10話・見知らぬ街で
銀竜亭の店先には、困った顔のシルヴィが無人の荷車の前で途方に暮れていた。
「気付いた時には誰もいなかったんだな」
アルテナは無人の荷台に手を添え、聞く。クロノは鋭い眼光で周囲を探るように見回している。
「そうなの」
シルヴィが青海と会話したのを最後に、ふたりとも行方がわからなくなった。
荷台の上にはパンを詰めていたプラスチックのケースが残るのみ。
「だが、何かトラブルが起きたのは間違いなさそうだ」
アルテナがここに来た時間と、青海がいなくなった時間にそれほどまだ差はない。
「我々はこのまま彼らを探すぞ」
クロノは頭を掻きながら頷き、アルテナと別の方向へと駆けていった。
裏路地は両端が建物に遮られ、薄暗い。
真っ直ぐな直線であるにも関わらず道が歪んで見えるのは、通路の両端にうず高く積まれた障害物のせいであろう。
木箱や、飲み捨てられた酒の空き瓶。飲食店の店舗のゴミ捨て場もあり、見た目以上に閉塞感を感じる。
その路地を青海は疾走する。飲んだくれている男を飛び越え。打ち捨てられた新聞を手で振り払い。
何かが先に見えた。
「・・・っ!」
男がふたり。
何かに追われているように、何かに焦っているように。青海と同じく周囲に散乱するゴミを鬱陶しそうに避けながら走っている。
その片割れが何かを担いでいる。担いでいないほうが後方で、気配を感じて後ろを振り向いた。
その男は青海の姿を認めると、その距離からでも分かる舌打ちを吐き捨てた。
前方の男が担いでいる物の正体。
実野梨だった。
後ろ手で縛られ。猿ぐつわを噛まされ、その顔は恐怖。不安。涙と共に溢れるそれには、様々な感情がない混ぜになっている。
そして、後ろから迫る青海を目だけで捉えた瞬間、その顔に希望の光が灯るのが見えた。
開かない口で、自分の名を叫んだのが聞こえた気がした。
青海は地を蹴る足に力を込める。
「待てっ!」
青海が吠える。その声に、男ふたり組も走るギアを上げた。
だが、女性とはいえ人の身体を担いでる分、前方の速度は遅い。それを後方の男が路地裏の木箱などを使って妨害に走る。
鈍い、乾いた音が響き、木製の立方体が地面に激突し、砕ける。バラバラになった木箱は中身こそ空だったが、こんな物が直撃すればただではすまない。
砕けた破片、埃が青海の視界を曇らす。
実野梨を攫ったふたり組は、腰に短剣らしき武器を差している。追いついたところで、どうする?
2対1。明らかに分が悪い。アルテナに助けを求めるか?いや、その前に実野梨を見失ったら終わりだ。
やがて路地は少しその幅を緩めるが、手狭なところは変わらない。雑多な障害物が露店に変わっただけだ。
見知らぬ果実の山や、怪しげなアクセサリー。どこからか漂う香りはスパイスの店。
その露店の一画、短長様々な武器を並べる店が視界に入る。青海はポケットに手を突っ込み、その中身を露店に投げ込む。
それは、パンを売って得た金だ。みんなのための、これからの足がかりになるかも知れない、金。
それと入れ替わるように、青海は手近な柄に手を掛ける。
「貰ってく!」
金が足りなければ、後で何とでもする。今は、それどころではない。
店のおっちゃんの呆気に取られた顔が遠くなっていく。
それよりも。
剣がこんなに重い物だとは。
手にした鞘に収まった刀身は、走っている状態を差し引いても、両手で持たなければバランスを崩してしまうほどの重量感。アルテナたちはこんな物を軽々と振るっていたのか。
路地裏の先が明るくなっていく。飛び出した先は大通りだった。だが、見覚えのない場所。
銀竜亭のあった通りとは別の場所だろう。だが、人の多さは変わらない。
ふたり組が逃走経路を確認しているのか、周囲を見回している。
突如現れた女の子を担ぐ不審人物に周囲は怪訝な顔をするものの、誰も助けようとしない。それどころか、人攫いと悟った通行人は、悲鳴を上げつつ距離を取る。人の間を縫うように、ふたり組が方向転換。城の方とは反対側の、即ち出口方向へと駆け出す。
武器を腰にぶら下げ、女の子を担ぐ怪しい人物に、人波は左右に割れる。
青海は、ふたりを追う足を止めた。
実野梨を担いでいた方を先に逃がし、もう片方が腰の剣を抜いて青海の前に立ち塞がったのだ。往来の中での抜刀に、周囲に緊張が走る。
実野梨の姿が遠くなっていく。
やるしかないのか。
青海も手にした剣を抜く。重い音と共に、鞘から刀身が現れる。空になった鞘が地面に落ちる。
剣の長さの差は、決して青海の優位を告げるものではなくて。逆に、鈍い銀の輝きは、その剣を持つ覚悟を問いかけているようで。
目の前の相手を斬り伏せて、実野梨の後を追う。グズグズしていたら、それだけ実野梨を見失う可能性が増える。右も左もわからない世界で、誰かを見失うこと。それがどれほどのことなのか、想像できない頭ではないつもりだ。
反して、男は襲いかかってこない。実野梨を逃がす時間が稼げればそれでいいのだろう。
柄を手で握る。自分の手が震えているのがはっきりと分かる。それは決して剣が重いせいではないだろう。
それを悟られないように、柄を両手でしっかりと握り込む。
・・・足が動かない。
まるで、足を司る神経が全て引き抜かれたかのように、言うことを聞かない。
初めて人を殺める可能性のある武器を携えての対峙。アロプスに襲われたときとは別の感情。
実野梨を取り返すには、目の前の相手を切らなければならない。
喉が鳴る。
汗が腕を伝う。
出来るのか、俺に。
自身を奮い立たせる。
しっかりしろ!実野梨が連れて行かれちまう!
青海の葛藤を読み取ったのか、男は表情を歪ませる。その情けなくも震える構えで、青海を剣も握ったことのない素人だと悟ったのだろう。戦うまでもない相手と見定めたのだ。
男は手にした剣を腰に戻しながら、踵を返す。
「ま、待てっ!」
震える指で、地面の鞘を拾い上げようとする。上手く、手に鞘が収まらない。
くそ!何なんだ、俺は!
いつかヴァルが言っていた、青海に戦うことは難しいと言われたこと。初めてその意味が分かった気がした。
無様だ。
剣が鞘にも収まらない。膝が地面に付いたまま離れようとしない。実野梨の顔が遠くなる。
目の前が真っ暗になる感覚を覚える。
今までに感じたことのない絶望が、青海の身体を包んだ。
一陣の風が吹いた。
その瞬間。
青海と対峙していた男が、あらぬ方向へと吹き飛んだ。
まるで何かに激突したかのように宙にその身体を投げ出すと、石畳の上に叩きつけられそのまま動かなくなった。
「おーい。そこまでだ。女を下ろせ」
聞き慣れた声が青海の耳に聞こえた。
剣を抜いたクロノが、実野梨を担いだ男の前に立ち塞がったのだ。ちょうど、青海と挟まれる位置関係。
見知った顔に、青海の喉から安堵の息が漏れる。それと共に、漏れる息が加速する。クロノの姿がこの上なく頼もしく見える。
だが、その安堵がすぐに緊張で塗りつぶされる。
男が腰の短剣を抜き、実野梨の首筋に刃を押し当てたからだ。
「実野梨ッ!」
青海は剣を杖代わりに立ち上がる。
クロノは涼しい顔を崩さない。付き合いがないからこそ、冷静なのだろう。
「おい!こいつが見えねえのか!」
どけ!と叫びながら、クロノと住人に道を譲るよう促す。
「やってみろよ」
信じられない言葉をクロノは吐いた。それどころか、クロノは男を逆なでするように、笑って見せる。
「だが、お前がその刃をその女に突き立てるよりも早く、俺はお前の首を撥ねて見せるぜ」
挑発だとしても、無理がある。そんなことが出来る距離ではない。
対する男は額に玉の汗を浮かべ、畏怖の表情。
意識を取り戻した仲間を横目で見ると、男はナイフを腰に戻す。そして、実野梨の身体をゆっくりと地面に下ろした。
警戒が走る。
男が実野梨の身体をクロノの方向へ軽く突き飛ばすと、真横に向かって走り出した。見ると、意識を取り戻した方も頭を軽く振りながら、先の男に続く。
やがて、路地裏へと消えていった。
クロノは面白くなさそうに軽く息を吐き、剣を収めながら実野梨の拘束を解く。
意識を確かめるように、クロノは実野梨の両肩に手を置き、軽く揺する。
「・・・怪我は無えか。無いなら一度だけ頷け」
実野梨はまだ呆けた顔ながらも、首をかろうじて、ゆっくりと縦に動かす。それを確認すると、クロノは巌しい顔ながらも小さく息を吐いた。
反して、青海は全身の筋肉が弛緩するように地面に足を投げ出していた。
「あおちゃんっ!」
よろめきながらも駆け出した実野梨が、青海に抱きつく。
実野梨と入れ替わるように手にしていた剣が、がらんっと地面に倒れる。
見知った、穏やかな体温。
実野梨の顔は真っ赤に泣きはらしており、何も悪くないのに「ごめんね」、と連呼していた。
背中に回された実野梨の腕すら、熱い。
「・・・ごめん、実野梨」
それだけしか口を突いて出なかった。
自分がもっと気をつけていれば。自分がもっと気を配っていてやれば。
一緒に銀竜亭に入っていれば、こんなことにはならなかっただろう。
青海の視界に、白銀の具足が映る。
見上げると、クロノが今までに見たこともない柔らかい眼差しで、青海と実野梨の抱擁を見やる。が、そんな表情もわずかな間で、次の瞬間にはつまらないものを見るように目を変化させた。
「・・・どこかのチンピラか盗賊か。逃がしちまった」
クロノのつぶやきの後、見知った顔が現れた。
「アオミっ!」
一瞬でその状況を理解したようで、アルテナはその顔は穏やかだ。
「大丈夫か、ふたりとも」
泣きはらした実野梨の頭を、アルテナが優しく撫でる。
青海と実野梨は、何とか力を込め、立ち上がる。
路地裏でだろう。気づいていなかっただけで、身体に色々なものが当たっていたらしい。所々、身体が痛い。
「君たちはこのまま帰るといい。荷台は後で運ばせよう」
青海と実野梨はゆっくりとした足取りで歩き出した。その歩みに、クロノは静かに後を追う。
街を出て草原を踏みしめる時、青海は生きていることを実感した。それと同時に、無力さも。
実野梨の手は、青海の服を掴んで離さない。もしかしたら、こうして服を掴まれることがなくなった未来もあったかも知れない。
色々なことが重なって、実野梨は隣りにいる。その奇跡に青海は感謝した。
「馬鹿ッ!なんでしっかりと見ていなかっんだよッ!」
事の顛末を聞いた光鍔が、怒りに顔を染め上げて青海を叱咤。
それに関しては、何も言い返すことが出来ない。
「み、みっちゃん」
「実野梨は黙ってて」
横から弁護と擁護を挟もうとする実野梨を、光鍔はそれ以上の怒りを持って怒鳴り、制する。
「おまけにこんなものまで買って・・・!」
傍らに転がる鉄の塊。鞘に収まった剣を呆れたように見据える。売上を全て投げ売ったその行動も含めて。
羊の夢の夫妻は大丈夫だ、と言ってくれた。何より実野梨が無事ならば、と。
重ね重ね、青海は猛省。
「ホントに、アンタは昔から・・・!」
そんな光鍔の呟きは、沈む青海の心には届いていなかった。




