表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『筋肉の詩(うた)を、君に。』 ――笑われる勇気を、青春と呼ぶなら。  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/40

翌朝の文芸部室 ―「沈黙の筋肉」

朝の光が、薄いカーテンを透かして部室の床を斜めに染めていた。

その中を、細かな埃がゆっくりと漂っている。まるで、時間そのものが金色の粒になって舞っているようだった。


澄音は机の上でペンを転がしていた。

少し寝不足のせいで目の下に影がある。それでも、昨日の余韻はまだどこかに残っているようで、指先が妙に落ち着かない。


机の上には、昨日のノート。

ページの端には、「いつか、書けるかもしれない」と残された一文。

澄音はそれをぼんやりと見つめ、ペンの尻で軽く叩いた。


窓の外からは、グラウンドの掛け声とボールの弾む音。

世界は、何事もなかったかのように“日常”を再開している。

それが、少しだけ愛おしく、そして少しだけ遠く感じられた。


光は今日も、沈黙を鍛えている。


そんな言葉が、ふと胸の奥で浮かんでは消えた。


部室には、昨日の体育館の喧騒が嘘のような静けさがあった。

時計の針の音が、まるで呼吸のようにゆっくりと空間を満たしている。


澄音は、いつもの窓際の席に腰を下ろし、ノートを開いた。

ページの端に残る小さな一行――「いつか、書けるかもしれない。」

その文字を指先でなぞる。


インクのわずかな凹凸が、昨日の感情の残滓を思い出させた。

あの夕日の中で書いたときの、胸のざわめき。

けれど今は、不思議とそれがやさしく温かい。


言葉は時間が経つと、体温を変える。

昨日の戸惑いが、今日は少しだけ勇気に近い。


澄音は小さく息を吐き、窓の外に目をやった。

朝の光がグラウンドを照らし、遠くで掛け声が響く。

それを聞きながら、彼女はゆっくりとペンを取った。


扉が「ガラリ」と音を立てて開いた。

朝の光の中に、杏が飛び込んでくる。

その元気な声が、まだ眠たげな空気をやさしくかき混ぜた。


「おはよー澄音! 昨日、坂井すごかったね! まさか優勝するとは!」


澄音は顔を上げず、ペン先を見つめたまま小さく笑う。

「……そうね。ちょっと、びっくりした。」


杏は机の向かいに腰を下ろし、身を乗り出してくる。

「で、どうだったの? “青春ポーズ”の約束は?」


澄音はペンを指で転がしながら、少しだけ視線をそらした。

「……別に、ポーズなんて取ってないわよ。」


「えー、つまんない!」

杏が大げさに肩を落とす。


その声に、澄音は思わず吹き出した。

二人の笑いが、部室の静寂をやわらかくほどいていく。


窓辺の埃が、金色に舞った。

まるで笑い声に合わせて踊っているようだった。




杏は机の縁に腰をかけ、足をぶらぶらさせながら澄音を覗きこんだ。

「でもさ、昨日の光景、澄音らしくどう思った? “詩的”だった?」


澄音は少しだけ息を吸い、窓の向こうの光を見つめた。

グラウンドの方から、掛け声と笛の音が聞こえてくる。

言葉を探すように、ペンを指でくるりと回し――


「……筋肉って、案外、詩的かもね。」


杏は一瞬、ぽかんとした顔をした。

それから、腹を抱えて笑い出す。


「なにそれ! 藤原澄音、ついに開眼!? “詩的筋肉論”とか書くの?」


澄音は笑いながら、ノートの端を軽く叩いた。

「書かないわよ。……でも、たぶん、書けるようになった気はする。」


杏はまだ笑いをこらえきれず、机に突っ伏す。

澄音の頬も、いつのまにか少し赤い。


朝の光が二人のあいだにこぼれ、

その笑いを、ひとつの始まりのように照らしていた。


杏の笑い声が、まだ部室の空気の中にふわりと残っていた。

それは音というより、光の粒のように漂いながら、静けさと溶け合っていく。


澄音はその余韻の中で、ゆっくりとノートを開いた。

昨日のページをめくると、真新しい白が目に飛び込んでくる。

眩しいほどに――まるで、朝の光そのもののように。


ペンを握る指先が、かすかに震えた。

言葉はまだ見つからない。

けれど、胸の奥では確かに何かが目を覚ましている。


“沈黙が鍛えられている”――そんな感覚があった。


それは詩でも、思想でもない。

ただ、昨日の笑いと今日の静けさのあいだで、

ゆっくりと育ちつつある“何か”の鼓動だった。


言葉が笑われるのは、悪くない――と、澄音は思った。


誰かに届かなくても、形にならなくても、

笑い声の中で少しだけ強くなる言葉がある。


それは、昨日までの彼女にはなかった温度だった。


きっと、何かが生まれる。

ゆっくりと、目に見えない場所で。


約束は、筋肉のように。

使うたびに、少しずつ確かになる。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ