15話・騒がしい一日
ここはちょうどエルドルトと商店街の中間辺りだ。どうも、実野梨のバイトの上がる時間まで街にいることになりそうだ。
「家はどこだ?送るよ」
青海がそう言いながら荷車の方向を変えようとするのを、少女は覆う布をはだけ、慌てて立ち上がり両手を振って制する。
少女の第一印象は、人形みたいな容姿。透けるような金髪は風に溶けるように揺らめく。
「ち、ちょっと待つのだ!お主、あの異邦街の住人ぞ!?」
「・・・異邦街?」
聞き慣れない言葉に、青海は眉をひそめる。が、少女の示す指先で、その言葉の意味を察する。
「エルドルトの外に現れた珍妙な街と聞く。城でもその話で持ちきりだ」
「・・・城?」
青海の言葉に少女は慌てて、
「ま、街での噂だ」
指先を空に彷徨わせながらも訂正する。
確か、城でこそ商店街の存在は知られているが、エルドルト市民には情報は開示されていないんじゃなかったけ?
それは余計な不安や混乱を防ぐため。それでなくても今は戴冠の儀を控えている。無用な心配を寄せたくないのだろう。
「我はその異邦街を見てみたい。連れて行ってはくれぬか?」
こんな少女が何のために?もしかして、家出とか。
「だとしても、親御さんの許可をとらないと。ひとりで街の外なんかに出たら心配するぞ」
それでなくても、外の世界の旅は危険が伴う。
少女は一瞬だけその表情に陰りを見せるも、次の瞬間にはぷうっ、と頬を膨らませる。首を90度に曲げ、不満を顔に滲ませる。
「家には帰りたくないのだ」
・・・やはり家出か。
何か事情があるのかもしれないが、魔獣が今出てこられても困る。少女を抱えて守りきれるかと問われれば、自信はない。
・・・やっぱり一旦エルドルトに戻ったほうがいいか。
青海が荷車の方向を変える動作を再開させると、少女が荷台から飛び出し、青海の身体に抱きつきそれを制する。
「お願いだ!エルドルトには戻らないで!」
今にも泣きそうな顔で、首を振りながら懇願する少女。
「・・・困ったな」
言いながら、青海は頭を掻く。
・・・商店街にアルテナが来たら、その時にでも預けよう。
「・・・分かった。荷台で大人しくしていられるか?」
青海の諭すような問いかけに、少女は破顔して答えるのであった。
聞き分けはいいようで、少女はいそいそと荷台に腰を落ち着ける。布で隠れる必要はなくなったためか、その顔は晴れやかだ。
「そう言えば、名前を聞いていなかったな」
持ち手を引く手に力を込めながら青海は聞いた。
背後では、僅かな逡巡と戸惑いの色。
「・・・コッペリア」
とだけ、返ってきた。
「俺は青海だ」
お返しに、自分の名も告げる。すると、声も高らかにコッペリアが荷台から立ち上がる。
「知ってるぞ!有名人なのだ!」
青海は荷車を引く動きを止め、立ち上がるコッペリアにしゃがむことを促す。
・・・自分が有名人だと?アルテナたち経由だとは思うが。クロノ辺りが青海の不満を漏れ伝えているのかも。
「・・・光栄だな」
だとしたら、少女は城の人間だろうか?
しばらくすると、商店街のシンボルが見え始めた。
「・・・なんだか懐かしい匂いがするのだ」
それまでの騒がしさから一転、コッペリアは僅かに見える風見鶏のある方へ視線を向けている。
異邦街と呼ぶ商店街の存在を知らなかったのに、どういうことだ。
「おや、可愛いお客さんだ」
商店街に着いたふたりを出迎えたのは、畑仕事を終えたばかりのおじさんたちだ。首からタオルを掛け、農具を担ぐその姿はさしずめ田舎町の風景だ。
コッペリアは青海の背中に隠れつつ、おじさんの顔を窺う。
「光鍔がどこにいるか知ってます?」
この状況では、相手は断然女子の方がいいだろう。実野梨の方が適任な気はするが、生憎この場に彼女はいない。
「羊の夢じゃないかな」
光鍔は羊の夢で手伝いに加え、新商品開発も手伝っている。どの道空いたケースも返しに行く。
青海は物珍しそうに周りをキョロキョロしているコッペリアを荷台に載せたまま、羊の夢へ向かう。
見た顔ではないコッペリアにおばさま方は目ざとい。
「あらー、可愛いお客さん」
先程のおじさんと同じ感想を口にしたおばさんが、問答無用で小さな手に礼のごとくお菓子を手渡す。
あんぱん制作の工程で、副産物的に出来たまんじゅうだ。甘いものを食べたいと望む住人の執念とは恐ろしいものである。
「あ、ありがとう」
消え入りそうな声で、コッペリアは小さく礼を言う。おばさんは優しい眼差しを残し、去っていった。
案の定、羊の夢には光鍔の姿があった。
「・・・誘拐はどの世界でも犯罪だと思うけど」
おばさんたちと違う一言目が出る方が毒されていると思うが、どうか。
青海は事の顛末を話す。
「ふうん。この街を見てみたい、ねえ」
光鍔の目が、遥か眼下のコッペリアに向けられる。
「俺は着替えてくる。それまでこのお姉ちゃんに遊んでもらいな」
「えっ」
青海の言葉に明らかなうめき声を出したのは光鍔だ。困り顔なのはコッペリアも同様で。
青海は手早く家に向かい、自室に入る。
エルドルトに向かう時は、刀はもとよりそれなりの装備を身につける。なけなしの稼ぎで買った胸部を守る軽装の鎧は、ようやく青海の身体に馴染んできたところだ。
刀を机に置き、一息つこうとした時、気配を感じる。
振り向くと、追ってきたコッペリアが扉の隙間から覗いていたのだ。
「・・・どうぞ」
青海も見知らぬ光鍔に押し付けようとして、配慮がなかったかな。
コッペリアはおずおずといった様子で青海の部屋に足を踏み入れる。
商店街以上に向ける興味と物珍しさで、大きな瞳が左右に散らばるのが面白い。
そして、一点で視線が止まる。
それは青海のベッドの上に転がっている無数のぬいぐるみたちだ。無論、実野梨が置いていった奴である。
どうぞ、の意味を込めてベッドに促すと、コッペリアはおそらくこの世界にいないであろう動物のぬいぐるみに目を輝かせ、手に取る。
ベッドにぼふん、と腰掛けると、左右の手に違うぬいぐるみ手にし、遊び始めた。
・・・この辺はやはり子供だな。
幼い頃に実野梨に付き合わされた経験がここで役に立つとは。青海は久しく遊んだことのないぬいぐるみで、コッペリアと共に時間を過ごした。
その時。
「アオミはいるかっ!」
外から聞き慣れた声が飛び、階段を駆け上る音が響く。コッペリアの表情が曇り、身体が一瞬跳ねたのは気のせいだろうか。
扉を開けると、アルテナが姿を現した。そして、何か探すように視線を彷徨わせると、安心したように息を吐いた。
「・・・やはりこちらでしたか。探しましたよ、コッペリア様」
その視線は、青海の背に隠れる少女に向けられている。
・・・様?
「王族誘拐は死罪だぜ。情状の余地なしだ」
そんな恐ろしい言葉を放ったのはクロノだ。
・・・王族?
青海はコッペリアを見る。不安そうに青海の服を掴み、握りしめている。青の身体にピッタリと寄り添い、その顔に浮かぶのは焦りと困惑だ。
「・・・まあ、当然知らなかったのだろうな」
クロノを制しながら、アルテナは安堵の息を吐く。
「そちらの方は、エルドルトの時期女王あらせられる、コッペリア・ド・ロウ・エルドルト様だ」
青海の体温がぐんぐんと下がる。
ここに来るまでの間に魔獣と鉢合わせしなくて本当に良かった。
「アオミがそんな愚かしいことをするような人間ではないのは承知している」
アルテナは青海のコッペリアを見る眼差しに、苦笑。
「商店街のことをうっかり口を滑らせてしまってから、姫の興味はもっぱら君だ」
コッペリアの好奇心と行動力を舐めていた。それが部屋からの脱走を許してしまった。戴冠の儀を控えた時期に、考えられない失態だ。
「帰りましょう、姫」
アルテナが傅き、小さな手を取ろうとする。だが、コッペリアは首を振る。
「・・・帰りたくない。もっと遊ぶ」
「ワガママは関心しないぜ、姫さんよ」
腕を掴もうとするクロノの手を、コッペリアは払う。
ぎゅ、と青海の身体に埋めるよう、コッペリアは抱きつく。
困ったようにアルテナとクロノは顔を見合わせた。
「どうなされたのですか。いつもは聞き分けのよろしい姫様が」
しばらくの無言。コッペリアは青海の身体に顔を埋めたまま、口を開く。
「・・・だって、みんな怖い話しかしないのだ」
「怖い話・・・?」
コッペリアがゆっくりと青海の身体から顔を離す。
「お父様が死んだ時、みんな悲しそうに泣いて祈ったのだ。でも、次の日にはもうこの国を我が継ぐとか、そういう話しかしなくなったのだ。みんな、もうお父様のことを忘れてしまったのか?」
その言葉に、アルテナは言葉を飲む。
国を統べる王を決めることは、とても大事なことなのだろう。
時期女王と呼ばれていても、コッペリアはまだ子供だ。寂しいだろうし、まだまだ遊びたい盛りのはずだ。それが、たとえ王族の務めだとしても。
青海は国に口を挟む人間じゃない。コッペリアと出会って間もない。でも、このまま見捨てる選択肢だけはなかった。
「もう少し遊んで行くわけには行かないのか?」
青海の言葉にあからさまに不快感を示したのはクロノだ。
「ふざけるなよ。姫に何かあったらどうするつもりだ、今はエルドルトの瀬戸際だぞ」
それに青海は立ち上がって応戦する。見上げるクロノの視線は、巌しい。
「お前が見ているのは国だけかよ。コッペリアじゃないのか」
口を挟むべき立場じゃないのは重々承知だ。だけど、クロノ言い方が苛立った。
「そういう話をしているんじゃねえ。姫に何かあったら、てめえの責任だけじゃ到底足りねえって言ってんだ」
沈黙が部屋を支配する。青海の言っていることは、ただの第三者の戯言だ。
「・・・分かった。しばらく姫の遊び相手になってくれるか」
「おいっ!副隊長!」
クロノの怒気がアルテナに叩きつけられる。
「無論、警備は強化させる。アオミ、何かがあれば全力で姫を守れ。それが我々に口出しする君の責任だ」
アルテナの指先と、今までに見たことのない強い視線が青海を貫く。
喉が鳴るのと同時に、青海は力強く頷いた。
それに舌打ちで答えるクロノ。不満は晴れない。
「・・・あ、実野梨の迎えもあるんだけど」
アルテナは諦めたように天井を仰ぎ、
「こうなればどうにでもなれだ。そちらは我々が請け負おう」
なんか、申し訳ないな。
「・・・クロノ、ごめん」
生意気な口を聞いた、せめてもの謝罪のつもりだった。
「随分と偉くなったものだな」
青海の顔を見ずに部屋を去るクロノ。青海はその背に声を掛けることは出来なかった。
背中が熱い。
アルテナたちに生意気な口を聞いてしまったのは自覚している。まるで恩を仇で返すような行動だろう。
今はとにかく風呂に入りたい気分だ。
実野梨が帰ってくるまで我慢しようかと思ったが、コッペリアはぬいぐるみに夢中だ。今ならいいか。
「コッペリア」
呼びかけると、ぬいぐるみを総動員させた遊びに講じている無垢な瞳が青海を見る。
「これから俺、風呂に入ろうと思うんだけど、少し待っててくれるか?」
光鍔を呼んで、コッペリアの相手をさせよう。
その言葉を聞き、コッペリアは笑顔を弾けさせた。
「湯浴みかっ?我も入りたいのだ!」
「んー。じゃあ、先に入るか?俺は後でいい」
コッペリアはキョトンとした表情になり、
「何で一緒に入らないのだ?」
と、世にも恐ろしい言葉を口にする。
コッペリアくらいの年齢だと、まだ誰かと一緒に入るのだろうが、その相手は当然青海じゃない。
「そういうものなの」
小さい頃は青海も母親と一緒に入らなかったとは言わない。青海は嗜めるように言う。
「じゃあ、どうやって髪を洗うのだ?身体を洗うのだ?濡れた髪を乾かすのだ?」
矢継ぎ早に飛ぶ質問の答えは、青海ならば全て自分ひとりで出来ることだ。
なるほど。
恐らくコッペリアは普段から身の回りの世話をする従者的な人と一緒に入っているのだろう。だから、誰かと風呂に入るのを疑問にすら思っていないのだ。ますます実野梨の存在が必要だ。
・・・風呂はとりあえず我慢するか。
「青海?」
タイミングよく、ノックと共に姿を現したのは光鍔だ。
下でアルテナたちにでも聞いたのだろう、傍らのコッペリアに一瞥を向けただけで、驚く様子も見せない。
と、ここで青海は閃いた。
「光鍔、一緒に風呂に入ってくれないか?」
瞬間、顔を真っ赤にさせた光鍔の平手打ちが青海の顔に炸裂した。
「馬鹿なの?とうとう頭がおかしくなったのかしら?」
・・・主語が抜けていた。
痛む左頬を押さえながら事情を説明する。光鍔は巌しい顔を解かなかったが。
なお、コッペリアは光鍔を警戒するように青海の背に隠れている。無言のビンタも相まって、怯えるように身体を震わせている。
「このお姉ちゃんは光鍔。俺の友達だ」
顔の一部を腫らしているのは説得力に欠けるが、何とかコッペリアは顔を見せてくれるようになった。
「・・・ところで、何の用だ?」
言われ、光鍔は手にしたビニール袋を掲げる。
「羊の夢の新作。まだ完成形じゃない試作品だけど。クリームパン」
袋の中からはあんぱんとはまた違ういい香りが漂う。コッペリアが顔を伸ばしたのはこれのおかげもあるだろう。
「美味そうだ」
光鍔が取り出したそれは、つるりとした表面で、柔らかそうな形状だ。
見ると、コッペリアの口元から輝く雫が垂れている。
「食うか?」
今度は丸々1個を手渡す。
「ありがとう!」
コッペリアにとって、パンは2個目だが、コッペリアはそんなものも構わずパンにかぶりついた。
こそりと光鍔が耳打ち。
「・・・今の内に入ってくれば?」
コッペリアは夢中でパンにかじりついている。それこそ食事なんて城で美味しいものを食べているだろうに。なんだか嬉しい。
念のためトイレに行くと言い残し、あくまで冷静を装いつつ1階まで降りる。
手早く脱衣所へ。着替えは乾燥機に放り込んであるものから適当に見繕う。相変わらず文明の力がそのまま使える状況をありがたく思う。
手早くシャワーで済ませるつもりだったが、湯船に浸かって疲れを追いやりたいと思ってしまったのがいけなかった。
青海の吐息が湯気を追い返した時。
何やら廊下が騒がしい。
・・・嫌な予感がする。
タタタッ。バタン。ばささっ、と何かを投げ出すような音。浴場の扉が開かれた瞬間。
「ずるいぞアオミ!我も一緒に入る!」
そこにいたのは、全裸のコッペリアだった。
瞬間的に、青海は首を元の方向に戻すので精一杯だった。
「狭いなー!こんなところにふたりも入ったらギチギチだぞ!」
城の湯船のサイズは、当然加藤家の物とは雲泥の差なのだろう。そもそも浴場自体の大きさが違うのは想像に難くない。
恐れを知らぬ少女は、戦いに赴く戦士の如く。その行為に何の疑いも躊躇いもなく、細い足首を湯船の中に差し込もうとする。
「くおらぁぁぁぁっ!」
そんな叫び声が追いかけてきたのは次の瞬間で。
光鍔は明らかに顔を真紅に染めてはいるが、そんなことに構っている場合ではないのだろう。
「ちょ!出なさいよ、このクソ王女!」
仮にも一国の姫になんて言い草だ。
「やだ!アオミと風呂に入るのだ!」
純真無垢なコッペリアは青海の身体にしがみつき、光鍔はそれを引き剥がしに掛かる。その際、光鍔意外は裸であることを忘れてはならない。
視界の端に揺れる金糸のような髪の毛は、確かにひとりでは洗うのが容易ではないのだろう。・・・それくらい見えてしまったのは勘弁して欲しい。
青海は菩薩のような心で平静を保ちつつ、心臓の動きを一定にすることに務めた。
頑張れ光鍔!ここで戦えるのはお前しか居ないんだ!
目をつぶり、暗闇の中で光鍔を応援する。
背後で凄まじい怒声と戦いの音を感じながら、青海はただただ祈ることしか出来なかった。
不満顔のコッペリアを、光鍔が腕を組んで監視している。風呂から上がり、部屋に戻るとそんな状況だった。
当然、今はコッペリアは服を着ている。何とかなだめることに成功したようだが、その代償として袋の中のクリームパンが根こそぎなくなっていた。




