17話・聖域
コン、と窓に何かが当たる音がする。
最初実野梨かと思ったが、音のした方は幼馴染みの部屋からではなく、通りの方面だ。
青海はベッドから起き上がると、窓の方へ。ガラス越しに下に視線を向け確認すると、そこには驚くべき人物がいた。
「コッペリア・・・!?」
深夜にも関わらず、そこには幼い姫の姿があった。
青海は慌てて1階へ。実野梨は足音でも起きないだろうが、念のため出来るだけ急いで。
ゆっくりと玄関を開けると、それは見間違う訳がない。昼間に見た、同じ顔が目の前に立っていた。
闇夜ですら陰ることのない、屈託のない笑顔。
「どうしたんだよ・・・!こんな時間に!」
周囲に護衛の影はない。それはすなわちコッペリアひとりによる城からの脱出を意味する。
前回はまだしも(良くないが)、今は深夜だ。子供が出歩いて関心しない時間以前に、危険極まりない。アルテナにもなるべく夜間での外への外出は控えるように釘を刺されたくらいだ。
青海の焦りに反して、コッペリアの顔はのんきそのものだ。
よく見ると、コッペリアの顔、衣服が汚れている。小さいその足でエルドルトからここまで歩いて来たのか。
手の中に木の実を握りしめて。これで窓に合図を送ったのだろう。
青海はコッペリアの目線までしゃがみ込み、指で頬の汚れを拭ってやる。くすぐったそうに目を細めるコッペリア。
「ひとりで来たのか?」
「そうだ、こんな距離、ひとりでも平気だったのだ」
思わす、青海は初めてコッペリアを叱りつけそうになった。外の世界の危険を知っているからこそ。
「それに、これがあるから大丈夫なのだ」
そう言って、コッペリアは自分の左腕を伸ばす。そこには見覚えのある腕輪が。
・・・唱紋器か?
「我の気配を視認させづらくなる魔術が掛かっているから、大丈夫なのだ」
それでも、外の世界の危険は魔獣だけじゃない。小さな身体では巌しい地形で、足を踏み外すかもしれない。
青海は遭遇したことはなかったが、アルテナが言うには商団を狙う野盗がいる話も聞く。
青海は周囲を気にしつつ、とりあえず家の中へコッペリアをいざなう。
リビングでコップに水を汲み手渡すと、コッペリアは一杯を丸々飲み干してしまった。
色々聞きたかったが、何から問いただせばいいか。ただ遊びに来た、と言われてもそれを鵜呑みにはしないだろう。
そんな気持ちと表情を汲み取ったのか、コッペリアが口を開いた。
「聖域に行きたいのだ。・・・我はお父様に謝りたい」
昼間の馬車の中での会話を思い出す。
しきたりでは、聖域内の墓に行けるのは王の没後、1年後だと。
コッペリアは、王の葬儀に顔を出さなかったことが悔いだと言っていた。沈んだ表情に、その思いの強さを見る。
恐らくアルテナたちに言ったところでその願いは叶わぬのだろう。だからこそ、ここへ来た。青海を頼って。
「付いてきてはくれまいか?」
それが、コッペリアの願い。
だが。
聖域は何人たりとも足を踏み入れることを許されていない領域。それを、最初に青海はヴァルに釘を刺されている。
本当はここでコッペリアを帰すべきだ。
コッペリアの思いを知った今、青海は彼女の真っ直ぐな気持ちに応えたい。ここまでひとりで来たその勇気に。
それに、ここで断れば彼女はそれこそひとりで聖域に向かうかもしれない。
「・・・分かった。行こう」
「ありがとう!」
コッペリアは青海に大声で抱きついた。青海は慌てて手のひらをコッペリアの口元に当てて制した。これですら実野梨は起きない可能性はあるが、一応。
準備をするためコッペリアに待っててもらい、支度に入る。情報もない頃、商店街の外に出る計画で揉めていたのを思い出す。
大きめのリュックに備品を詰める。非常用に残しておいたペットボトルの水。方位磁石。
自身も軽装鎧を身につけ、刀の様子を確かめる。
書き置きを残す。ペンを走らせ、机の上へ置いて1階に戻る。
大人しく待っていたコッペリアの頭を撫で、家を出る。
通りは人の気配がまったくない。
身長の違うふたつの影は、商店街の奥へと消えていった。
血相を変えたアルテナが商店街に飛び込んできたのは明朝のことで。
「コッペリア様は来ているか!」
早足で通りを駆け、早朝の散歩に講じているおばさんに尋ねる。
「見てないねぇ」
脱走の前科があるコッペリアの行き先はここかと思っていたが、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
「まさか本当に誘拐、だと?恐れていたことが現実になった・・・!」
悔いるように髪をかきむしるアルテナ。
「アルテナちゃんっ」
現れた実野梨も、血相を変えている。
「コッペリア様が城から消えた。昨日の今日だ、真っ先に君たちのところに来ていると思っていたのだが」
実野梨は手にした何かをアルテナに差し出す。
「これ!」
紙面の文面を見て、アルテナは眉を潜めた。
「済まない、君たちの世界の言葉はわからないのだが」
実野梨が紙面に目を向け、
「聖域に行ってくる、って。コッペリアちゃんも一緒だって書いてある」
「・・・何だと?」
その言葉に、アルテナは紙を実野梨からひったくるように奪うと。読めない文面に視線を落とす。
「聖域には足を踏み入れるなと言い渡したはずだ!」
アルテナの激昂に実野梨が困惑していると、そこ光鍔も現れた。実野梨と光鍔はアルテナの変貌に顔を見合わせる。
「聖域は無数の木々が迷宮のように生え渡り、その方向感覚と視界を狂わす!森に果実や生物を宿さないため、生きながらえるのが困難なのだ!正しく進むには王族、そしてそれに従事する騎士にしか許されていない!」
正しき道は、王家の人間にしか指し示さない!と、紙切れを握りつぶすアルテナ。そしてすぐ、自分のしたことを顧みて、冷静に息を吐く。
「・・・何より、不浄な心を持つ者を、聖なる獣が食らうのだ」
「聖なる、獣?」
実野梨の質問に、アルテナは天を仰ぎながら答える。
「聖域を、ひいてはエルドルトを守護する守り神だ。歴代の王の御霊の眠りを守る墓守でもある」
そこで光鍔は気がつく。
「だったら、大丈夫なんじゃ。コッペリアは王家の人間なんだし」
少なくとも、道に迷うことなないのでないか。
「アオミが不浄な心を持つ人間かも知れない!」
コッペリアはともかく、青海という存在、王族以外の人間は別だ。
「聖なる獣は普段その姿を見せない。見せるのは悪しき心を持つ不埒者を目の前にした時のみだ」
森が悪しき侵入者を裁く。それは王家以外の人間がこの森で生きることが出来ないのを、聖なる獣の伝承になぞらえている。実際に聖なる獣を見たものはいない。その戒律のお陰で、長きに渡り聖域は聖域たる場所であり続けている。
「青海がそうだっていうのかよ・・・!」
光鍔の言葉が、静かな怒気を孕む。
「言っただろう!聖域はあらゆる人間の侵入を禁ずる、文字通りの聖なる森だと!そこへ足を踏み入れること自体が禁忌なのだと!それは我らエルドルトに敵対しているのと同義だ!」
声を荒げるアルテナに、住民の視線が集まる。
「我々は城へ戻る。姫の捜索、これからのことを話合わなければならない」
「アルテナちゃん!」
踵を返し、立ち去ろうとするアルテナを実野梨が呼び止める。
「あおちゃんが何か行動を起こす時は、それはきっと誰かのためだと思うの」
青海という人間は、誰かの為に徒労することを厭わない。そして、それを徒労とも思わない。
実野梨は、青海の優しさに救われたひとりだ。そして、隣の光鍔も。
「だから、禁じられている聖域に行ったのも、きっと何か訳があるんだよ」
後ろを向いたまま、アルテナはその言葉を背に受ける。
そして。
「・・・信じているのだな、アオミのことを」
それだけを言い残し、アルテナは立ち去った。
「ところでお前、どうやって城を出たんだ?」
聖域までの道すがら、青海は疑問に思っていることを聞いた。
聞いた話じゃ、青海と初めて会った時は、窓から脱走したと言うではないか。窓は当然警戒されているだろう。
「いざという時の脱出通路が代々口伝されているのだ」
それを使ってでも成し遂げたい思いがコッペリアにはあるのだろう。
にわかに周囲に緑が増えていく。
ぽつぽつと生えている木々が、その大きさと太さを増していき、数が連なって行く。
やがて、木々の隙間さえも見えない木の牢獄がそこには広がっていた。
数歩足を踏み入れると、そこは天然の迷宮のよう。
苔むした岩が地面を転がり、木々を渡る蔦。それなのに、生命の気配が感じられない奇妙な森だ。
そこは侵入者を防ぐようでもあり、包み込む優しさで満ちている不思議な感覚をもたらしてくれる。
少し歩いただけで方向感覚を奪われる。果たして自分はまっすぐと歩いているのか。そんな錯覚すら覚える。
方位磁石は一定の位置を示さない。常にあらぬ方向へとその矢印で示す。少なくとも、方位磁石がこの森で意味を成すことはなさそうだった。
それでもなお歩みを止めない理由は、コッペリアだ。
彼女の道案内は適当なようで、明確な根拠の元に進んでいるように思えた。
奇妙なのは、鬱蒼とした緑の天蓋が陽の光を阻んでいるのに、辺りの景色は決して闇に包まれていないことだ。
その原因は気に巻き付くように付着している白い綿みたいな物体。
一見、海に咲く波の花。その白さが光源のように辺りを照らす。放つ光は僅かでも、無数の木の連なりが集まれば、それは街頭のような光を放つ。
「大丈夫か?コッペリア」
だが、それとは別に、小さな身体が持つ体力には限りがある。
小さな身体で岩を乗り越えるコッペリア。
青海はただ先導するコッペリア続く。だが、その足取りは明らかに重くなっている。
「うん。大丈夫、なのだ」
・・・少し休むか。
手近な岩に腰を降ろす。コッペリアはまだ進みたそうだったが、ここで無理をしないほうがいいと諭す。コッペリアは青海に倣い、隣に腰を下ろした。
新品のペットボトルを開封し、それをコッペリアに手渡す。透明なのに柔らかい容器に最初は物珍しい表情をしていたが、水を欲する気持ちの方が強かったのか、すぐに飲み口に口を付けた。
みるみるうちに減っていく水の量から、コッペリアの疲労度が見て取れる。
「これも食べるといい」
固形の栄養補助食品だ。それをさらに割って渡してやる。
それも物珍しそうにまじまじと見つめた後、恐る恐る口をつける。美味しかったのか、目を見開くコッペリア。
青海はまだまだ体力はある。小さいコッペリアは心配だが、いざとなったら背負ってでも進む覚悟だ。
コッペリアのその小さな身体に秘めた気持ちを、ただ汲んであげたいのだ。
歩みを再開させたふたりは、森の中を進んでゆく。
変わることのない背景に、もはや方向感覚の概念はない。
「・・・大丈夫か?」
定期的にコッペリアに声を掛ける。
小さな身体では乗り越えられない岩場はまず青海が先行し、コッペリアを引き上げる。今回もそのつもりだった。
岩を乗り越え、眼下に視線を映した時、そこにコッペリアの姿は無かった。
すぐさま周囲を確認するも、緑の背景の中に自分以外の人の気配は無かった。
青海は心の中で歯噛みする。一瞬の気の緩み。
コッペリアが遅れているのか、自分が逸ったのか。
くそっ!
・・・ここは下手に動かない方がいいのか。
目的地が一緒なら、そこへ向かって進めるが、青海だけではこの樹海は正しく渡ることは出来ない。
その時。
不可思議な現象が起きた。
足元から薄いモヤのようなものが立ち込め始めた。それはゆっくり空気の流れに乗り、足元を白で隠す。
霧、か?
それはまるで生き物のように前後、左右。天地上下に泳いでいる。時間にして数分にも満たなかったと思う。しかし、体感は数時間にも感じられた。
最悪、自分はいい。
青海はコッペリアの無事を祈るだけだった。
それは拒絶にも似た霧だ。
何者をも阻む、壁のようで。
なのに、誰かに導かれるようでもあった。だから、コッペリアは恐れることなく進む。
懐かしい匂いは、もうすぐ側まで来ていた。




