【書籍発売記念SS】それぞれの過去
本編ありきの内容なので、未読の方は「王命の意味わかってます?(書籍でも短編でも可)」を先にお読みください。
クリフが貴族としてポンコツに育った理由と、荒ぶる少女ミニエッタのお話。
十三年前――――
緊張した面持ちの少年が、馬場でポニーに乗っていた。
少年の名はウォルト・ブリーデン。ブリーデン公爵家の嫡男であり、今は乗馬の授業中だ。
まだ使い込まれていないブーツに傷は少なく、子供用の乗馬服が初々しい。
ウォルトは教師に言われたとおり、背筋を伸ばして内腿に力を入れた。
顔は真っ直ぐ。曲がりたい方向に手綱を引き、適度に馬の首を叩いて労う。
正直に言って、ウォルトは馬が苦手だ。
周囲の人間は「馬は賢くて可愛い」というが、どうしてもそう思えない。
自分の価値をわかっているのか、城で飼っている犬に比べて態度がふてぶてしいので確かに賢いのだろうと思う。
周囲は「あれは美人だ。あっちは愛嬌がある」などと言っているが、どれを見ても大差ないと感じる。まずあの面長の顔を可愛いと思えなかった。
何より臭いだ。元々獣臭は苦手だったが、馬は歩きながらでも排便するものだから余計に辛い。
それにウォルトは体を動かすこと自体が好きではない。
公爵家の跡継ぎである彼は、騎馬よりも馬車に乗ることの方が多い人生になる。
将来必要とも思えないのでやりたくないが、公爵家に生まれた者として一通りこなせなければならないので週に二回、憂鬱な時間を過ごしていた。
「うわぁ、いいなあ! 父さまっ、オレも早く馬に乗りたい!」
父であるブリーデン公爵に連れられて、授業を見に来た弟のクリフが目を輝かせた。
「お前も十歳になったら、やることになる」
「今がいい!」
「二年後まで待ちなさい」
座学が得意で運動が苦手なウォルトとは対照的に、三歳年下のクリフは体を動かすことが好きだ。
何であろうと兄の真似をしたがるので、剣の授業も一緒に受けているが、驚くべきことにちゃんとついてきている。
本当は然るべき年齢になってから、クリフも授業を開始する予定だった。
しかしウォルトが指導を受けていると、クリフが離れた場所で、見よう見まねで拾った枝を振るうものだから、変な癖がついてはいけないと少々早めに剣術を始めることになったのだ。
「だいぶ慣れてきたようだな。スムーズなギャロップだった」
「ありがとうございます、父上。でもスピードを出すのが苦手で……。馬を信じて任せれば大丈夫だと、頭ではわかっているのですが」
恐怖を感じると、すぐに手綱を引いてしまう。
「そこまでわかっているなら問題ない。お前は理解が早いから、すぐに乗りこなすようになるだろう」
「頑張ります」
父に頭を撫でられたウォルトがはにかんでいると、「クリフ様!」という馬丁の悲鳴が聞こえた。
「父さま! 兄さま! オレも乗れたよ!」
ポニーではなく、立派な体躯の馬に跨がったクリフが笑顔で手を振った。
「クリフッ!!」
青ざめた父が駆け寄ろうとするが、危険だと馬丁に止められた。
「危ないから絶対に手を離すんじゃない! 今、降ろしてやるから、動くんじゃないぞ!」
大人しいと思ったら勝手に馬場に入り、柵を足場にして馬によじ登ったようだ。
手綱の代わりに鬣を掴み、小さな体で鞍もつけていない馬に危なげなく乗っている。
「大丈夫だよ。兄さまがやってるの見てたもん!」
「クリフッ!」
「旦那様。大きな声を出されると馬を刺激してしまいます。坊ちゃんは私にお任せください」
周囲の動揺も何のその、クリフはウォルトの真似をして腹を蹴ったが、力が弱すぎたのか馬は反応しなかった。
「あれ? おかしいな。もっと強くないとダメなの? でもこれ以上は痛いんじゃないかなぁ」
「坊ちゃん。その馬はまだ乗れる状態じゃないので、降りましょうね」
「どうしたら乗れるようになるの?」
「兄君の馬のように、鞍や鐙をつけないとダメなんですよ」
「そうなの?」
「馬具をつけることで、馬も『これから人を乗せるんだな』と認識するのです。またの機会にいたしましょうね」
馬もクリフも刺激しないよう、優しく語りかけながら馬丁は近づいた。
*
公爵が勝手なことをした息子を叱った後。馬丁が、主人に話しかけた。
「凄い身体能力ですね。普通はまずよじ登れないし、裸馬の上であんなに安定して乗っていられませんよ」
「……そうだな」
大人達の会話を聞いたウォルトは胸がざわざわした。
ウォルトには絶対できない。
しないのではなく、できない。
言いようのない不安が広がり、少年は胸を押さえた。
*
執務室にいるブリーデン公爵のもとに、家令に連れられた家庭教師がやってきた。
授業の進捗について報告した後、家庭教師の男は次男の素質について語った。
「それにしてもクリフ様の魔力量は素晴らしいですね。王都にある教育機関に進学すれば、王宮魔術師も夢ではありませんよ。私では基礎しか教えられないので、専門の教師を雇われると良いでしょう」
「ウォルトはどうだ?」
「ウォルト様の魔力量は並ですが、ご本人が勤勉なので問題ないでしょう」
弟は才能があり、兄は許容範囲。
「……そうか。クリフの教育は今どのあたりだ?」
「基本的な読み書きと四則計算は終わり、魔法の基礎理論と貴族としての基本知識を学び始めた状態です」
「そこまででいい」
「え?」
「授業は最低限で充分だ」
「しかし――」
「雇い主は私だ。私の指示に従えないのなら、別の教師を探す」
「……かしこまりました」
家庭教師が去った部屋で、家令は主の真意を確認しようとした。
「旦那様は、クリフ様のことを――」
「私は息子達を等しく愛している。だからこれは必要なことで、あの子の無知は私のエゴだ」
「……」
「ウォルトは勤勉で、堅実な性格をしている。安定した領地運営を行う、良い領主になるだろう。クリフは兄の剣になる。それが一番平和な未来だ」
公爵は家族の肖像画を見上げた。
亡き妻と、二人の息子と自分が描かれている。
公爵の息子だと一目でわかる長男とは違い、次男は家族から浮くくらい整った容姿をしている。
領主の息子なので普通に過ごしているが、もし庶民だったら人攫いにあわないよう髪で顔を隠して生活させただろう。
今、公爵がやろうとしているのはそれと同じだ。
余計な波風を立てないよう、芽が出る前に覆い隠すのだ。
*
一方その頃。遙か南の地では、一人の少女が暴れていた。
「お父さまに言いつけてやる!」
「あら、はじの上ぬりをなさるなんて、特しゅなしゅみをお持ちなのね」
足下にズボンをまとわりつかせ、尻餅をついた少年と、腰に手を当てて仁王立ちする少女。
少女――リリエッタ・サウスが鼻で笑うと、彼女を見上げた少年は涙目になった。
ここはサウス公爵家の庭で、この場には子供たちしかいない。
親に連れられてきた少年にちょっかいを出されたリリエッタは、間髪いれずにやり返した。
覚えたての風魔法でスカートめくりをされたので、お返しに同じく風魔法で転ばせた後、ズボンを引きずり下ろしてやった。
ズボンどころか下着もまとめて遠慮無くいった。
「リリエル。こっちへいらっしゃい」
固唾を呑んで見守っていた妹に声をかけると、小走りでやってきた。
「いいこと。やられたらやり返す。でもやり返すときに、気をつけることがあるんだけどわかるかしら?」
リリエッタは、ふるふると首を振る妹に微笑みかけた。
「反げきされないようにすることよ。今回の場合は、もし親に言いつけたり、根に持ってわたくしを目のかたきにすることがあれば『なぜそうなったのか?』と周囲は気にするわよね。女の子のスカートをめくって、返りうちにあったなんて知られたら人生終わりよ。生きはじをさらさないよう、まともな人間なら口をつぐむはずだわ」
妹に説明する形をとっているが、リリエッタの目的は足下でへたり込んでいる少年に釘を刺すことだ。
「くそぉ……くそぉ……」
本格的に泣き始めた少年を見下ろすと、リリエッタは「じごうじとくです」と言い切った。
「ちょっとスカートめくっただけなのに、転ばせるし全部おろすし。お前の方がひどい!」
「ならおしりが半分見えたところで止めればよかったの? ちがうでしょう。ていどの問だいではなく、やってはいけないことをやったのがダメなのです」
ああ言えば、こう言う。
どう考えてもリリエッタは過剰な報復をしているのに、悪びれないどころか更に追い打ちをかけた。
「お前なんかキライだー!!」
「あら、きぐうね。わたくしも、あなたのことがキライよ」
「うわああああんっ!!!!」
五歳でもリリエッタは、リリエッタだった。