


杏は目を瞬かせて、じわじわ笑いを浮かべる。


「なにその悟り。

……でも確かに、詩と筋肉って、案外お似合いかも。」


澄音は思わず苦笑した。

昨日なら、こういう言葉にむっとしていたはずだ。

けれど今は、笑われることがどこか心地よい。


「やめて。恥ずかしい筋肉論は書かない。」


そう言ってノートをそっと閉じようとした瞬間――

杏がすばやく覗き込もうと身を乗り出す。


「ちょっと! 何書いたの!? 詩的プロテイン論とか?」


「書いてないわよ!!」


澄音は慌ててノートを抱え込み、机から遠ざける。

その動作で腹筋が悲鳴を上げ、思わず変な声が出た。


杏はまた吹き出しながら、椅子の背にもたれかかった。


笑い声が部室に広がる。

けれど澄音の胸の奥には、その笑いに沈まない柔らかな温度があった。


――言葉が笑われるのは、悪くない。


昨日の気づきが、今日も静かに息をしていた。


澄音は、抱え込んだノートの表紙を指でそっとなぞりながら、

笑う杏を横目で見た。


胸の内側で、静かな波紋が広がる。


――昨日の痛みが、こんなふうに笑われるなんて。


ほんの少し前の自分なら、

苦労を軽く扱われるようで、むっとしただろう。

大切に守ってきた“詩的な自分”が乱される気がして。


けれど今日は違う。

筋肉痛というみっともない事実が、笑いに溶けていく。


――でも……笑われるのも、悪くない。


痛みが、ただの痛みじゃなくなる。

誰かに見られ、からかわれ、共有された瞬間、

それは“経験”という名の形に変わる。


――言葉と同じで、痛みも誰かに見られることで、

  初めて形になるのかもしれない。


そう思ったとき、澄音はゆっくり息を吐いた。

胸の奥で、昨日から続く“沈黙の筋肉”が、小さく脈を打っていた。


杏はくるりと椅子を回し、背もたれ越しに澄音を見つめた。


「で、明日も行くの? その……筋肉の修行場みたいなところ。」


紙をめくる音が部室の静けさに落ちる。

澄音は一瞬だけ視線を落とし、ためらいがちな微笑みを浮かべた。


「……詩の素材は、拾えるかもしれないし。」


杏は机に額をぶつけそうな勢いで前のめりになり、


「ほら! もう半分入部してるわよ、あんた!」


と笑った。


澄音は「違う」と言おうとして口を開きかけ――

ふと、昨日、床に倒れ込んだ自分に差し伸べられた坂井の手を思い出す。


汗で湿った掌。

まっすぐで、嘘のない手。


その感触が、なぜか胸の奥にまだ残っていた。


「……えっと、その……」


言葉がうまく出ない。

詩人のはずの自分が、言葉よりも“重さ”の記憶に引っ張られている。


杏はそんな澄音の表情を見て、にやりと笑った。


「ふーん……。」


夕方の光が二人のあいだを照らす。

澄音のノートの上で、影が揺れた。


――この揺れが、次のページをめくる合図になるとは、

まだ澄音は知らない。





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