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私という病理

わたしは高齢者であり障害者である。

年齢は古希、高次脳機能障害であり精神障害者である。

四十数年連れ添った元妻は私をローン完納済みマンションを追い出した。

退職金もローンの穴埋めで消えた、計画とおり。

服装、雑貨、見回り物など、全て絵断捨離し、まさに冬の服とディバッグひとつでマンションのドアを閉めた。

古希のわたしは孤独にむかって駅へと歩き始めた。

右手には白杖に支えられて。

わたしは明るかった、足取りは軽快であった。

六十年前、大学へ向かうリズムであった。あの頃は白杖は手元に必要ではなかった。

数時間前、生まれて初めて、母と父に別れを告げた。

わたしの経験値の低い知性で日本の未来を明るくしなやかな新社会システムを根付かせるという真っ白な夢を持っていた。

白杖のわたしは高齢の障害者である。

横断歩道では優しく自動車が左右で停車してくれる。

駅までの道は常に青信号が点灯していた。

予定より1本早い電車で羽田へ向かった。

この鉄路には1万回以上乗車したが、これがラストライドである。見飽きた車窓が何時もより早く飛んで消えた。

再生した。

白杖に代わり、わたしは四本脚の野生に進化した。

母ちゃん、父ちゃん、わたしはあなたたちの子です。

わたしは夫でなく親でもない、若返りした状況である。実績も金も住むマンションもない、軽い、高齢障害者の一人。

わたしを忘れたい人がいる。

わたしから遠ざかる人もいる。

わたしを気にしてくれる人もいる。

わたしが視界から消えない人が少数だがいる。

高齢障害者にはなってみるものだ。

周りの気持ちが手にとるようにわかる。

いつものJRはさまざまな人生を乗せて都心へ向かう。上野駅は男も女も忙しい。

ここは乗り換え駅。人生の路線を切り替える処。

心は山の手線へと一足先に乗り換える。若い人生が増えた。彼らも、あと二十年、三十年、走り続けないといけない。お疲れさん。

三十歳の時六十歳の自分を想像する人は少ない。

三十歳の時八十歳の自分を想像する人はいない。

しかし、皆、六十歳になる。

元気な人八十歳になる。

時計は正確なリズムで針を進める。






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