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1.「銀のガマグチ亭」

“うろこ顔”ジーニック。

 もちろんこれは悪口だ。

 はじめは2歳を少し超えたころだったろうか、季節の変わり目にひどい熱を出した直後から、右目の上からこめかみにかけて、ひどい疥癬が現れた。

 裕福な商人だった父も、3人の子供たちには等しく甘かった母もひどく驚き、手を尽くして両の手では足りないほどの医者を呼んではくれたが、直りはしなかった。荒れた皮膚は何度も膿み、破れては周りに血とよく判らないネバネバをまき散らす。しばらくすると薄いピンクの皮膚に覆われるが、また荒れては膿み、破れを繰り返す。学校に上がる年までにはひどく膿むことはなくなったが、皮膚は硬くギザギザに固まって、自分ですらうっかりすると手を切りそうだし、母の鏡でこっそり確認してみたら、確かに蛇かトカゲのウロコが生えてきたと思ってもおかしくは無い。客観的にみて「ウロコ顔」は的を得た表現だ。と、どこか他人事のように思ったのを覚えている。

 ツンとする匂いの膏薬と、甘ったるい香りの膿と、床にこぼれた血液の鉄臭さ。この3つの香りがボクの子供時代にはつねに付きまとっている。


 学校のいじめっこや、口さがない使用人たちが自分のことを陰でこっそり「ウロコ顔」と呼んでいるのは知っていた。

 いわずもがな使用人たちがそんな呼び方をしているところを父が見つけたら、その場でクビだ。おまけに父はやるとなったら徹底的にやる性格だった。即座に雇用契約違反を訴え、その使用人の身元保証人もろとも「正義がなされる」ために社会的、心情的、金銭的リソースをとことんまで絞りあげ、ニコニコ笑いながら煉獄の入り口まで案内するだろう。

 そんな燃え盛る父性愛と正面から闘いたい使用人は、あまり見当たらなかった。


 学校のいじめっこはどうだろう。可愛いジーニックを「ウロコ顔」と呼んだ悪ガキを父は訴えるだろうか? 残念ながらそれはなかった。父は子供には寛容で特に一銭にもならない相手なら、好きにさせておけ。というわけだ。

 代わりに学校でボクをかばってくれたのは兄と姉だった。

 惚れ惚れするようなハンサムで見上げるような偉丈夫だった兄は腕っぷしも強く、敵も多かったが仲間も多かった。

 表立った場所で可愛いジーニックを「ウロコ顔」と呼ぼうものなら、兄を先頭に腕っぷし自慢の仲間たちが駆け付けるという寸法だ。

 姉は兄のように拳にものを言わせるタイプではなかったが、その場の空気を掌握し、あやつることにかけては、学校に通っていた年齢で、既に父以上だったかもしれない。

 兄のグループと対立していた別のグループを、絡みのあった女子グループを介して懐柔し、宥め、取引をした。

 3日前に「ウロコ顔のタマ無し野郎、家族がいないと言い返すこともできないヘナチョコ」(その通りだ)とボクを罵ったやつが、目の前で膝をつき、

「もう2度とお前の悪口は言わないよ。言ったら最後、うちの妹は未来永劫独りでランチを取る羽目になるらしいからな」と青ざめた顔をしていたのを覚えている。僕もそれを聞いて青ざめた。何をどう取り引きしたんだ姉上よ。


 そんな兄姉弟3人も時が経って無事に成人を迎えた。

 父の髪にも白いものが混じるようになり、以前のような苛烈さは影をひそめ、財をやみくもに増やすよりも、成した財がどんな実を結ぶのか、誰がその実を食べるのかを気にしている。

 ボクのウロコ顔は相変わらずだ。前髪を伸ばしてあまり目立たないようにはしているが限度がある。

 自分から見えないので特に気にはしていなかったが、父が主なお得意先としている王侯貴族相手ではやはり分が悪いのか、そっちの仕事は長男のアニエスと長女のプリシラが取り仕切るようになり、どちらも手際の良さが好評を博している。

 大商人の誉れ高かった父のあとを継ぐのはどっちだと下馬評も真っ二つだがボクの見立てが正しければあの2人は仲良くやっていくのではないだろうか。

 兄は姉の蛇のようなするっと状況に入り込む交渉力を高く評価していたし、姉は兄のワニのような1度食らいついたら離さない粘り強さを称賛していた。2人ともお金は大好きだったが、裕福な家庭にはよくありがちな執着はしないタイプで、商売は一種のゲームだとみなしている風だった。

 もちろん失敗すれば人生を台無しにすることは判っている。それでもなお熱くなることなくゲームと見做し、ひたすらに利益を積み上げる行為を楽しみとする気風の持ち主だった。我が兄と姉ながら尊敬せざるを得ない。

 そんな2人の手伝いをしているうちにボクも自然と顔は広くなった。

 他にふたつとない顔だ。一度で覚えてもらえるという点では、ボクはピカ一だった。いや自虐ではなく。

 もちろん、それ以上に大商人である父、何にも物おじしない兄、交渉では誰にも引けを取らない姉の

係累であるという立場も存分に利用した。

 そう意味ではボクは成人した後も家族に守ってもらっていたのだと言える。


 そんな中途半端な、商人の息子としての居候生活は突然終わりを迎えた。

 朝食を取り終えて、これから秋祭りの準備に忙しくなるだろう仕立て屋の元締めを訪ねるか、先日新しいぶどう酒のカメを入れたという蔵元を訪ねるかと、準備をしていたところ、父から突然呼び出され、1通の書面を渡されたのだ。

「何ですかこれ?」

 きつく巻かれた書面を広げると、それは一軒の家の権利書と見取り図だった。

「ええと? 場所は…南のマッドポンドストリートって南の端じゃないですか……の、スネーク小路の2番て、ずいぶん端ですね。行ったことないなあ。あんまり治安もよくない地域では? で、この家ですが……こりゃ旅籠ですね、1階は酒場……かな? で、これがどうしたんです? あんまり高くは売れないと思いますよ。古そうな建物だし、何といっても場所が良くないです。ここで酒場を開いても訳ありのお客さんが大半でしょうね。え? がんばれ? 何をです? はあ、ボクがこの旅籠を経営する? 

え? うちは旅籠の経営までやるように? それも違う? 王家からの下命が下った? 王家ってそんなところまで口を出してくるんです? ええ、ええ。その父さんの手にあるのが王家の封蝋のついた書状ってのは判りますよ。父さんがそれに逆らうことができないってのもね。で、その御下命の中身は何だったんです? 何の目的でボクに旅籠を経営させようってんですか?

え? それも言えない。いやいや言えないってことはないでしょう。せめて何を達成すればその御下命を果たせるのか判らないと。え? もう話せることはないから現地に向かえ? ちょっと待ってくださいよ父さん。せめてヒントだけでも! それがだめならせめて母さんにご挨拶を! ダメ? じゃあボクの部屋にいるカメのゴールドウォッシュにせめて餌をやってから。え、今すぐ? 馬車の準備はできてるって。いくらなんでも早すぎませんか父さん! 父さん?!」


 と、これがざっと3か月前のお話。

 権利書と鍵が3本だけついたホルダーを渡され、マッドポンドストリートのスネーク小路の2番まで、まるで人目を避けつつ護送されるかのように馬車で送り込まれ、ボクは旅籠「銀のガマグチ」亭の主となったのだ。

続きがあるかどうかは、前頭葉のシナプスの繋がり次第なり

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