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18話・白い獣

 気がつくと、青海の周囲の霧は消えていた。

 白い壁が押し迫るような威圧感は、方向感覚だけでなく冷製でいようとする青海の心までもを絡め取る。

 その呪縛から開放された青海の安堵は、すぐさま別の緊張で塗りつぶされた。

 青い草で満ちる、開けた場所。

 空は相変わらずの緑の檻の中だが、高く抜けた草の天井は開放感がある。

 漏れる光源が揺れる草を照らす。

 何かの気配を感じた。

 何かがそこに鎮座していた。

 巨大な白い毛に覆われた塊。

 ふたつの赤い目が青海を見据えている。

 そこは、石畳が敷き詰められた祭壇か。

 そこに、白い毛の塊は、ある。

 自分の息が荒くなるのを感じる。

 それは明らかな意志を纏っていて。

 歓迎か、敵意か。

 本能的に、青海は腰の刀に手を掛ける。

 瞬間。

 ゆっくりとその毛が身を起こした。  

 丸まる塊のように見えたのは、四肢を折り畳み、まるでネコがくつろいでいる如く姿を取っていたからだ。

 獅子のように雄々しく、虎のように精悍で。狼のような孤高さを持ち合わせ。

 赤い光を称える瞳。鋭い牙がその口から覗かせる。

 大型トラックほどの大きさを誇る体躯から伸びる四肢が、しっかりと石畳を捉えている。

 尻から伸びるふたつの分かれた尻尾は、神秘さすら漂わせていて。そのゆらりと揺れる先端が、青海の動向を観察しているようで。

 極度の緊張が青海の全身を覆う。

 飲み込む唾の音すら、森に反響した気がした。逆だった産毛すら絡め取られる感覚。

 瞬間。

 青海の心臓が、何かに掴まれたように圧迫される。それはアロプスやドロテア、今までに出会った魔獣とは比べものにならない。

 威圧感がまるで違う。油断すれば全身が粉々になりそうなプレッシャー。

『ここが、禁足地と知っての狼藉か』

 そんな声が、青海の頭の中に直接流れ込んだ。

・・・声の主は、目の前の白い獣なのか?

 赤い瞳が鈍く、怪しい光をもたらす。

「何用だ。人の子よ」

 頭の中に響いていた声が、耳を通して聞こえるようになる。

「・・・この森にひとり、友達がいる。王の墓に行きたいんだ」

 ふ、と獣の口元が歪んだ気がした。

「王の墓、だと?あそこにはめぼしい宝は何ひとつない。王の威厳を砂粒ひとつでも過去に残さない習わしだ」

「宝って・・・。俺は別に盗っ人じゃない!」

 白い毛が蠢き、何かが膨らむ。

「ここに足を踏み入れた者は、一言目にはそう口走る」

 それは、明らかな敵意。

・・・まさか。

 ヴァルの言っていた、聖なる獣という単語。王を守る、獣。

 目の前の、この生き物が?伝説上の生物ではないのか?

「王家に仇なす者は、例外なく駆逐する」

 しゅっ、と静かに、それでいて鋭利な何かが空気を切り裂く音。

 次の瞬間、青海は無意識に刀を引き抜いていた。

 伸びた尻尾の先端が、青海の眼前に迫る。それを刀の峰で弾き、軌道を逸らす。

「・・・・・・!」

 白い獣の表情が、僅かに揺れた気がした。

「はあ、はあ、はあ。・・・危ねえ」

 殆ど咄嗟の反応だ。クロノとの修行の成果、だと思いたい。

 しゅるしゅると渦を巻きながら戻っていく尻尾。

 次に撃たれたら、弾く自信はない。反応できたのはまぐれだ。それに、獣の尻尾は2本ある。ふたつ同時で来られたら・・・!

 刀に触れた感触は、柔らかい毛でありながら、針金のような硬質さも持ち合わせていた。まるで金属の塊だ。あれが肌に触れた状態で引き抜かれでもしたら。・・・その後のことは考えたくない。

 殺気が膨らむ。空を裂く先端を、何とか見切って、躱す。

 背後で強烈な爆発音と共に砂煙が上がる。視線を滑らせると、地面もろとも大きな穴が穿ってある。あんなのをまともに受けたら、身体に穴が空くどころか、粉微塵になる。

 前方に新たな気配が生まれ、青海は刀を構える。

 刃と尻尾が噛み合う。

 凄まじい速度で射出された攻撃が、刃と触れ、赤い火花を撒き散らす。

 尋常ではない速度。それに、重い。油断すると刀ごと弾き飛ばされそうだ。

 乱れる赤い視界の中、青海の身体が大きく逸らされ、背中から倒れ込みそうになるのを、足を地面に食い込ませるように踏ん張り、こらえる。

 体勢を立て直しつつも、意識を前から外さない。

 かたかたかた。

 刀を握る手が、異常なほど震えている。

 魔獣や人相手とはまるで違う、別次元の恐怖が青海の心臓に絡みつく。

 命を手にかけてしまう恐怖、ではない。

 それはもっと別の、異質な存在への恐怖。

 震えが止まらない。止まる気配がない。

「・・・もうひとり、いると言ったな?」

 獣は尻尾をゆらりと揺らしながら、そんな言葉を口にした。

 コッペリア、今は頼むから現れないでくれ。

 獣は青海の無言に天を仰ぎ、尻尾の先端で何かを探るように空に泳がせている。

 しばらくその行動を青海は見守る。

やがて。

「成程」

 そう呟くと、何故か獣の敵意が消えた。

 獣の視線が再び青海を捉える。

「今の間に斬り掛かろうと思えばできたはずだ」

 確かに、今の獣の動きを待つ理由はない。それは一太刀が浴びせられれば、の話だ。張り巡らせられた意識の糸に絡め取られ、足が竦んで動けなかっただけだ。

 情けなくも、刀を構えたまま動くことは叶わなかった。

 そんな青海の考えとは反対に、獣は尻尾での構えを収めた。代わりに、射抜くような視線を青海の手の中に向ける。

「貴様、その刀をどこで手に入れた?」

「・・・え?」

 言っている意味がわからず、青海は構えを解かずに聞き返す。答えを聞くまでもなく、獣は薄く笑う。

 敵意が消えた。

 息の詰まる空気が解け、森が放つ本来の澄んだ空気で満ちてゆく。

 獣が寝床に身を伏せるかのように、四肢を折る。

 一体どういうことだ。敵ではない、って分かってくれたのか?

 獣の言う、青海の手の中の刀に目を向ける。

『その刀、後生大事にするが良い』

 声が直接頭の中に響く。

 目を前に向け直した時、そこに獣の姿はなかった。正確には、立ち込める白煙で、獣の姿が隠れようとしていた。

『我が名はシャロポロ。再び相まみえる日を楽しみにしているぞ』

 声が遠くに聞こえる。

 頭の中の残響音が消えた時、視界は白に染まった。

 しばらく刀の構えを解かないまま、青海は佇む。やがて、霧は晴れてゆく。

 胸を覆う息苦しさから開放された時、青海は岩場に立っており、緑の蔦、緑の匂いが胸に満ちていた。

 獣の姿は、もういない。石畳すら消なくなり、そこは緑の絨毯で広がっている。

・・・夢でも見ていたのか?

 呆気にとられながら、青海は刀を鞘に収める。

「アオミっ!」

 聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、そこにはコッペリアの姿があった。

 小さな身体は駆け寄り、青海に抱き付く。

「怪我はないか?」

 うん、と眼下の少女は元気を取り戻したかのように弾ける笑顔で答える。・・・無事で良かった。

「ごめん。俺が目を離したから」

 コッペリアは首を横に振る。

「信じてたから大丈夫なのだ。お父様の元に進めば、きっとアオミとまた会えるって」

 そう言って、コッペリアは視線を青海の背後に飛ばす。その視線を追い、青海は首だけを振り返る。

 そこには、緩やかなすり鉢状に窪んだ地形。そこには無数の墓碑が立ち並んでいた。

・・・シャロポロに導かれたとでも言うのか?

 全てが黒い石で形成された墓石は、正確な記号を描くように等間隔で配置されている。

 これが全てエルドルトを守ってきた王たちの、墓。

 コッペリアの先導で、目的の墓前へ。

刻まれた文字は青海には読めなかったが、これがコッペリアの父親である先代エルドルト王の、墓。

 それは周囲の墓石とは違い、まだ新しい。

 コッペリアは父親が眠る墓石の前にひざまずくと、目を伏せ、手を組む。

 片目だけを開け、その視線が青海を見る。

 青海もそれに倣い、コッペリアに続く。

 数秒か、数分か。

 神秘的、それでいて心が高ぶる空気を感じる。

 やがて、コッペリアは腰を上げた。

「ワガママ言って、ごめんなのだ」

 墓地の外の岩に腰を移し、休憩。

 墓地の整列を眺めている時、そんな声が聞こえた。珍しく、コッペリアはしおらしい。

「・・・よかったら、これからも遊んでほしいのだ」

 そんな祈りにも似た願いに、当たり前だろ、という意味も込めて、コッペリアの頭を撫でることで応えたのだった。

 恥ずかしそうに目を細めるコッペリアは、ここに来る前までとは違う、晴れやかさをその表情に映し、行きとは明確に違う眩い笑顔で満たしていた。


 帰りも行き同様、迷うこと無く森の中を歩いて抜けた。

 木に巻き付く白い綿が、ふたりを導くように揺らめいている。

 見慣れた空が視界の端に見え始めた頃、青海はようやく安堵の息を漏らした。

 そして、雄大な草原に並ぶのは、鎧を纏った騎士の軍勢だった。その先頭には、見知った顔がいる。

 書き置きを残していたとはいえ、その心配は筆舌に尽くしがたいだろう。

 アルテナはコッペリアの姿を確認すると、不安な顔にこちらも安堵の色を見せた。

「姫!・・・アオミ!」

 コッペリアと青海の顔を見比べ、心のつかえが採れたように息を吐いた。

「聖域には足を踏み入れてはならないと告げたはずだが・・・?」

 明らかな怒りを滲ませ、青海に鋭い視線を投げつける。

「我々は、君たちに対する接し方を改める必要があるのかもしれない」

「アオミは悪くないのだ!我が無理に誘ったのだ!」

 険悪な雰囲気の中、コッペリアが言う。

 アルテナはしゃがみ込み、アルテナの薄汚れた衣服や顔を慈しむように触れ、大きな怪我がないか確認する。

「・・・ちゃんとお父様にお別れが言えたのだ。アオミのお陰だ」

 コッペリアのその言葉に、アルテナは驚愕した。コッペリアが居たとは言え、それは葬列の間に辿り着いたこと意味するからだ。

「森の中や、墓前では無礼な行動は謹んだだろうな」

 墓の前ではちゃんと祈りは捧げたし、そのつもりだ。

「シャロポロとかいうでかい怪物に出くわした以外は、問題無かったと思うけど」

 アルテナの顔色が変わり、明らかに周囲のざわめきが大きくなる。

「滅多なことは口に出すべきではない」

 アルテナの顔が眼前にまで押し迫り、端正な顔と共に鋭い視線で睨まれる。

「お前、軽々敷くその名を呼ぶな。エルドルトの伝説の聖獣だぞ」

 次いで、隣からクロノの怒りの籠もった目が迫る。

「・・・だが、私は聖なる獣とは言ったが、その名前、姿形までは伝えていない」

 クロノは信じられない表情を浮かべている。

「・・・とりあえず、今は戻ろう」

 兵士たちが隊列を組む。

「参りましょう、姫」

 コッペリアは青海の元へ。青海も、しゃがみ込み、コッペリアと視線を合わせる。

「ありがとう!お陰でお父様に会えた!」

コッペリアの小さな手が、青海の手に重ねられる。

「・・・ああ」

 最後にコッペリアの頭を撫で、名残惜しそうに感触が手をすり抜ける。

 青海は、姫を囲む兵士の列を見えなくなるまで目で追っていたのだった。


「あおちゃん!」

 帰還した青海を迎えたのは、涙で目元を腫らした実野梨と、冷静を装いつつも大きく息を吐いた光鍔だ。

 実野梨は青海の胸に飛び込み、光鍔は馬鹿、と小さく言葉を投げかけるも、無事で良かった、と言ってくれた。

 ただ、青海には懸念があった。

 コッペリアを連れ回し、禁忌とされる聖域への侵入。

 エルドルトにとって、これほど不愉快な話はあるまい。せっかくアルテナたちと築き上げてきた関係が、青海のせいで崩れてしまうのかと。

 そうすれば、元の世界へ帰る手段と方法の入手が滞る。それだけが心配だった。

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