13話・遠い世界からのおくりもの
光鍔は家の玄関を勢いよく開け放つ。
孫娘の見たこともない行動と表情に、源次は目を見開き、戸惑う。
光鍔は祖父の姿を横目に奥の倉庫に消え、数秒後には何かを手にして戻ってきた。
「おじいちゃん!これ、使うよ!」
光鍔の手の中にあったのは、倉庫の骨董品の中で数少ない陶器ではないもの。
刀だ。
今の青海には、これが必要だ。
助けがいつ来るかわからない状況で、あの化け物から青海を守るためには、今はこれしか思いつかない。
倉庫の中の物、それも刃物を持ち出そうというのに、源次はそれを咎めない。
「あの小僧のためか」
老眼鏡の向こうの眼光が、光鍔を見やる。
「・・・みんなのためよ」
一瞬の言葉の詰まりを源次は見逃さなかったが、深くは追求しなかった。
黒い漆塗りの鞘をぎゅっと胸に抱く仕草が、光鍔の覚悟と知った。
「・・・持っていけ」
だから、止めることをしなかった。
「ありがとう!」
それだけ短く言うと、光鍔は刀を抱えて店を飛び出した。
一瞬の騒がしさの消えた店内で、源次は孫娘の消えた方向へと視線を向ける。
「ついにこの時が来たか」
その言葉は誰に届くことも無く、ただ空に溶けて消えた。
ポロンが白矢で牽制する。だが、何しろ威力がない。
ドロテアの咆哮が戦場を伝播する。
何かを訴えるような叫び。
その理由は、ドロテアの頭部に突き刺さった剣だ。
隙を見て、刀身の無い刃を頭部に付き立てたのだ。
だが、中途半端な威力の一撃はドロテアの怒りを増すだけだった。
血を滴らせ、赤い飛沫を撒き散らしながら駆ける突進は、確実に眼前の獲物、つまり青海を狙っていた。自分に剣を付き立てた人間の顔を、逃がすまいと確実に目に焼き付けていた。
寸前で回避する青海を見る度、実野梨は心臓が潰れそうになる。それなのに、自分はここから動けないでいる。助けることが出来ないでいる。彼は、こんなにも商店街のために戦ってくれていると言うのに。
そんな考えを断ち切るように、背後から足音が聞こえた。
手に何か抱えた光鍔が走ってくる。そして、あろうことか商店街を飛び出したのだ。
「みっちゃんっ!?」
実野梨の声を後ろに置いて、光鍔は躊躇いもなく草を靴底で踏みしめ、駆ける。
「青海ぃっ!」
聞き慣れた声に、青海は首を動かす。その姿に、青海は戦慄を顔に貼り付けた。
「馬鹿!何で!」
安全圏である商店街から出ること。それは危険に身を置くのと同義だ。
「受け取って!」
光鍔が、手にした刀を鞘ごと放り投げた。
大きく弓なりを描いて飛んでいった刀は、永遠とも呼べる時間の後、地面に転がった。
青海はそれに見覚えがあった。
配電盤室同様、幼少期に怖い物見たさで玉田家の倉庫を悪戯をしていた頃。
青海は、その刀を手にしただけで源次に頭が吹き飛ぶくらいに怒られた記憶がある。
その刀がどういう訳か、今、青海の視線の先に転がっている。
そんなことはどうでもいい。青海はそれに向かって一目散に駆け出した。
その動きにドロテアが反応した。ドロテアが青海の背中を追う。その距離、数メートル。目と鼻の先。
青海が鞘に左手を伸ばす。
怒りと、血で身を染めたドロテアの口腔が青海を襲う。
地面の上の草や、砂の一粒すらはっきりと見えた気がした。それくらい、時間がゆっくりと引き伸ばされる感覚に陥る。
黒い鞘が、青海の手の中に収まる。
背中に伸し掛かる威圧感。
右手で、柄を握る。
それを。
勢いよく。
引き抜く。
銀の軌跡を描きながら、頭上に迫る威圧感に向けて。
何も考えずに振り抜いた。
自分の手に感じる硬質と、別の硬質が噛み合う。
その感触が、前に進む。
柔らかい感触の後に、一際硬い感覚。それすらも、青海の手にした刃は構わず通り抜ける。
そして、押し切った。
ドロテアの頭部が、宙を舞った。
それは刹那で。
でもそれは何時間前の出来事のように思えて。
自分が荒い息を吐き続けていることに気が付かず、側で何かが地面に落ちる音で我に返った。
ずんっ・・・。
さらに重量感のある音が、微かに地面を揺らす。頭部を失ったドロテアの胴体が地面に力無く倒れたのだ。
青海は、一瞬自分のしでかしたこととはわからなくて。
「・・・う、えっ」
胸の奥からこみ上げる苦い不快感に、青海は膝を突き、地面に吐瀉物を撒き散らす。
頭を切り落とすのは魚で慣れていたつもりだけど、まるで訳が違う。
「大丈夫?」
側に寄り添う光鍔が、青海の背中をさする。
「そんな状態で悪いが、処置をするのなら早いほうがいい」
地面に転がる魔獣の亡骸をいつもの無気力な眼差しで見るポロンが、そんなことを告げる。
言っている意味がわからず、青海はポロンの顔を見上げた。
「劣化が進むと、それだけ素材の価値は落ちる。こんなものを商店街の側に置きっぱなしにしるというわけにもいかないだろう?」
そこでようやく言ってる意味と共に、不快感が収まった。
「・・・教えてくれ」
アロプス同様、魔獣の素材は金になりうる。ポロンの言葉は、青海に獲物の下処理の大切さを思い直させてくれた。
「光鍔」
手にした刀を、青海は光鍔に差し出す。
「それ、アンタが持ってなよ」
光鍔はそれを受け取らない。
「でも」
「だったら、最初からおじいちゃんも持ち出すことを許さなかっただろうし」
青海は手にした刀を見つめ、意を決したように鞘を握る。念願の、守るための武器だ。
「・・・大切に使わせてもらうよ。ありがとう」
「礼ならおじいちゃんに言いな」
・・・そうだな。
後で光鍔の家に挨拶に行こう。昔、怒られた刀が助けてくれたよ、って。
それにしても、この状況はカオスだな。
地面には解体されたドロテアが転がっている。使える骨や、特徴の最たる部分である硬質の鱗のみを寄り分け、後は処分するためうず高く積まれている。ちなみに肉は食えないらしい。
実野梨はその様子を青ざめた顔で遠巻きに見ていた。
まあ、恐ろしいよな、普通は。
アルテナたちはその状況に目を剥くのと同時に、ポロンには厳しい視線を向けていた。
アルテナたちの使命は、商店街の守護である。それと同時に住民に危害が加わるようなことがあってはならないのだ。ポロンの行動は、それを逸脱していた。
「いや、俺のせいなんだ。俺がポロンに手を貸してくれと言ったから」
「・・・君の逸る気持ちも分かる。だが、畑は君たちの命とは比べるものではない」
アルテナたちに出会い、守られている状況は幸運だ。
けど、一刻も早く生活を安定させ、元の世界に戻るための情報収集に注力させたいのだ。
「・・・わかった。ポロンの件は不問にするが、君はもっと我々のことを頼ってくれ」
それで、ポロンへの罰は手打ちとなった。
それと入れ替わるように、アルテナの興味は青海の手にした武器へと注がれる。
「驚いたな。君たちの世界にも戦いはあるのだな」
これは説明がややこしい。刀を腰にぶら下げていた時代は青海にとっても遥か昔のことで、その刀は源次の話を聞く限り、観賞用だったとのことだ。
「見て楽しむのか。・・・わからん感覚だ」
それは光鍔も同様だろう。光鍔の場合は刀だけでなく、骨董品全般に言えることだろうが
「先に言った言葉を忘れないでくれ。我々の目的は君たちを元の世界に戻るまで、守り抜くことだと」
その言葉は、誇らしくも、頼もしくあった。
相変わらず、クロノの目は厳しい。
「新しい武器を手に入れて、いい気になったか。ドロテアを一匹倒したくらいで調子に乗ったか」
青海がクロノを呼び出した理由は、再度剣術を乞うためだ。
やはり、いい顔はしていない。だが、今回は食い下がる。
先の件で分かったことは、青海はこの世界で生きていくには脆弱すぎると言う点だった。
ドロテア襲来を含め、今後も何があるかはわからない。そのために剣の腕を磨いておくのは、決して悪いことではないと思うのだ。
アルテナはああ言うが、やっぱり青海はみんなを守りたい。それだけは変わらない思いだ。
クロノは小さく息を吐く。それはどこか諦めにも似たような。
「来い」
答えの代わりに放ったその言葉と、首のしゃくる動きで青海を呼ぶ。
商店街より少し離れた場所。木々が茂る、原っぱだ。
クロノは地面に目をやり、何かを探すように視線を彷徨わせ、やがて身をかがめる。そして、何かを拾い上げる。
それは木の棒だった。それを2本。
片方の枝を青海に向かって放り投げる。青海はそれを空中でキャッチ。
1メートル強の、何の変哲もない枝だ。どちらの枝も、そんなものだ。
「構えろ」
戸惑う青海に、クロノは言葉を続ける。
「その枝で、俺に一打でも浴びせてみせろ。先端でも、側面でも、柄部分でも構わねえ。俺の、どの部位でもいい」
クロノは手にした枝を、軽く振る。
「無論、俺はそれを阻止する。それを掻い潜って当ててみろ。それが出来たら、剣術を教えてやってもいい」
ニヤリ、とクロノは笑う。
これはチャンスだ。何も怯むことはない。
「・・・ああ、頼む」
青海は、枝を剣のように、構えた。
ひゅんっ。
風の切る音が聞こえた時には、青海の手を激痛が走り、枝を地面に取りこぼすこと数回。
クロノの剣捌きならぬ枝捌きの速度は尋常ではなく、枝が揺れたのを視認した時にはすでに攻撃が青海に届いている。
木の攻撃といえ、当たれば当然痛い。所々赤くなった青海の身体を見れば、そのダメージは言わずもがな、だ。
「はあ、はあ、はあ」
息の荒い青海に対し、クロノは枝を構えたまま、涼しい顔。
「言っておくが、こんなの俺にとっては子どもの遊びだからな」
・・・嘘つけ。子供がこんな速度で枝を振れるかよ。
未だにクロノに攻撃を通せないどころか、その動きを殆ど未然に止められる。そのことに、苛立ちと憤りを覚える。
それと同時に、自分の身体の中が熱くなる感覚。それは渇望にも似ていて。
この提示された条件を越えることが出来たら、剣術を教えてくれるという。そうなれば、商店街を守る力の一欠片になれる。
そんな青海の心とは裏腹に、クロノに枝先ですら届く気配はない。
枝を握る筋肉の動き、気配。身体の傾き。あらゆる視点でクロノは青海を捉える。
彼としては、剣術云々は半分冗談みたいなものだ。諦めさせるための口実に過ぎない。なので、青海の枝がクロノに届くことは永遠に無いだろう。それくらい、今の青海とクロノの間には天と地ほどの隔たりがある。
凡百の見飽きた枝捌きをどこか遠くに捉えながら、クロノは一撃を青海の叩き込んだのであった。
「ぐはっ・・・」
どれくらいの打撃を喰らい続けてきただろうか。同時に、何度背中を地面に投げ出したか。
何十、何百だろうか。数は怖いので振り返りたくはない。
もう、指が動かない。肌の色が真っ赤だ。
それが一旦休憩の合図だと悟ったのか、クロノも枝を放り投げ、適当な岩に腰を掛ける。
はっきり言って、クロノの見た限りでは、青海は使い物にならないくらいの素人だ。結局一打を浴びること無く、危うい攻撃すら無かった。全て目視で見切れる容易い攻撃だった。
地面で大の字になり荒い息を整えている青海を見ながら、クロノはそんなことを思う。
ただ、ひとつだけ言うのなら。
青海は決して弱音を吐くことなく、構え続けた。
そんなのは、騎士として当たり前の心得だ。でなければ、民を守るものとして相応しくはない。クロノもこんなものではない厳しい修行を超えてきた自負がある。
「これでわかっただろう。お前には無理だ」
これで諦めてくれれば御の字。はじめからその算段だ。
「・・・時間制限は、無かったよな」
寝転んだまま、青海はクロノを見る。その顔にまだ敗北は無い。一撃を与えたら剣術を教えるとは言ったが、どうしたら失格、とは正確には言っていない。
クロノは小さく舌打ちをした。それと同時にもうひとつ分かった。諦めの悪いしつこさも。
青海は大きく息を吐き、上半身だけを起こす。青海の呼吸に呼応するように、風が草を撫で、通り抜ける。
「なあ、あのめっちゃ早く動くのも神聖術か何かなのか?」
クロノは最初、何を聞かれているかわからなかったが、その意味に気付いた時、珍しく驚いた表情になる。
「・・・目ざといな」
青海は何度かその瞬間を目撃している。
最初の違和感は青海がアロプスの足に押さえつけられていた時。
身動きが取れない状態で混乱していただけかも知れないが、疾風のようなアルテナの斬撃がアロプスの首を切り離したのをこの目で見た。
2回目は実野梨が攫われた時。
クロノが突然現れたかと思ったら、チンピラの片割れが吹き飛ぶのを見た。
そして3回目。ドロテアとの戦いの中でだ。
決して機敏ではなさそうなポロンは、神聖術の照準を定めるのも相まって、それほど機敏に動き回れる感じではなかった。にも関わらず、事あるごとに青海の側まで近寄り、助言をくれた。
何かの能力が働いたのではという結論だ。それを青海は神聖術だと思っていた。
青海の疑問にクロノは左腕を掲げて見せる。
鎧の上から、リングが腕に通っている。金縁で装飾された、上等そうな腕輪だ。
「『唱紋器』と呼ばれる道具だ。簡単に言えば、これに魔力を貯めておき、その力を行使することで魔導の能力が使える。お前が見たのは、身体強化で速度を上げた姿だ」
と、青海の視線が唱紋器に注がれているのが分かる。
「言っておくが、お前との戦いごときで俺は力を使っちゃいないからな」
別に、疑いの眼差しを向けていた訳じゃない。
「これをお前が使ったところで、俺とお前の能力の差が縮まる訳でもねえ。鍛えていない身体じゃ能力に振り回され、全身の骨が砕けて、終わりだ」
騎士の鍛え上げた精神と肉体が揃って初めて効果を発揮するものだ、とクロノは言う。
「おまけに、こいつは1個で家が一軒建つ。一般人が簡単に手に入れられる代物じゃあない」
「・・・まじで?」
およそ商店街の財政状況では、とても手が届かない。それがあれば、みんなの助けになると思ったんだけど。
「上位級の騎士にのみ支給される道具だ。お前じゃ一生手にすることは無いだろうよ」
アルテナたちが唱紋器を手にすることが出来る強さを持つ人間だということを改めて知った。
守られていれば、安心、安全だろう。
青海は自分の頬を両手で叩くと、気合を入れた。地面に転がる枝を取り、勢いよく立ち上がる。
「まだまだ、終わったって言ってないよな・・・!」
その言葉に、クロノは口元を歪めて返したのだった。
「・・・なんだよ」
夜。
火の番をしているクロノに、アルテナは何とも言えない笑みを浮かべていた。
クロノが青海に剣の稽古を付けていると言う噂は、この広いようで狭い商店街では瞬く間に広がっていた。
「珍しいこともあったものだ。アオミに剣の稽古をつけるのは反対では無かったか?」
「許可した訳じゃねえ。それを見極めるためのテストだ」
昼間の行為は、青海の力を推し量っていただけに過ぎない。もっとも、一太刀ならぬ一枝も入れられなかったあの様子では怪しいものだが。
クロノの見立てでは、青海に剣の才能はない。所詮、住んでいた世界が違うのだ。
おまけに青海はおよそ戦いに向いている性格とはいい難い。チンピラどころか、魔獣すら切り捨てることを躊躇うようでは、だめだ。
これ以降は、剣を教えるつもりはない。
「気変わりをしたのは、今回の件が彼らとは関係ないと証明されたからか?」
「それは関係ねえよ。アイツらがどこの誰であろうとも、元々関わらせるつもりはなかった。無論、『犯人』だったら、容赦はしなかったがな」
「それを含めて、彼らには話しておかなければならない」
クロノは面倒そうに眉根を寄せた。
「それはそっちでやってくれよ、副隊長さんよ」
勿論だ、と、アルテナは少し困ってような顔で微笑むのであった。




