16話・寂寥
コッペリアのぬいぐるみ遊びは、まるで飽きる様子を見せず、新たな役職をリセットしつつループさせていた。
ふう。
機嫌も直ったようで、安心。
「・・・この子、いつまで預かればいいの?」
光鍔が小声で聞いてくる。
実野梨はアルテナが迎えに行ってくれているから、その時に入れ替わりで引き渡せばいい。時間的にも、もう間もなく帰ってくるはずだ。
実野梨はアルテナにその存在を聞いていたのか、件のお姫様の姿を認めると、手を組みながら目を輝かせた。
「いやあっ!可愛いっ!」
「いやだ!我は帰らない!」
前者は実野梨の歓喜の声。後者はコッペリアが城に帰るのを拒否した声だ。
「帰らなくていいよぉっ。一緒に遊ぼうよ!」
実野梨はコッペリアを蕩けるような目で見ている。実野梨はあの惨劇を知らないからそんな呑気なことが言えるのだ。
「今日は、我はアオミといっしょに寝る!」
そんな宣言をしたものだから、青海は困り顔。頭を抱えているのがアルテナたちだ。
「・・・こうなれば、もはやテコでも動くまい」
半ば諦めたようにアルテナが呟く。
「原因はわからないが、何故か姫様はアオミに懐いているようだ。・・・頼まれてはくれないか」
ついにアルテナはコッペリアへの手綱を切った。まあ、実野梨が帰ってきた分、青海の負担は減りそうだが。
ちなみに風呂の一件はアルテナには話していない。好意的なアルテナはもとより、クロノがどんな反応をするのかが恐ろしい。
「・・・どうなっても知らねえぞ」
アルテナの言葉に、クロノも諦めたように吐き捨てたのであった。
「なんだかわくわくするね」
相変わらず緊迫感もないのんきな声を上げたのは実野梨だ。
ベッドの上は実野梨とコッペリアが占領。ベッドの主である青海は床に追いやられる事態となった。
実野梨が青海の部屋で寝るのは何年ぶりだろうか。
「何でアオミは床で寝るのだ?詰めれば入るぞ?」
「ええっ?と、それはぁ」
その疑問に実野梨は喉を詰まらせる。詰めれば、は言い過ぎだろう。たぶん3人は乗らない。
「俺は寝相が悪いんだ。狭いと蹴っ飛ばすかもしれない」
自分の寝相は案外分からないものだ。断る理由としてはこんなものでいいだろう。
「そっかあ。なら我も床で」
と、今青海の吐いた言葉に意味を分かっていないのか、コッペリアがそれに反するような行動を取ろうとしかけたところで、部屋の電気を消灯。
「さ、寝よう」
実野梨がリモコンで明かりを落とし、優しくコッペリアを寝かしつけようとする。
・・・今日は凄まじく疲れた。
いつもの部屋にはいないであろう気配を横にして、青海の意識は周囲と同じ闇に落ちていった。
夜。青海はなんとなく目が覚める。それはいつもと違う状況のせいだろうか。
薄暗い闇の中、壁の時計を見る。時間は、短針が頂点を少し過ぎた頃だ。
実野梨はいつも通りの、ここが異世界であろうと穏やかな寝顔。
隣のコッペリアも、健やかな顔で瞳を閉じている。連動するように動く胸の上下が微笑ましい。
青海はふたりを起こさないように部屋を出る。
水道で水を汲み、喉を潤す。冷たい水温が身体に染み渡る。
相変わらず、異世界なのに水道から綺麗な水が出るのは不可思議でもあり、安心であり、まさに住人の生命線だと感じる。
ふとリビングに目をやると、そこにはソファがある。ちょうどいい。こっちのほうが寝やすそうだ。
脱衣所から手近なブランケットを引っ張り出し、リビングのソファを今夜の寝床と決めた。断然床よりは寝やすいのは言うまでもない。
心地よい微睡みが頭の中に満ち始めた頃、何かの気配を感じた。
首だけを動かして見ると、そこにはぬいぐるみを抱えたコッペリアが立っていた。寝ぼけているのか、目が半分閉じかけている。
何を思ったか、コッペリアは突如青海が背を預けているソファに飛び込んできた。
「ぐ」
ダイビングボディアタックは、小さく幼い身体でも十分威力がある。
だが、それと同時に柔らかな温かさが青海の胸に広がる。同時に届くのは規則的に聞こえる寝息。
・・・仕方ない。
青海はコッペリアの身体を抱えて2階に戻ろうとした。
その時。
コッペリアの目から伝って落ちる一雫。
「お父様、どうしてコッペリアを置いて行ってしまったの・・・?」
その慟哭にも似た声は、青海の心を締め付けた。
コッペリアと初めて出会った時、青海はひとりで行動している彼女に親が心配するぞ、と言った。
その時はコッペリアが何者かどころか、家族構成も知る由がない。その時、すでにコッペリアには親はいなかったのだ。そのことを、コッペリアは言わなかった。
今思えば、そんな寂しさを埋めるように、コッペリアは誰かに助けを求めていたのかもしれない。
小さな身体を2階へ運ぶ。
そんな考えはどこかに置いたまま、青海はコッペリアを胸の中に収めたのだった。
目を覚ました時、視界に映ったのは軽蔑するように腕を組む光鍔。
その後ろでは実野梨が悲しい表情。
見たことのない状況に、青海は目を覚ます。
首元が苦しいのはなぜだ?
それは決して幼馴染みふたりにネガティブな視線をぶつけられているからだけではないだろう。
「ううーん」
幸せに満ちたコッペリアの顔が視界の端に見える。その小さくも細い腕が青海の首元に絡みついている。物理的に苦しかったのだ。
誤解だ。そんな声も上手く発せられない。
「ど、どいてくれコッペリア」
コッペリアの身体を引き剥がしにかかろうとするも、力だけではない奇妙な関節技を駆けられているように、離れない。
「うーん」
何度目かのうめき声を上げた後、コッペリアは眠そうな瞼を押し上げながら、
「おはよー、アオミ」
何とか絞り出すように挨拶をくれた。それでもなぜかコッペリアはアオミに抱きつく腕の力を緩めようとしない。
「見損なったわ。アンタがそんな人間だったなんて」
「あおちゃん。私、何だか悲しいよ」
ふたりの結託がとてつもなく強力な槍となって青海の心に突き刺さる。
昨夜、コッペリアの涙を見なければこんな事にはならなかったのに。
朝から沈んだ深い気持ちは、しばらく元に戻ることなさそうだった。
「なんでコッペリアは青海にあんなに懐いているのよ」
「知るかよ」
青海は1個パンを恵んだだけだ。それだけで人の心を掌握出来るのであれば、凄いのは羊の夢のおじさんたちだ。
コッペリアは着替えや何やで実野梨の家に向かった。
光鍔とテーブルを挟んで軽い朝食を摂る。これも小さい頃以来だろうか。
アルテナは窓を挟んで向かいの家で行われている着替えに気配を向けている。
「もしかして」
青海は、コッペリアに出会ってから思っていたことがある。
「失礼かもしれないけど、亡くなった王様って俺に似てたりする?」
思い上がりではなければ、コッペリアが懐いてくる可能性はそれしか考えられない。
「ふっ」
鼻で笑われたぞ。
「君は王とは似ても似つかん」
そんなはっきりと言わなくても。
「だとしたら、私が君と出会った時、気が付くはずだろう?」
確かに、あの時アルテナは青海に何の引っかかりも見せなかった。
じゃあ、何なんだろう。
居ない王様を青海に重ねている?
・・・自分は人に好かれるタイプではないと自覚している。
エルドルト王って、どんな人だったんだろうな。
商店街の外には、コッペリアの迎えのための馬車があった。
茶色の毛並みが美しい馬が、車輪の付いた巨大な木製の箱を曳いている。
「姫、どうぞ」
今日は機嫌がいいらしく、コッペリアは大人しく城に帰ることを決めた。
キャビンの扉を開けて、アルテナがコッペリアを促す。
中へと昇る段に足を掛けた時、コッペリアが見送りに来た青海に振り向く。
「また、遊びに来ても良いか?」
おずおず、といった様子でコッペリアは言葉を絞り出す。そこには小さいながらの遠慮が見え隠れしている。
「ああ、いいぞ。その代わり、今度はちゃんとした護衛を付けてな」
そう、答えた。
その答えにコッペリアはニコリと笑う。
華麗な所作でアルテナが馬に跨る。
「凄いな、馬にも乗れるんだ」
感心した様子で青海が言うと、アルテナは苦笑で返す。
「こんなものは騎士ならば誰でも出来る。誰に誇ることでもない」
馬の上でさえ背筋の伸びたその姿は、流麗で美しい。
「アオミ!城まで一緒に行こう!それまでお話するのだ!」
突然コッペリアがそんなことを言い出し、青海の腕を引っ張りキャビンに押し込もうとする。
「え?お、おい」
行きはいいけど帰りはどうするんだ。装備は今家の中だ。
その様子にアルテナが、
「帰りは送ろう」
済まなそうに、アルテナが馬上から微笑む。
・・・ならいいか。
青海はキャビンに乗り込み、扉を閉める。
内部は前後に椅子のシートが向かい合わせに設置されており、それぞれ2人分ほどの幅がある。
コッペリアは馬が進む方向のシートに座る。青海はそれに対になるように向かい側に座った。だが。
「えへー」
何故かコッペリアは青海の膝の上を指定席として腰を落ち着けた。
かたん、とキャビンが揺れ、窓の景色がゆっくりと流れ始めた。
「我も馬は乗れるぞ!」
その姿を想像すると微笑ましい。跨る馬はポニーだろうか。
馬の蹄が定期的に地を踏む音が心地いい。
「なあ、コッペリア」
青海の膝の上でブラブラと足を前後に動かすコッペリアが、顔を見上げる。
「何なのだ?」
青海は意を決して聞いてみる。
「・・・俺たち、どこかで会ったこと、あるか?」
青海は正直ここまで懐かれることに困惑している。
「ないのだ」
返ってきた答えは至極簡単なものだった。
ナンパの常套句みたいなセリフを吐いてしまったことを恥じる。
「懐かしい匂いがする、って言ってたのは?」
コッペリアが商店街の全景を見た時、そんな言葉を聞いた。当然、彼女は商店街のことを知るはずがない。初めて見る場所、施設。そして初めて出会う人間たちのはずだ。
コッペリアは、思案。
「うまくい言えないけど、そう思ったのだ」
コッペリアが商店街に懐かしさを感じていたとでも言うのか。
青海の知る限り、商店街にエルドルトの面影はない。そのまた逆も然り。
それともうひとつ。聞くのを躊躇われる質問。
「エルドルト王。コッペリアのお父さんって、どんな人だったんだ?」
コッペリアは黙りこくり、揺らす足を止めてしまった。
・・・まずったな。嫌な思いをさせてしまったか。
かたかた、と車輪が石を弾く音が聞こえる。
「優しい人なのだ」
そんな言葉が聞こえた。
「病気でベッドで寝込んでいる時も、苦しい時も笑顔を絶やさなかったのだ。城のみんなはお父様のことが大好きだったのだ。・・・もっと、一緒にいたかったのだ」
向こう側を向いていたコッペリアが身体を反転させて、青海の身体に抱きつく。
「そっか」
ますます青海とは違う聖人君子みたいだ。
まだまだ遊びたい盛り。その心の強さは目を見張る物がある。
「・・・偉いな」
言いながら、青海はコッペリアの頭を撫でてやる。くすぐったそうに目を細め、コッペリアは青海を見上げ、
「そうなのだ。偉いのだ。我はいずれ国を背負う王ぞ」
意味は分かっていなかったようだ。
エルドルトの町並みが見えてきた。
衛兵の守る門を抜け、馬車のまま街に入る。通りを変わらぬスピードで馬は闊歩する。
「・・・夢を見たのだ」
突然、コッペリアはそんなことを呟いた。
「昨日、青海の家で寝た時のことだ」
薄暗い闇の中、コッペリアは寝ぼけて青海のソファに飛び込んできた。その時コッペリアの漏らした言葉を思い出し、青海は胸が少し痛む。
「夢にお父様が出てきたのだ。だけど、その中で我は怒っていたのだ」
「怒っていた?」
話を聞く限り、コッペリアはエルドルト王のことが大好きなのだろう。夢の中だから、と言われればそれまでだが。
「お父様が死んで見送る時。我はずっと黙っていたのだ。我を置いて言ってしまうお父様のことを」
そこまで言って、コッペリアは唇を噛む。
ぎゅ、と小さな手が青海の背で力が籠もるのが分かる。
「我は許せなかったのだと思う」
「そうか」
たぶん、幼いコッペリアには整理が付かなかったのだろう。それは当然で、仕方がない気持ちなのかもしれない。
「我は、お父様に謝りたい」
それが叶わないことは、幼いコッペリアでも分かることだろう。
「・・・『聖域』」
コッペリアの継いだ単語には聞き覚えがあった。
「歴代の王族は、エルドルトの外れにある聖域の中心部に設えた墓地に埋葬される。我は聞き分けが無かった子供だから、葬列には行かなかったのだ。すっとベッドで泣いていた」
足を踏み入れてはならないという、聖域。ヴァルにその場所を聞いた時にはその理由がわからなかったが、そういうことだったのか。
「聖域に行けるのは、王族を埋葬した日から1年後だ。戴冠の儀を終え、王を継いでから、立派になってからと思ったが、我は今すぐお父様に謝りたい」
「あまり自分を責めるな。きっとエルドルト王は、次に会う日を待ってるよ。その時に謝ればいい」
そう思えること自体、コッペリアは立派だ。幼いけど、ちゃんと大人の部分もある。
ぎゅっと背中で結ばれるコッペリアの手。力強いその結びに込めた決意に、青海はこの時気付けてはいなかった。




