11話・決意と脅威
その言葉を聞いて、クロノはあからさまに表情を嫌悪に歪める。
商店街の外には、住民の努力が実り始めていた。作物が生り始める畑を抜けた場所。
青海は、意を決してクロノを呼び出した。実野梨の誘拐未遂事件の後、ずっと考えていたことだ。
それは自分の力不足。自身の力で実野梨を助けられなかったこと。今後同じことが起こらないとも限らない。その時、同じ奇跡は果たして起きるだろうか。
「剣を教えろだと?ふざけるのも大概にしやがれ」
クロノは冷たく吐き捨てる。深く頭を下げる青海を見やるだけで、首を縦には振らない。
「ミノリが攫われかけたのは、俺等の落ち度だ。ならず者を闊歩させてしまっていた、俺たち騎士団のな」
意外な答えだ。てっきり青海が油断していたことを指摘されると思ったからだ。
「だが、それとこれとは話は別だ。素人が今から稽古して使い物になるまで鍛えろだと?気の遠くなるような話だ」
呆れるようにクロノは肩を竦める。
「せめて商店街のみんなを守るだけの強さが欲しいんだ」
青海としてはそれだけで良かった。だが、さらにクロノ表情が険しくなる。
「そんな甘っちょろい考えで、誰かを守るとか抜かすんじゃねえ」
青海の眼前まで迫るクロノの表情は怒り。いや、侮蔑に近い。
「ヴァルにも聞いたそうだな。怪我をしない内に剣は手放せ。それがお前らのためだ」
そう言い残し、クロノは去っていった。青海はその後を追いかけることも、声を掛けて引き止めることも出来なかった。
揺れる未熟な果実のなる苗が、気配と共に風に揺れた。
「アルテナ」
「すまん、立ち聞くつもりはなかった」
バツが悪そうにアルテナが近づいてくる。クロノの去っていった方向へ複雑な視線を向けて。
「・・・大丈夫か?」
アルテナが見た青海の顔は、今までで見たことのない、何かを掴もうとして、捉えられない焦燥感が見える。
実野梨を守れなかった力不足。置かれている状況。それは、アルテナも痛いくらいに分かる。
「クロノの言い分も私は分かるのだ。だが、今は気持ちを収めてくれないか。彼には彼の事情がある」
むしろ、青海が勝手なことを言っているのも自分でも分かる。だが、力を欲したのは確かだ。いつも隣にいる実野梨の手が、すり抜けていく感覚。指を伸ばしても届かない恐怖。
「残念だが、君たちに剣術等の稽古をつけることは無いだろう。それが君たちを守ることにも繋がる。・・・警備や警護はこれから気を引き締めつつ強化させる」
剣術を教えるつもりがないのは、裏を返せば余計なことに気をとられず、ここでの生活に腰を落ち着けろ、と取れる。
青海は、今はアルテナの言葉に従うことしか出来なかった。
光鍔の家。玉田骨董店。
光鍔は店の奥の倉庫整理に汗を流していた。
薄暗い倉庫には木箱が棚にひしめき合っている。中身は主に皿や器などの骨董品だ。
その全てに価値があるかと聞かれれば、そうではない。
なぜなら、この店は店主である玉田源次の道楽で始めたようなものだからだ。自分が気に入るか気に入らないか。この店の骨董品は源次の慧眼のみで集めた。
執着もない。なので、この店にある皿や器を売りに出し、金にしようという計画だ。この世界の人間がこういうものを手に取るかどうかはわからないが。
光鍔は倉庫整理も兼ねてその選定作業をしていた。これを機に、倉庫の山を全て処分してもいいとすら思っている。なぜなら、光鍔にはこの箱の中の価値は何ひとつわからないし、興味もないからだ。
いずれこのガラクタの山を自分に押し付けられるかも、という恐怖もある。ならば、祖父が存命の今がチャンスだ。源次もそれを了承している。
少し埃っぽい、光の入らない部屋は木箱の圧で息苦しさすら感じる。それは価値のある荘厳さがもたらすものではないだろう。
マスクをした光鍔は、手近な箱を手に取り、開ける。
中には、毒々しい斑模様の湯呑みがひとつ。光鍔は少なくともこれでお茶を飲みたいとは全く思わなかった。観賞用としても趣味が悪い。全くわからない感覚だった。
そもそも、見て何が楽しいのか。およそ骨董店の人間らしからぬ考えだ。
でも、万が一にでも高値が付くかも知れない。そっと木箱に戻す。
大小様々な木箱を相手取っている内、光鍔は何かに気がつく。それは細い箱。
倉庫にあるのは陶器の皿や器が主だ。気まぐれに掛け軸があったりする。
紫の紐で封をされた、箱。
興味を引かれ、紐を解く。器ばかりの箱に飽きていたのもあるかも知れない。
そっと箱を開ける。
中には一振りの鞘が収められていた。
黒塗りのそれは、本物を見たことがなくても分かる。確実に刀剣の形をしたそれを手に取り、鞘から引き抜く。
薄暗さの中でも鈍く、それでいて確かな輝きを称えた刃がそこにはあった。
光鍔は刀を鞘に戻し、箱に収め直した。
「おじいちゃん、これもいいの?」
念のため、聞いてみる。
店の中で難しい顔で本に目を落としていた源次は孫に呼ばれ、振り向く。
その時、光鍔の手にしたものに僅かな逡巡を見せたのは気のせいだろうか。
「それは、売らん」
「なんでよ。倉庫の中の物は売ってもいいんでしょ」
いつも巌しい顔をして、気難しい印象を持たれている源次が、商店街のためになるならと店の骨董品を手放すことを了承してくれたのだ。
「まさか、呪われている、なんて言うつもりじゃないでしょうね」
祖父はリアリストだ。呪いとかそういう物は信じていない。だからこそ、この状況でも悲観せず、まるでここが自分の住む世界のように心を乱したりはしていない強靭さがある。
「・・・ある意味そうかもな。とにかく、それには戻しておけ。魚屋のせがれにも触らせるな」
「は?何でそこで青海が出るのよ」
源次の鋭い目が光鍔を捉える。
「武器を欲していたようではないか。散歩の時に見たぞ、あやつが剣を素振りしているのを。素人が、怪我をするだけだ」
青海は実野梨が攫われたことを悔いていた。彼なりに責任を感じていたのだろう。
それ以上に、祖父の言い方が気に食わなかった。
誰かが誰かを想う。
祖父の言葉はそれを否定する物のように思えて。でも、光鍔自身も青海が危険な行動を起こすのは謹んでほしいと思っているのは確かだ。このまま守りは騎士団に任せていたほうが、絶対にいい。
「とにかく、刀以外は勝手に売れ」
光鍔は祖父の言いつけ通り、刀の木箱を倉庫に戻した。
釈然としないものを感じつつ、光鍔は倉庫整理を続けるのであった。
めき、と大木が崩れ落ちる。
どこかで危険を感じた鳥が羽ばたき、現れた畏怖から遠ざかっていく。
清廉な森の香りに、狂気が生まれる。
その巨体はゆっくりと進軍しながら空腹を満たす獲物を探す。
やがて、空を覆う木々を抜けると、青い空が見える。
その目に映るのは、風見鶏を掲げた建物だった。
青海の素振りを、膝を抱えたポロンが凝視している。
力が無いなら無いなりに、少しでも強くなろうと考えた、最近の青海の日課だ。
初めて持った時の重さが、今は軽減されている気がする。少なくとも、剣に振り回されている感覚はない。実戦で自在に振れるかどうかは怪しいところだが。
「じっと見られていると、気になるんだけど」
剣を下ろし、青海は視線を向ける。
傍らでしゃがみ込む少女は、さながら部屋の隅に居座る座敷童のように。目深に被ったフードの奥の顔は伺い知れない。
「どうぞ、気にしないで」
声を正面から聴いたのは、この世界に来た最初の頃以来だろうか。
このポロンという少女とは、あまり接することはなかった。
物静かと言うより、常に周囲に目を見やり、大局に目を配る憂慮を感じる。
幼い子供に見えて、アルテナからの信頼が厚いのはやはり騎士団だけはある。神聖術なる使い手らしいが、青海はその実をまだ知らない。
ちなみに今、商店街の防御を担うのはポロンのみ。残りの3人は命令で城に帰還。だけど頼りなさを感じないのは不思議な感覚だ。
結局商店街に残った和菓子を食い尽くしたのはポロンで、今はまだ残っているせんべいをがりがりと小動物のようにかじる様子は変わらない。
それはまるで青海のお目付け役かのようだ。剣の素振りの日課は、商店街の外れで行う。誰に見せるようなものでもないし、見られたくもない。
相変わらすアルテナたちは青海の剣の手ほどきはしていない。だから自分でなんとかするしか無い。その考えた結果が素振りだ。
青海は剣を地面に付き立て、休憩に入る。
手のひらはいい感じに豆が出来始めているが、それが逆に剣の柄に馴染んできたような気がする。
「ポロンは剣を使わないのか?」
あわよくば、年端もいかない女の子にも剣を教わろうと画策する。でも、それがみっともないことだとは思わなかった。全てはこの商店街の人間を守ることに繋がると信じているから。
「最低限は心得ている。だが、私の専売はあくまで神聖術だ」
「・・・その神聖術、って何なんだ?」
ゲーム的な考えで言うならば、魔法に相当するものだと見受けられるが。
ポロンの目が青海を見る。その目が青海の望む答えを吐き出すものかと思った、その瞬間。
どんっ。
遠くで音が聞こえた。
森から鳥が飛び出すのが見える。青海は思わず立ち上がり、剣の柄に手を掛ける。ポロンも眼差しこそ変わらないものの、宿す色が変わった。
何だ?
そう思った瞬間。
立ち上がったポロンがフードを脱ぐ。その表情は巌しい。
「下がって。街まで入って」
のんびりとした様子の彼女からは想像できない、強さの孕んだ言葉に、青海は一瞬ポロンが年下であることを忘れる。その原因が分かったのはすぐだ。
遠くから何かがやってくる。青海はすぐ、アロプスの存在を思い出す。
人とは異なる姿なのは確かだ。しかし、シルエットはアロプスのそれではない。すでに大きさが異なっていたからだ。
その姿に青海は身体を震わせる。それ根源的な恐怖からか。巨大な身体から感じる威圧感からか。
四足歩行だ。
だが、馬などとは違い足は長くなく、トカゲなどの爬虫類を連想させる。
その最たる部分が、首に支えられた頭部。乗用車のような大きさの胴体から伸びる尻尾が地面を引きずっている。まさに、巨大なトカゲだ。
「ドロテアだ。群れを成すことは無いが、堅牢な鱗による鉄壁の防御が特徴」
ポロンは無機質に情報を読み上げる。もしかしなくても、遠くに見える生物の名であろう。
「・・・聞こえなかったの?街へ入れ」
ポロンが青海を見上げながら、言う。
ポロンのか細い腕が、青海を力強く引っ張り、商店街の中へと押し込もうとする。
街に入ったところで、侵入者を防ぐ扉があるわけでは無い。あの巨体だろうが、商店街へは容易に踏み入れられるだろう。
ポロンに連れられ、北口の入口から中へ追いやられる。
入口にはすでに何人かの住人が、先に見える巨体に不安な表情が伝播している。
「結界を打つ。ここを守ることだけに注力する」
「結界?・・・バリアみたいなものか?」
「厳密には視覚を幻惑させる神聖術の一種。人間以下の低知能の生物にしか効かない」
ポロンが地面に手を置くと、かろうじて聞こえる声量で何かを呟く。
すると、手を突いたポロンの手を中心に、淡い光が灯る。それが円状の環を描き、幾何学模様の光を放つ。
「幻光・白幕」
一度だけ、強い光が瞬く。やがて、文様は地面に溶けるように消えていった。
「これで、ドロテアからはこちらが視認できなくなった。奴が立ち去るか、みんなが来るのを待つ」
見た感じ、商店街に何かが起きたようには見えない。これで本当にやり過ごせるのか。
ゆっくりと、緩慢とした動きだが、その輪郭が徐々に大きくなっていく。
灰色の鱗で覆われた体躯は、堅牢な鎧のようで。歩みの遅さはあらゆる物を踏み潰す重戦車か。
アロプスですら目の前にすれば身も竦むような恐怖を感じるのに、ドロテアから感じるものはそれ以上だ。
青海とポロンはその魔獣の動向を窺う。住民も、心配をその顔に貼り付け、視線が一斉にそれを追う。
「何事?」
聞き慣れた声に振り向くと、険しい顔の光鍔、その後ろに実野梨。
先までのことを話すも、それで不安が晴れた訳ではないようだ。
「・・・待て。あいつからはこっちが見えないんだろ?なんでこっちに向かってくる?」
ポロンの能力を信じるのなら、この商店街は神聖術とやらの力で守られているのだろう。ドロテアの足の行く先は、ここに見える。
「ああ、奴からはここは見えない。目的は別のものだろう」
その言葉に、青海の頭に閃く。
「・・・まさか」
ドロテアが前足で器用に地面を掘り返す。
畑に実った商店街のみんなの成果。それはこれからの希望となるはずのものだ。
畑から作った、住人の努力と働きの結晶だ。
ドロテアが、土にまみれたままの芋を口の中に導いた。青海の背後からは落胆の声が聞こえる。
手探りながらも、みんなで作り上げた畑。それを破壊されていい気分な人間などいない。
「奴を倒すわけには行かないのか」
「可能。だが、ここは元々様々な動物や魔獣の行き交う外の世界だ。一匹駆逐したところで、その数がゼロになるわけではない。彼らの生息域に、街が現れたのだから」
一匹退治したところで、遅かれ他の魔獣の目に留まる、と。
それを言われて、青海は言葉を押し止める。生息域を犯しておいて、邪魔だから倒す。分かってはいるけど、こっちも必死なのだ。
「じゃあ、畑の範囲まで常に結界を張っておけば」
畑すら見えなくすれば、被害も起こらない。
「お前は私に死ねと言うのか?」
その言葉で、その案が非現実なものであると悟る。
しかし、芋を植えた畝、果実のなる畑。手塩にかけて育てた畑を破壊されていくのを、青海は黙って見ているわけにはいかなかった。
「ポロン」
名を呼ばれ、少女は青海を見上げた。
「力を貸してくれ」
覚悟の表情と共に、その柄を握る青海の手は、痛いくらいに握られていた。




