帝国の思惑
窓のない地下の1室。
いずれも屈強な男たちが思い思いの場所に腰かけている。
「あと1週間もすれば船が着く。いよいよ作戦決行か」
「長かったな、5年以上も国を離れることになっちまった」
年かさの男がしみじみと酒の入ったカップを傾ける。
「命があっただけでも、ありがたいことさ。ファズマにたどり着く前に海の事故で死んじまった仲間もいたんだからな」
男たちはこれまでの軌跡を語る。
これまでの努力がもうすぐ結実すると思うと、感慨深いものがあるのだろう。
*
大陸の東側は、ほんの数十年前までは小さな国同士で争い合っていた。
とある国が戦に敗れ、大陸西端の山脈へ逃げ込んだ。他国の兵に捕まるよりは、死を選ぶ。そんな悲壮な覚悟があった。
しかしその山脈は「西端」ではなかった。長く苦しい旅路の先に、緑豊かな国があった。
山脈の東側から戦に敗れて逃げてきたと言えば、彼らは非常に同情し、暮らす場所を提供してくれた。
そこで生活するうちに、彼らはファズマ王国の文明の高さに驚かされることになる。
生活を便利にする魔道具。質の高い武具。
加えて食事や衣服の多種多様さ。それらは異世界から召喚された「勇者」の知識によるものらしい。
異世界から人間を呼び寄せる魔法。
そんなものが実際に存在していることに驚いた。
彼らはその土地で知識や技術を吸収し力を蓄え、故国再興のために東側へと帰っていった。
そして、大陸のほとんどを支配する国を造り上げた。
*
彼らはその国――ネコル帝国から密命を帯びてやってきた。
召喚術を行うための知識、人材を確保すること。
ただし、非人道的な行いは禁じられている。我らの祖先はかつてファズマの人々に助けられたのだから、と。
皇帝からの親書を携え、東側の珍しい品々を献上し、王家と友好的な関係を築いた。
ファズマ王国の高度な魔法知識を教わりたいと願い出れば、何人かの魔法使いを受け入れてもくれた。
しかし召喚術の詳細は厳重に秘匿されていて、情報を得ることはできなかった。
というのも、一部の者にしか立ち入れない区域に関わる者は魔法使いであれ使用人であれ、「口外禁止」の契約書を交わしているためだ。
潜入させた魔法使いからは、直接的な情報を得ることは期待できなくなった。
立ち入れない場所を限定していくことで、そこに重要な秘密があるのでは、と推測を重ねていくしかなかった。
けして怪しまれぬようじわじわと調査を進めていき、魔法研究室内の構造と召喚術の責任者をつきとめた。
テーブルの上に広げられた紙には、人の好さそうな笑いじわを刻んだ老人の人相画が描かれていた。
「魔法研究室室長、オズワルド。90歳は過ぎているらしいが、いまだにトップの地位についている」
「その年齢は誇張が入ってるんじゃないか? 東側では70過ぎればいつお迎えがきてもおかしくないぞ」
「しかしこの国は気候も安定しているし、平民ですら栄養状態がいい。長寿の傾向にあるのかもしれんな」
男たちは軽く笑い声をあげる。
次に取り出したのは2枚の見取り図だった。1つは城の。もう1つは魔法研究室の。
「ターゲットは魔法研究室の建物内に居住している。夜間の警備体制も把握している」
男たちは地図を指さしながら侵入ルートや役割を確認する。
「ところで『勇者』も城にいるのでしょう? もし邪魔をされれば……」
「勇者の離宮は一番離れた場所にある。離宮に動く気配があれば、見張り役が合図の音を鳴らす。時間稼ぎをするための手練れも待機させる。心配ないさ」
男たちの打ち合わせは続く。
*
その一部始終を朝香たちは知ってしまった。
6人は「うーん」と考え込む。
「あのおじいちゃんの名前、オズワルドって言うんだねー」
と、のんきにつぶやく賢者はさておき。
「事前に情報を伝えて事件そのものを起こさせないか、侵入してきたところを取り押さえるか。どうするべきかな」
凛太郎が眉間に軽くしわを寄せている。
事前に情報を伝える場合、なぜそれを知っていたのか説明しなければならない。擬態シノビの存在は、できれば隠しておきたい。
「やはり、向こうが侵入してきた時に取り押さえるしかないか」
「光希君が作ってくれた『手かげん用武器』もあるし、オズワルドさんさえ守り抜ければいいのだから、何とかなりそうね」
「もしこの計画がうまくいったとしても、犯人の目星はすぐにつくと思うのよね。その後の国交はどうするつもりなのかしら」
祥子は首を傾げている。
「お互いに行き来が困難だから戦争にも発展しないでしょうし、国交は途絶えてもいいと考えているのかもね」
朝香の答えに何となく納得の雰囲気となる。そう、意外とそんなものかもしれない。
「召喚術を使う存在が増えるのは避けたいね。異世界召喚の被害者をこれ以上出したくないもの」
舞の心配はもっともで、他のメンバーも同意を示す。
「たとえボクたちが魔王や邪妖族を倒したとしても、この世界の人たちが召喚術をやめるとは限らないもんね」
一度手にした便利なものを、ひとはたやすく捨てたりはしない。特に召喚する側にさしたるリスクが伴わないのだから。
「召喚術そのものが使えなくなるようにできればいいけれど……」
朝香は手元を見つめ、ため息をつく。
「これは今すぐ答えが出せるものではないから、今後の課題としておこう。俺たちにはこの世界の魔法や召喚術の知識自体ないからな」
「あ、じゃあさ、魔法研究室に勉強しに行こうよ。あのおじいちゃんが話を通しておくって言ってくれてたし」
「おー、光希君、ナイスアイディア。見学と称して色々なものを見せてもらえれば、何かヒントが見つかるかもしれないしね」
と明るく言った後で、祥子はふと遠くを見る目をする。
「それにしてもネコル帝国かあ。ネコル……猫……ああ、モフりたい、可愛い生き物モフりた~~い」
祈るように両手を組み、天を仰いでいる。そうすれば神様が可愛い生き物を授けてくれるとばかりに。
「おお、祥子さんに謎の禁断症状が。さあさあこのトイプーっぽい頭を撫でて落ち着いて」
と、光希が智也を示す。
「誰がトイプーだよ」
と抗議をするが、細かなウェーブがかかったこげ茶色の髪は、たしかにそれっぽい。
「あーあ。お城にニャンコとかワンコとかウサちゃんとか迷い込んでこないかなー」
「猫カフェとかふれあい動物園みたいな施設があればいいのにね」
舞が苦笑まじりに言った言葉に、「よし、シリル先生に聞いてみよう」と光希が魔法書を取り出す。
魔法書の回答は、意外なものだった。
『聖獣を幼体バージョンで召喚することを推奨します。
長澤祥子に心ゆくまでモフらせた後は、ファズマ王国を目指しているネコル帝国の船団に本来の姿で向かわせます。
聖獣たちを見れば、神々しい生き物と彼らが勘違いする可能性が高いでしょう。
その勘違いを利用して彼らの翻意を促し、状況によってはネコル帝国まで乗り込んで皇帝を説得するといいでしょう』
意外過ぎて、書いてある文字を何度も読み返した。
そこに生じていた沈黙を破ったのは、光希だった。
「まさかシリル先生が『モフらせ』るなんて言葉を使うなんて。超受ける」
「うん。それもあるけど、うん」
光希に返事する祥子の声は、どこか呆然としている。
この世界に来たばかりの時は、どこにどんな悪意が潜んでいるか分からなかった。だからできるだけこちらの手の内を見せたくなかった。
だが聖獣の力を借りるべき時がついに訪れた。
まだこの世界に来て1週間も経ってないけどね(汗)。