2話・もうひとりの幼馴染み
「どうして起こしてくれなかったのぉっ!?」
開口一番、実野梨は怒っているようには見えない、でも確実にご機嫌ではない声を青海にぶつけている。
「どうして、って。ああなったら大抵のことでは起きないだろうが、お前は」
子供の頃にサンタクロースを捕まえるんだと息巻く、真実を知らない無邪気だった頃の実野梨を思い出す。
意気込む決意を簡単に布団の中に押し込め、サンタクロース捕縛よりも睡眠を優先したことを覚えていないのだろうか。
子どもの頃ならまだしも、実野梨は日を跨ぐほどの気力と体力を未だに持ち合わせていない。なので、眠る実野梨を起こすのは無駄だと悟っている。
「・・・寝顔、変じゃなかった?」
「別に。いつもののんきで幸せそうな感じだから気にするな」
実野梨の見ている夢はいつも楽しいのだろう。そのくらい、寝顔はいつも穏やかだ。そもそもそんなことを気にするのなら、自分の部屋に帰って寝ればいい。
「えへへ、そう?」
何故か嬉しそうな実野梨を連れ立って、ふたりは学校へ向かうのだった。
青海と実野梨は同じ学校に通い、クラスも同じだ。何の因果か、席も隣同士なのは嫌がらせにすら感じる。
それどころか幼稚園、小学校、中学、高校。席が隣なのは今回が初めてだが、クラスが別れたことは一度もない。
実野梨はこれを「運命だねっ」と嬉々として語るが、ここまで一緒だとむしろ呪われているのではすら思う。
お陰で、青海は生まれた病院を両親に聞けずにいたりする。
昼休み。
昼食は弁当派と学食派に分かれる。さらに分類すると、購買派に枝分かれする。
青海は学食派だ。
家柄、口にするものは当然海産物が多くなる。嫌いではないが、正直飽きている部分もある。せめて昼飯位は好きなものを食べられる権利を青海は得ている。
そんな訳で今日はガッツリ肉にかぶりつきたい気分なのだ。具体的に言うと、限定メニューのスペシャルカツサンドがいい。
若干浮かれ気味で学食に着いた青海は入り口付近の本日のメニューが書かれたボードに目を通す。
今日のおすすめは焼き魚定食か。選択の余地なし。
と、パン売り場に目をやると、そこには有象のパンの集団の中、ひときわ輝く包みを発見する。
スペシャルカツサンド!しかも、最後の一個だ。
それを高速で手に取ると、大事そうに、守るように抱える。それと適当に見繕ったパンと共にさっさと会計を済ませ、空いている席を探しに回る。
やはり昼食時は盛況だ。
たいてい仲良しグループでまとまっていたりするので、都合よく一席だけ空いていたりは無い。実野梨を連れて来ていたら席取りをさせていたところだ。だが、残念ながら実野梨は弁当派で、教室で友人と共に食事中だ。
と、学食を見回す中、青海は知った顔を見つける。
「よう」
ちょうど対面が空いていたので、青海はそこに手に入れた物を乗せる。
透けるような金髪が目を引く。肩まで掛かる金髪に手を添えながら、その女子生徒はラーメンを啜っている。どう見ても外見はギャルそのものだ。
一見近寄り難いミスマッチ感を覚える。彼女の対面が空いていたのはそのせいでは無いかとすら思う。
ただ、派手なのは髪色だけで、本人はごく普通の女の子だ。青海にとっては知った顔なので、勝手知ったるといった感じで席に座った。
女子生徒はちらり、と青海を一瞥して、ラーメンを啜り続ける。
「ん」
と、かすかに聞こえた声で青海を認識したと伺えた。
玉田光鍔。
クラスは別だが、彼女も商店街に居住を構える。
ちらり、と再度視線を青海に向ける光鍔。正確には、その周囲に。
「実野梨は?」
「今日は弁当」
「そ」
光鍔はチャーシューをひとかじり。
「今日も一緒に登校してきたの?」
「まあ」
家が近いどころか、隣同士だと一緒にならざるを得ない。
「相変わらず仲がよろしいことで」
小学校低学年の時は、光鍔も一緒に登校していたんだけどな。
光鍔の家は、青海、実野梨と同じ商店街内ではあるものの、端と端くらいに離れている。だが、青海にとっては十分近所という認識だ。
いつの頃からか、光鍔と行動を共にすることは少なくなった。もっとも、この年になっても一緒に登校をしている青海と実野梨が異常なのかも知れないが。だが、全く話さなくなったわけではない。
「買えたんだ、それ」
ラップの包装を剥いている青海を、光鍔がどこか羨む視線で見ている。青海が手にしているのは正式名称、特製カツサンドのダブルスペシャル。
ただ2枚のカツがパンに挟まっているだけではない。ダブル専用のソースがこのサンドの価値を引き上げている。しかも、キャベツなどのサブアイテムがこのパンの間には存在しない。あくまでパンとカツで勝負しているところに、青海は男気を感じる。
今日はラッキーにも最後の一個を戦うこと無く入手出来たが、本来ならこぞって奪い合うレアアイテムだ。入手出来たのは久方ぶりかつ、入学してからは2度目だ。
と、光鍔の目が鋭い眼光を放っている事に気づいた。
「2個入ってるんでしょ。1個頂戴」
と、世にも恐ろしいことをのたまった。
「やだよ」
光鍔は青海よりも学食にいた。手に入れようと思えば買えただろうに。
スペシャルサンドを含む人気の商品は争奪戦の渦に挑まなければ入手出来ない可能性が高い。光鍔の性格から、そういうことに進んで挑むとは思えないけど、流石にそれは飲めない提案だ。
「くれたら、これ上げる」
差し出したのは、もう殆ど入っていない残骸のようなラーメンだ。
「バカ言え。そんな物が等価交換になるかよ」
元はただの醤油ラーメンだろう。スペシャルサンドとは釣り合わないし、食いかけじゃねえか。
じっと向けられる光鍔の目。切れ長の、澄んだ瞳。青海の中の僅かな逡巡は、永遠のように思えた。
「・・・くっ」
カツサンドを握り潰さん勢いで、青海は2個入りの内のひとつを光鍔に差し出した。その行動に面食らっているのは光鍔自身で。
「何だよ。いらんのか」
光鍔は訝しげに今の青海の魂の片割れとも言える包みを受け取った。もらっておいてその顔はないだろう。もっと喜んで欲しい。
光鍔は椅子から立ち上がりながらスペシャルサンドを一口。
「・・・ありがと」
耳を凝らしていなければ聞こえないその声は、目の前に差し出された残りのラーメンをどう処理するか考えていた青海には伝わっていなかった。
青海はふと思ったことを聞いてみた。
「光鍔は行くのか?旅行」
当然、商店街での二泊三日の旅行のことで、玉田家にもその権利はある。
「行くわけ無いでしょ。興味ないし、うちは老人のお守りでいっぱいなのよ」
行く、行かないの意思はともかく、その答えは光鍔流の冗談だろう。
光鍔の家は、骨董店を営んでおり、慧眼鋭い光鍔の祖父とふたり暮らしだ。
まだまだ介護が必要にはとてもじゃないが感じられない。
早くも二口目をかじりながら、光鍔は心なしか足取りも軽やかに食堂を去っていった。
曲がりなりにも食品を扱う家系に生まれ、食べ物を残すのは自分の流儀に反する。
最後の1個のカツサンドを殿に置き、青海は今は特に食いたくもないラーメンを攻略に入るのであった。