5話・襲来、そして希望
屋根で見た光景をみんなに伝えると、商店街はにわかに活気づいた。青海が勝手に屋根に登ったのは不問とされた。今はそんなことで咎めているヒマはないのだろう。
商店街では青海の見つけた尖塔を含む建造物に向かう捜索隊を結成する運びとなった。メンバーには体力自慢の住人たちがその名を連ねる。
善は急げ。出発は明日の明朝。今日1にはその準備期間となった。
青海もその捜索隊に志願した。
大人たちはあまりいい顔をしなかったが、第1発見者、そして若く体力のある点を買ってくれ、その一員に食い込むことが出来た。青海もこのままでいいはずはないと思っている。
青海は早速家に戻り、押し入れから大きめのリュックを引っ張り出した。
それは奇しくも旅行を楽しみにしていた両親と重なる。もっとも、その行き先は異世界だとは思いもしなかったが。
部屋の中をひっくり返し準備を進める青海を、部屋の入口で実野梨が口をつぐんだまま背を預けている。
「ねえ、あおちゃん。本当に行くの?」
「当たり前だろ?この状況を打破する手がかりがあるかも知れないんだ」
少なくとも、ここでじっとしているよりはマシだと思っている。
「そういうのは大人のみんなに任せようよ。私たちの出る幕じゃないよ」
青海は、あの化け物の獰猛さを忘れたのだろうか。
「もちろん、実野梨はここに残ってもいい」
「あおちゃんもここに残ろうよ。ほ、ほら、ここでもできることがあるかも知れないし」
青海は荷造りの手を止めて、実野梨に振り向く。
「何だよ。実野梨は早く戻りたくないのか。元の世界に」
「帰りたいよ。でも、あおちゃんのほうが心配だよ」
あの化け物が外の世界にもいるかも知れないのに。それが、青海と離れ離れになってしまう気がして。
今の商店街の問題は現在地と、奇妙な現象により電力が供給されているものの、現存する食料は有限だ。
食料の備蓄は未だあるが、これだけの人数がいれば、いつかは尽きる。
畑などを1から耕すのと、元の世界に戻ること。どちらが最善かと考えればやはり後者だ。だから、青海は前に進むのだ。
テキパキと準備を進める青海と対象的に、実野梨の胸に去来するのは言い表せない不安だった。
それは突然現れた。
探索を明日に控えた、夕闇が辺りを染めはじめようとした時。見張りが大きな声を上げた。
その声と騒ぎに気づき、青海は家を飛び出した。
向かう足に逆らうように、逃げてくる住民。青海の向かう先は南口。
バットやゴルフクラブで武装した大人たちが何かに立ち向かっている。
・・・まさか。
そこには、昨日見たフォルムと寸分たがわぬ物体がいた。
それも、3匹。
よく見ると、1体の頭部には傷跡がある。青海には思い当たるフシがあった。
まさか、仲間を引き連れて復讐に来たとでも言うのか。獣除けの炎すら乗り越えて。
3匹の目はどれも獰猛さをたたえており、口から滴る液体は、眼前の動くもの全てを獲物を捉えていることを如実に現していた。
「青海くんたちは、後ろへ!」
武器を持った大人たちが、現れた危機に立ち向かおうとしている。
だが、誰もが勇気を振るえる訳では無い。こんな状況に落ちて、恐怖を感じないわけがないのだ。もはや、勇気とは別の問題だ。ほぼ、全員の武器を持つ手が震えているのがそれを証明している。
「俺も戦います」
その決意を押しのける人間はこの場にはいなかった。いや、あまりの恐怖で聞こえていないのかも知れない。
張り詰めた緊張。荒い息は、どれだけ吐いても心臓の動きが落ち着くことはない。
その重圧に耐えられなくなり、逸る気持ちが許容量を超えたのか大声を上げ、ひとりの住人が恐竜に立ち向かって走り出した。
反応したのは恐竜の内の1体だ。
ゴルフクラブは無様に空を切り、地面へと突き刺さる。本来の使い方ではないその道具は、使用者の手から離れない。
自ら手放せばいいのに、おじさんの手は痛いくらいにグリップに食い込んで離れない。
くそっ!
青海は全速力で飛び出し、自分を救ってくれた時のように、走りかけに地面から石を拾いあげ、手の中で握りしめる。
恐竜の牙がおじさんに襲いかかる瞬間、青海の腕が思い切り振り下ろされる。
どすっ、と石ころが恐竜の胴体に辺り、首がゆるりとこちらを向いた。
頭部とは違い、胴体は鱗が硬いのか、その衝撃に怯む様子はない。それどころか邪魔するな、とでもいいたげな目。それは本能から身を竦ませる。
青海はゴルフクラブを引き抜くと、腰を付加しているおじさんを強引に立たせて、商店街の入口の方向へ押しやる。 回収したゴルフクラブで応戦しようとするも、手の中にグリップが収まらない。手が笑ってしまうほどに震えている。
震えるな、俺の手!
その一瞬のまごつきが隙を生む。
青海の視線の横を、黒い影が走る。
腹部を強烈な衝撃が襲ったのは次の瞬間で。
1体の頭突きが、青海の腹部に突き刺さったのだ。
肺の中の空気が一瞬にして押し出され、揺らめく視界の中で見たのは頭部にまだ新しい傷跡のある化け物の姿だった。
「ぐはっ・・・!?」
自分から見える画面が一気に反転し、空の青になる。ただし、そこには獰猛さしかありえない化け物の姿が添えられていて。
青海の腹部に重く伸し掛かるものがある。
恐竜の3本指が、青海の胴体に踏みつけられる。腕ごと押さえつけられ、身動きができなくなる。
重く、苦しい。上手く息が出し入れできない。
捉えた青海に群がる残りの2体を、他の大人たちが牽制するが、それもいつまで持つか。
誰かが何かを叫んでいる。実野梨の声だろうか。
打ちどころが悪かったのか、耳が聞こえない。
頭上で獲物を見定めるその姿に、青海はその時初めて人生を諦めた。
風の音が聞こえる。
耳は誰の声も拾わないのに。
草原を疾走する影が、青海の視界の端を掠める。
鋭い牙の全景を、青海の目が捉えた瞬間。
恐竜の頭部は、文字通り胴体と別れを告げた。
次の瞬間には、青海の頬に熱い何かが滴った。それが頭部の断面から吹き出した血液だと気づいたのは少し後だ。
間もなく、青海の身体に掛かる重圧が消え去った。
ずうん。
と、恐竜の頭部のない身体が横に倒れ込んだ。
青海が目にしたのは、白銀の剣を振るう、精悍な顔付きの少女だ。
後ろで束ねた茜色の髪が風に揺れている。
少女は剣に張り付いた血色を、刀身を振る勢いで吹き飛ばし、華麗な動きで腰元の鞘に収める。
少女の姿は、およそ現実離れしている格好だったが、青海にはどこか知っているような。そうだ、ゲームの中のキャラクターがまさにこんな格好をしていた。
白を基調とした西洋鎧。胴だけでなく、腕や具足までもが同じ色で統一されており、どこか清廉な雰囲気を醸し出している。それだけでなく、精悍な顔に乗る強く眩い意思の籠もる瞳が、その鎧も相まって歴戦の剣士のような雰囲気を思わせる。
いや、見とれている場合じゃない。恐竜は残り2体いるはずだ。
青海は慌てて周囲を見渡すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
2メートルはあろうかという長身の大男が、構える槍が恐竜の胴体を貫き、地面に串刺しにしていたのだ。
まさに今、青海がされていたように、槍の呪縛から逃れようとうめき声を上げ手足をばたつかせ抵抗するも、やがてその動きも鈍くなり、最後には力尽き、絶命した。
残りの1体も、若い男が手にした長剣で恐竜の頭部を縦に寸断し、一息の間に屠っていた。
そんな光景に唖然としていると、青海の目の前に手が差し出された。
起き上がるのを手伝ってもらったその手に纏うのはガントレットとでも言うのか。その手は鎧越しだったが、その手が温かく感じたのは青海の気のせいだろうか。
「あ、ありがとう」
お礼を言うと、少女の勇敢な顔に、薄い笑みが浮かんだ。
「あおちゃんっ!」
隣を見ると、涙で顔をボロボロにした実野梨が、青海の身体に抱きついている。側には険しい顔の光鍔も。勢いで飛び出したことを見抜いたのか、咎めるような表情で。
・・・心配を掛けた。なだめるように、青海も実野梨の頭を撫でてやった。やっぱり、人の忠告は聞くものだ、と青海は思った。
改めて現れた人物たちを見やる。
青海を救ってくれた少女は、それこそ同い年くらいか。
次いで、槍を携えた大男は30代半ばくらいに見える。長剣を鞘にしまう青年。彼は20代前半くらい。
そして、今まで気が付かなかったがもうひとり、ローブを身にまとった女の子。
この子は青海たちよりも若く見える。若いと言うよりかは、幼い。ヘタをすれば年齢は一桁台であろうか。
その全員が、同じようなデザインの鎧を身にまとっている。ゲームの世界であれば、どこぞの城の騎士、といったところか。
商店街の人間も、突如現れたその姿と強さに、目を丸くしている。
「・・・これか」
茜色の髪の少女が回りの人間ではなく、その背後にある施設、即ち商店街に目を向ける。
「斥候の情報と一致するな」
少女の視線が上から戻り、再び周囲に巡らされる。
「この砦の責任者は誰だ?」
何を言われているのかわからず、青海と実野梨は顔を見合わせ、大人たちも困惑している。
少女の瞳が青海に向く。
「この建造物を、君たちが造ったのか?」
何て返せばいいのかわからない。この返答次第で、身の振り方が変わりそうな気がする。相手は何より本物の武器を所持している。ここで不審な動きを見せれば、さっきの恐竜の末路が待っているかも知れない。
だが同時に、これはチャンスだ。やっと、言葉の通じる人間がいることが証明されたから。
「えっと、俺達も困っていたんだ。突然こんな場所に飛ばされて、あんな化け物に襲われて」
茜色の髪の少女が、眉をひそめる。
「・・飛ばされた?君はどこの国の人間だ?・・・良く見れば、見慣れない格好だ」
「いや、それが本当にわからないんだ。ここがどこで、とか」
ここぞとばかりに言葉をまくしたてるも、先走る気持ちが抑えられない。真意が伝わるといいけど。
突如、茜色の髪の少女の両手が青海の両頬に添えられ、青海の心臓がどきりと跳ねる。ただ、そんなロマンチックなものではないのは分かっている。
ガントレットの指で、青海の目がぐいんと押し広げられたからだ。
「・・・記憶障害という訳では無さそうだ」
目の動きの様子を見ているのか、やがてその手が離れる。
「だから、エルドルトを侵略しにきた輩に決まってるぜ」
藍色の髪の青年剣士が、聞き捨てならない言葉を吐く。
「待て。滅多なことを言うな、クロノ」
茜色の髪の少女が、剣士を咎める。クロノと呼ばれた男は、小さく舌打ちをし、そっぽを向く。
「彼らがもし『そう』だとするのなら、今までこの砦の建造の前兆が見えないのは流石におかしい」
「・・・そんなの、召喚術でも使えばできるだろうが」
茜色の髪の少女は小さく息を吐き、ローブの女の子に視線を向ける。
「君の意見はどうだ、ポロン」
ローブの少女は、頭部を覆うフードを脱ぐ。萌黄色の髪に幼い瞳。
「仮にこの建造物が召喚で運ばれてきたのなら、明らかに不可解な点がある」
舌足らずだが、どこか大人びた口調。ポロンと呼ばれた少女も、商店街に興味深げな目を向けている。
「これだけの質量の物質を空間を跳躍させるのなら、その魔力量は圧倒的に足りない。見た所、ここの人間に魔導の心得があるようには思えない」
聞き慣れない言葉にさらに混乱の度合いをましていると、茜色の髪の少女が破顔した。
「申し訳ない。この地点に見慣れぬ建造物が立てられたとの報を受け、我々が調査に参った。不法建造なら取るべき手段はひとつなのだが、どうも事情が違うようだ」
茜色の髪の少女は、話の分かるタイプのようで少し安心した。
「聞くのが遅れたが、誰か怪我人はいるか」
青海は周囲に目をやるも、どうやら大きな怪我人はいないらしい。みんな、慣れない戦いの跡で服が汚れてはいるが。
「そうか、ならば一安心だな」
少女は改めて青海に向き直ると、
「名乗っていなかったな。私はアルテナ・オリオン。我々はエルドルト王国所属の騎士だ」
そう言って、アルテナは精悍な顔に少女のような笑みを浮かべたのであった。