2.「はらの中」
視線を感じる。
曇り空の下。あたりに人の姿はないが、気配はある。
そりゃまあ、このあたりには似つかわしくない2頭立ての馬車が、路地で人をひとり投げ捨てるかのように置いていったのだから、警戒するのは当然だろう。
偉大な王国の首都とはいえ、端のあたりともなると治安は怪しい。跋扈するのはコソ泥に辻強盗、夢占い師に貸魔法屋、踊り屋に祟り屋。毒薬売りに真水売り、悪魔憑きに呪われ天使。
南の沼沢地帯にもほど近いこの一帯から、本来警備にあたるはずの王宮兵士があえて目を背けるのは仕方ないともいえる。
父からの突然の呼び出しから、全く説明のない王家からの御下命とやらのおかげで、優雅さとは無縁のほこりっぽいスネーク小路に放り出されたボクが真っ先にしたのは持ち物の確認だった。
さすがに可愛い息子を着の身着のままで放り出すわけもなく、父の部屋にはある程度の支度が整えられていた。
空の色を思わせるターコイズブルーのチュニックに、ベージュのカーゴパンツ。パンツのポケットは通常よりもはるかに大きく、どんな書類だって入るだろう。そう、よく判らない土地建物の権利書とか?
腰から下がった3本の鍵、懐には当面の生活費と馬車に一緒に積まれてきた麻の袋には、着替えが詰め込まれている。当面はこれが手持ちの武器というわけだ。
ひのきのぼうだけで魔王を倒して来いと言われたわけでもなく、具体的な使命があるわけでもない。今のところは事態はイージーモードだ。となるとやるべきは状況の把握。これから一国一城の主となるからには拠点の全容を知らねばなるまい。
父の部屋で見た建物の見取り図を思い浮かべる。現物はポケットの中にあるが優雅にそれを開いている暇はなさそうだ。
目の前の建物は青い石が積み上げられた2階建て(?)の建物だ。岩は砂岩だろうか? 色は青みが強めの青灰色。砂岩にしてはやや珍しい。
荒くならされた壁にナイフで切りつけたような書体で「銀のガマグチ」亭と屋号が刻まれ、漆黒の墨が流し込まれている。青灰色に黒はあまりにも目立たない。自己主張はあまりしないタイプのようだ。大いに結構。
「ん?」
刻まれた文字の下に、さらに細かい文字で署名がしてある。クセのありすぎる書体でハッキリとは読み取れない。
「じ…ぢ、じぇ? じ…じい。爺?」
爺ってなんだ。悪口か? 近所の悪ガキがいたずらでもしたのだろうか? こどもの落書きならもっと派手に描きそうなもんだが。
そして問題は入り口の扉だ。
まずデカい。形こそ普通の長方形だが、とにかくデカい、縦にも横にも。巨人族は無理だとしても、標準的な鬼族くらいなら楽に通れるんじゃないだろうか。
ボクは兄や姉ほど家業に熱心ではなかったが、見たところ南の森で取れる硬木を手の込んだ継ぎでつなぎ合わせ、1枚板みたいにして強度を上げた上に、金属の帯で巻いて補強している。こんなに頑丈に作らなければならないのは、貴族か王族の屋敷の扉くらいだろう。完全にならず者に襲撃されることを想定したつくりだ。もうこれだけでこのあたり一帯の治安が判ろうというもの。
その頑丈さの代償に扉はひどく重く、開閉にはさぞかし苦労するだろう。日ごろの利便性より防犯がメインの扉だ。ちょっとやそっとではビクともしない。必然的に客は選ぶ結果となるだろう。
この時はまだ知る由もないが、この扉のおかげで何度となく命を救われることとなる。何も知らないボクの、そのときの率直な感想は「何だこの扉、ゴツい!」に尽きた。
さて、愚痴っていても仕方ない。どこからともなく飛んでくる視線を避けるためにも、扉を開けねばならない。腰にある3本の鍵のうち、一番大きな鋳鉄の鍵をカギ穴に差し込み、右側に回すと錠と噛みあう感触があった。幸い錆びてはいないらしい。ガチャリと内部で何かが動きを伝え、扉がゆっくりと開いてゆく。
こりゃいいな。開閉機構は中に組み込まれてるらしい。人ひとり分が入れるくらい開くと、扉は勝手に止まった。後は手動で動かせということらしい。
すきまから中をのぞいてみると、わずかに残った西日が高い窓から差し込み、室内をうすぼんやりと浮かび上がらせているのが見える。
と、何の前触れもなく壁に埋め込まれたランプがポッと小さい音を立てて、火がともった。まるで誰かがそこにいて、来訪者を歓迎しているかのように。
何が起こったのか理解できずに固まっていると、さっき点いたランプの少し奥にまたひとつ明かりがともる。
「なんだこりゃ魔法か?」
あっけにとられているボクの目の前で、手前からひとつづつ、均等に埋め込まれているらしいランプが次々と誰の手も借りずに火をともし、光を放ち始める。
おとぎ話に出てくる魔法使いの家みたいだ。
脳裏を魔法使いの家にうかつに踏み込んで、ネズミに変えられるおとぎ話がよぎったが、足を止めるわけにもいかない。
それにあれは勝手にスープを食べたから……いや、それはクマの家に踏み込んでしまった話だったか?
クマの魔女だったら最悪だよな。
馬鹿なことを考えながら足を踏み入れる。板張りの床がキィーっとこすり合わされるような耳障りな音を立てた。
そこでようやっと、ボクは誰かが室内にいることに気が付いたのだ。
「だ、誰?」
中に入ったボクを出迎えたのは、ふたつの影だった。
「驚かせてしまい。申し訳ありません。お待ちしておりました」
正面の若い男が満面の笑みでボクを出迎えた。ボクと同じかやや年上だろうか。背格好もほぼ同じ。
「旦那様より、宿が正式に起動するまでは、正しい鍵を使って入ってくるもの以外の全てを排除しろと言われておりましたので」
上下をかっちりしたスーツに白いシャツでかため、丁寧に後ろへと撫でつけられた黒髪は一部の隙も感じさせない。整った顔に浮かぶ笑みははいささか満面過ぎてうさん臭い。
ニコニコとこちらを見る視線は優しげだが、なんかこう値踏みをされている気分だ。仲良くなるには時間のかかるタイプと見た。
「ジーニック様の仕事の手伝いをと、仰せつかっております。『銀のガマグチ亭』経理担当、補佐役のニコラウスでございます。ニコとお呼びください」
優雅に上半身を90度曲げ、優雅に戻す。たったそれだけの動作がキレイすぎて、目を奪われてしまった。
「あ、ああ。よろしく」
ダメだ。何をやっても、こいつの背後を取れる気がしない。
「はじめましてぇ~」
その右に立つメイド姿の女性からは、愛嬌たっぷりのあいさつが発せられる。
ずいぶん下の方から声がすると思ったら、これまた小柄な女性だ。ボクの腰ぐらいまでの背丈しかない。全体的に子供っぽい印象だが、ランプの光を反射して鈍く光る銀色の髪が凄く印象的だ。相当な長さがあるだろう髪をきれいに編み込んで、頭の上でくるんと巻いている。その髪の間からピコピコと動く耳が見えて、大変に愛らしい。耳? そう耳だ。
「『銀のガマグチ亭』、酒場の切り盛りと宿泊施設のあれこれをやってまーす」
「え? 全部? 大変じゃない?」
「大変でぇーす。ミールはタイグウのカイゼンを要求しまーす! おー!」
いきなりのシュプレヒコール。
「具体的にはミールには宿泊施設の雑務と、酒場の給仕をやってもらってます。あと用心棒も」
「用心棒?!」
ニコラウスのよどみない説明に意外な単語が混ざってきた。
「強いんですよ。彼女」
「そうなの!?」
「ミール強いよー」
うれしそうに頭の上の立ち耳が、いっそう激しくピコピコと揺れる。
「あー。そういうこと?」
「そういうことです」
僕の言葉を引き取って、ニコラウスが相槌を打った。
ミールは獣人系の住人だ。変身系か混合系かは判らないが、ボクのつたない知識でも銀色の毛を持つ獣人といえば銀狼しか思いつかない。伝説級とはいかなくとも一生に一度会うか会わないかクラスのレアな存在のはずだが、目の前で無邪気にニコニコしている小柄な女性と上手く結びつかない。
(ちなみに…。)
ニコラウスがいきなり耳打ちしてきた。
(発情期のミールにはお気をつけください。文字通り食われます。抵抗も無駄です)
銀郎のパワーを存分に発揮中のミールと対峙する自分を思い浮かべる。
ダメだ。何をやっても、こいつに勝てる気がしない。
「dfbsrtnbsrtb;;;@;adsvarvaxssssss」
「?」
いきなり壁が、いや違う「銀のガマグチ」亭そのものが揺れて、聞き取れない音を発した。
「? なんだこの音?」
「ddcsewaefcg jhjkml,;.:/」
やはり聞き取れない。てか、これ言葉じゃない、だけど違う体系のコミュニケーションだ。意思を感じる。さっぱり理解は及ばないが。
「ダメだよ、オーキィ。ジーニックさまにプランツは通じないの。私が通訳してあげる」
プランツ? とは何だ?
「植物系界隈の共通語…みたいなもんですかね。枝葉を揺らしたり、こすり合わせたり、根を広げたりすることによって互いの意思を伝えあっている…らしいです」
「そうだよー。でもおじいちゃんの木になるほどお話はゆっくりになっちゃうから、『こんにちはー、いいお天気ですねー』ってあいさつするだけでお昼になったりするみたい。おじいちゃんたちはあんまり気にしてないみたいだけど、オーキィは珍しくせっかちさんなの」
自信無げなニコと、楽し気に話してくれるミール。得意分野はそれぞれ別のようだ。
「それで、オーキィだっけ? 彼は何を?」
「kkfoefmvwsef;;;:;sfssfcrf」
「えーとね、自己紹介がしたいんだって。南の堅木の森出身、ブラッディスマック族が一人、トレントのオーキィと申します。だって。オーキィってもともと木だったの?」
「llmki」
ブラッディスマックといえば、滅多に手に入らない高級材として有名だ。木目が素晴らしく美しいが、硬くて目が詰まっているがゆえに加工はしにくい。職人泣かせの材料だが、仕上げにとある油を使うと、得も言われぬ鮮烈な赤みが出る。幸運の赤とも言われるブラッディスマックで娘の婚礼用具一式を揃えたいという親バカ貴族は何度も見てきたが、文字通り未開の森での伐採作業は困難を極め、ほとんどは途中であきらめたと聞いている。
「wwevls\d/v,aerberbaeawegaeb997dwegaSdvbbssswa:;dbm:@」
「私はもはや老体ゆえ、動くことかないませんがお手伝いならほら、この通り」
いうが早いか、奥から数人の人影…ではない。4体の人形が現れた。どれも子供の背丈くらい。顔はなく、のっぺらぼうだ。球体関節は音もなくくるくる回り、人のような、そして時折人ではありえない角度の自在なポーズを見せてくる。粗末な服を着せられているのは明らかに人の模倣なのだろう。
「baerbop;lodmfebra_srdba/.erbeeeSdvaer:bpm @]:zemarvzedafrbv」
「私の一部から切り出された分け身たちだ。思い通りに動かすことができる。ジェペット爺の手になる人形ゆえに人よりも可動範囲が大きい。だってー」
「オーキィはもともと巨大なトレントでした。病気によって朽ちようとしていたところを、かの細工師ジェペット爺に救われ、『銀のガマグチ』亭としてよみがえりました。オーキィ自体が『銀のガマグチ』亭なのです。ありていに言えば、我々はオーキィの腹の中ということですかね。ちなみに調理と設備の修繕は彼の仕事です。」
「jijijijiijijiji」
「あー、オーキィ笑ってるー」
ミールに翻訳してもらうまでもなく、それは笑い声だった。
今まで聞いたことのない音。しかし音に込められた可笑しそうな雰囲気はちゃんと伝わってくる。
ダメだ。何をやっても、ボクはこいつの腹の中だ。