都市伝説
おれが教室に入って行くと孤高のはずの坂崎が友だちとおしゃべりしていた。しかも相手は優等生の中田だ。
中田和香奈。オールAの中田。学院一の成績優秀な生徒。ガリ勉ばかりの中田。クラブ活動の時間すら受験勉強している中田が坂崎とおしゃべりしている。
おれはかばんを自分の席に置いてしばらく二人の楽しそうなやりとりを見ていたが、ガールズトークの間に割り込む勇気はない。おれと坂崎は秘密を共有するが、付き合ってるわけじゃないからな。
「なに。まだ付き合っていないが秘密を共有してる、と」藤原がおれの耳元でささやく。
「うわっ! またおれなんか言ってた?」
「お前の近くにいるとゴシップが拾えておもしろい」藤原がのほほんと言う。こいつはいつまでも友だちにしておいていいのだろうか。
「でも、珍しいな。坂崎が友だちとしゃべってるぜ」
「うん。なんでかな」おれもそう感じていたところだ。
「そりゃ、この間の事件だろう。羽黒たちをやりこめて、しかも自分が立たされた。カッコいいよな。おれも惚れちゃいそう。あれで人気者になったのさ」
「じゃあ、同じ立たされたおれにはなんでみんなが寄ってこないんだ」
「お前の場合はあまりカッコよくなかったからな。単に独り言が漏れただけだし」
「ぐ」
まあ、友情なんて信じない坂崎に友だちができただけでもいいことなんだろうな。
「ヤアマン、ところで」藤原郁人はおれのかたわらに身を寄せるとささやいた。「重大な発表がある」
おれは首だけ回して郁人の顔を見た。やつは深刻な顔をして軽くおれにうなずいた。いや、こいつがこんな顔をするのは、絶対に都市伝説的な何かがあるだけだ。おれはそのまま椅子の背にもたれて次を待っていた。
「首無女の件で重大な事実が判明した」
「え?」いつもは都市伝説をスルーするおれだが、首無し女と聞いて向き直ってしまった。
「重大な事実?」
「そう! 首無女の正体を特定することのできるかもしれない情報だ」藤原は重々しく言った。「われわれ都市伝説研究会が前人未到の謎にせまるときがきた」
おれは急に不安になって聞いた。坂崎の身元が割れたのか。まずいよな。
「なんだヤアマン。おまえ、今日は興味ありそうな顔してるな。いつもは「またか」って表情だけど。おまえも首無女には興味があるのか」
「あ、ああ」
「じゃあ、一度都市伝説研究会に見学に来いよ。証拠を見せてやる」
「証拠?」
「そうだ。そういえばお前にも関係あることだ」
おれはますます不安になった。おれにも関係ある? おれが坂崎の透明化のことを知っていることとか、裸を見てしまったとか、助け合う約束を交わしたこととか、そのどれかが知られてしまったのだろうか。
「お前、祖父が考古学者だったよな」
「ああ」
「それで昔は発掘を手伝ったりしたんだよな」
「それで」
「考古学的な事実からおれたち都市伝説研究会が首無女の正体を明かすんだ」
「いや、首無女だって都合があるだろうし、その、正体を詮索されたくないんじゃないかな」
「ヤアマン。おまえ何言ってんだ。今日は歯切れ悪いな」
「えと」おれは目を泳がせた。どうしよう。
結局おれは初めて藤原の誘いに乗って都市伝説研究会を見学に行くことになった。
*
藤原の歩いて行った先は、大仏山学院本館のすぐ裏手にある丘のふもとだった。敷地内には、多少なりとも自然が残され、夏にはカブトムシの群がる森や、ケシの花が咲き誇る花壇があった。飛び石の小道をぴょんぴょんと跳んでゆく藤原の後をついてゆくと、じきに古い石造りの建物が見えてきた。
創立者記念館だ。正面には創立者の像、かたわらにはスイートピーの花壇がある。像には「自由・自主・慈愛」という理念が刻まれていた。
この大仏山学院の創立者を記念し、古い土蔵を改装して作った建物らしい。江戸時代の様式か、白い御影石の上に這う蔦が時代を感じさせる。
藤原はどんどん歩を進め、そのまま開いている正面玄関から中に入って行った。あ、あれ?
おれが改めて創立者記念館を見ると、建物自体は古いものの、扉の周りからは蔦が取り除かれており、開け閉めしたような跡がある。現在もまだ使っている様子だった。
おれはそれだけ確認すると藤原の後に続いて創立者記念館の扉をくぐった。
最初におれを出迎えたのは、ひんやりとした空気と薄暗い内部だった。意外に清潔だ。鼻をすすったが、古い建物にありがちなすえたような臭いはない。正面の廊下を迷わず進む藤原は、突き当りのドアの前までたどり着くとおれを振り返った。
「ここ、使ってたんだ」おれはきょろきょろと周りを見回しながら尋ねた。
「創立者記念館。今は第二学生会館を兼ねてる」
「え、第二?」
「本校舎の横にあるのが学生会館。あれは正式に認められた部活のための会館で、こちらの第二学生会館は……」
藤原はそう言いながらドアを開いた。それでおれはドアの正面に紙が張り付けてあるのを見た。
「郷土歴史研究会」と書いてあった。
「イエス ウィ キャン。イエス ウィ キャン。」右側には三脚に取り付けたカメラの前で踊り狂っている男子生徒、左側にはやはり大画面モニターで格闘ゲームをやっている男子生徒がいる。そして正面にはやはりモニターにのめり込むように座っている男子生徒。それから、あれ。
片隅で一人だけ女子生徒が机で勉強していた。おれも知っている中田和香奈だ。オールAの中田。
「おおい。ツレを連れてきた」
藤原の声で踊っている生徒もゲームをやっている生徒も音楽を中断し、こちらを向いた。さらに隅っこでこちらに背を向けていた二人がこちらを向く。
おれは改めて周りを見回した。広い室内はもともと展示室だったようで、正面の壁には創立者の肖像画と言葉を額に入れて飾ってある。それぞれの生徒たちがいた場所は申し訳程度のパーティションで区切られ、それぞれのパーティションには手書きの張り紙が張り付けてある。
ウーチュー部研究会
プロゲーマー同好会
デジタル漫画研究会
都市伝説研究会
と書いてあった。
「え、郷土歴史研究会じゃねえの」
「ま、それぞれやりたいことが違うんだけど、利害が一致したから一緒にいるわけだ」
「利害」
「ここ(大仏山学院)は基本部活参加必須で、でも部を作るためには最低五人集めて生徒会と学年主任の許可をもらわなくちゃいけない。だからやってることは違うけど、承認をとるためにとりあえずそれっぽい研究会を作ったんだ」
「ふーん」おれは両親から家事手伝いの特別許可を申請してもらって部活を免除されたが、入りたい部がないやつら、いや部活の時間でやりたいことをやりたいやつらは大変だな。
おれは一つを読んでみた。
「ウーチュー部研究会」
「あ、それ、おれの部ね。おれ、御前菅人」先ほど歌いながら踊り狂っていた生徒が答えた。
(御前菅人って、そのまんまの名だな。両親は狙ってつけたのか。いや、しかし十七年前に現代のインターネット状況を把握していたとしたら、彼の両親は大した洞察力だ)
「だろっ。だろっ!」やにわに御前はおれの前で叫んだ。しまった。どうやらまた考えていたことをしゃべってしまったらしい。
「こいつは「本音を隠せない」という特殊能力を備えている男気あふれる男、山前だ」藤原が紹介してくれた。
「御前はこの間「どれだけ長い間水に潜っていられるかやってみた」という企画で死にそうになるし」
(それ単なる馬鹿じゃね?)
「馬鹿じゃないぞ」御前が割り込んだ。「テレビはいくら「超過激」とか銘打っても所詮はスポンサーの顔色伺い、安全を確保してやっている。事故が起きたらバッシングされるからな。それが視聴者に見抜かれているから面白くないんだ」
「そういえば、テレビの企画ものとかバラエティって、面白くないよな」
「だろっ。制作側の事情が見てる側に読めてしまうってのは駄目なんだ。おれはそこを超えた作品を作る」
なんだかかっこいいな。
「ウーチューブは視聴率がリアルでわかる。優れたものを作れば即座に反応がある。適当に手を抜いてやっていればあっという間に見抜かれて人気が落ちる。日々真剣勝負だ」
なんか漢という感じだ。
「御前ははアクセス数十万のウーチューバーなんだぜ」藤原が解説した。
「ほんとか?」
「本当さ。見ろよ」御前が指さした先には台の上にブロンズ色のウーチューブ像が乗っていた。確かにかなりアクセス数の高いウーチューバーだけが贈られると聞いた像だ。
「御前だけじゃなく、他の愛好会もいるぜ」藤原にうながされて他の張り紙を見ると、
「あ、ぼくは堂田露伴です。デジタル漫研やってます」
漫画研究会ね。
「堂田はコミポを使った漫画でプロデビューしてるんだ」
「わたしは梅田第九。今年のカプコンはもらった」
「梅田はロードファイター世界大会のUー19で日本代表に選ばれたプロゲーマーだぞ」
藤原はにっこりとしておれを向いた。
「この第二学生会館は正式に認められていない部活、同好会とか、サークルとかの建物なんだ」
この創立者記念館にいるのは最初は変な連中に見えたが、話を聞いてみるとおれなんか足元にも及ばないすごい連中だとわかった。
「こんなにすごいのに正式に部として認めてくれないのか」おれの脳裏に学年主任斉藤の怒鳴る姿が浮かんだ。
「正式な部に昇格するには、まず五人の部員を集め、それから生徒会と職員会議の承認を得なければならない。今まで条件を満たすことができなかったが、中田が参加してくれたのでこれから申請する」
中田和香奈はこちらを振り向いてにっこりした。「わたしは仮入部。ここ(大佛山学院)ではどこかに入部していないといけないけど、受験勉強に忙しいから好きなことしてていいここにいるの」
ふーん。そんなのもありなんだ。
「先生になにか言われないの?」
「少なくともうちの顧問はなにも言わない」
中田の視線の先には座ってお茶を飲んでいる老人がいた。どっかで会ったことがある。
「美術の島田先生」
ああそうだ。
島田先生はにこにこしながら無言だった。活動内容には口をはさまないようだ。
「こっちがおれの机だ。まあちょっと見てくれ」藤原はおれを自分の机に案内し、デスクの上に乗っている物をわきにどけると筒状に巻いた紙を広げた。
おれがなんとなく見たことのあるような地図が現れた。古地図だ。地図の上にはいくつもの印がマジックでつけてある。
「これはこの町の江戸時代の地図だ。図書室から許可を得てコピーをとった」藤原は作戦会議室でミッション説明、という口調で話し始めた。
「この印は今まで首無女が目撃された場所をプロットしてある。わりと集中しているのがわかると思う。ここは現代では明るいショッピングモールとその周辺地区だ。しかし百年前にはここはなんだったか」藤原は興奮で目を見開いたままおれを見た。「なんと百年前にはここは刑場だったんだ刑場。江戸時代の犯罪者たちがここで磔、斬首などの刑罰を受けていたんだよ」
とうとう藤原は立ち上がって部屋の中を歩き始めた。「つまり、首無女は江戸時代に斬首の刑を受けた受刑者の霊である可能性が非常に高い」藤原はおれに人差し指をつきつけて言った。「どうだねこの推理は。ワトソン博士」
いや、まあショッピングモールに首無女の出没が多いのは、繁華街には坂崎が制裁を加えたワルが多いからだろうな。
藤原によって坂崎の秘密が暴かれたのではないかと心配していたおれはちょっと安心して地図を見直した。ここが現在のショッピングモールなら、おれの自宅はこの辺りで、大仏山学院はこの辺りだな。
地図は住宅地図のようなもので、縮尺はちょっと怪しいが、建物はもれなく記載されている。おれは興味深く地図の学院に相当する場所を見ていておかしなことに気づいた。
「あれ。この建物が載っていないな」
興奮して歩き回っていた藤原がおれの隣に戻ってきて覗き込んだ。
「ああ、そう言われればそうだな。その時代にはまだなかったんじゃねえの」
「いや、学院の本館なら戦後だってわかるんだけど、もともとこの建物って江戸時代からある土蔵で、歴史的に由緒があって、保存対象だって聞いていたけど」
「文化庁とか県に指定されて、とか」
「いや。それならなんでおれたちの部室になってんの」
おれは言った。「だから最初来た時、中に入れたのでびっくりしたんだよ。保存対象なら立ち入り禁止だから、普通」
考え込んだおれは首無し女に話を戻そうとする藤原の言葉には上の空で創立者記念館の中を歩き回った。
中央の部屋の一番奥には創立者の高坂善次郎の肖像写真が飾ってある。その写真を収めた額がなんか歪んでいる気がしたので、おれは近寄って触ってみた。
額はわりと簡単にはずれた。というより、もともと別の場所にかけてかったのをどかしてここにとりあえずぽん、と置いたようだ。額の背面には釘に引っ掛けるひもがぶら下がっているが、額の後ろの壁には釘がなかったからである。
その代わりにプレートに収められた碑があった。碑の作られた時代はわからないが、そこにはこう刻まれていた。
「すべての若者には個性があり可能性がある。
それらはまるで地面に埋まっている金のように価値あるものである。
教育者の目的はその価値あるものを発掘することであり、理解しない者の手に渡してはならない」
「ふーん」おれと一緒に覗いていた藤原がつぶやいた。「こんなものがあったのか」
「これってどういう意味だろう」おれは聞いた。
「まあ、普通の教育理念じゃね。理解しない者の手に渡してはならない、とかって碑に書くにはちょっと変わってるけど」藤原はつまらなそうに答えた。「それより首無し女の謎はどうなった」
盛り上がる藤原を置き去りにして、おれは考えに沈んだ。
*
おれは大佛山学院の図書室にいた。
藤原の主張する首無し女は斬首の刑を受けた徒刑囚の幽霊説は全く信じられなかったが、江戸時代の建物と聞いていた創立者記念館が江戸時代には存在しなかったのでは、という疑問は、おれの考古学センサーに引っかかったので、おれはもう少し調べてみることにした。
おれは古地図を調べ、江戸時代のみならず明治や大正にすら、創立者記念館がなかったことを確認した。
おれは昭和以降の地図を調べた。今度は間違いなく創立者記念館が地図上に記されている。
これはどういうことか。創立者記念館の外見はとても古く見える。しかし実は最近作られたものみたいだ。誰がなぜそんなことをしたのか。
それなら創立者記念館を作った人物のことを調べれば、なにかわかるかもしれない。
そこでおれは創立者の資料を探した。
さすが大佛山学院の図書館だ。もちろん創立者に関する資料はある。
学院案内などの資料を読むと、大佛山学院を作ったのは創立者の高坂善次郎氏で、現在の理事長高坂阿万里氏の曽祖父にあたる人だ。高坂善次郎氏は明治生まれで、大正、昭和と二度の世界大戦を経験し、昭和の途中で亡くなっている。その後彼の息子の高坂由自氏が二代目、さらにその息子、つまり現在の理事長の父高坂進氏が三代目の理事長だ。代々理事長を継いで今の理事長で四代目ということになる。「高坂進」という名前を見て、おれはちょっと既視感を覚えた。この名前、どっかで見たような気がする。
しかし今は創立者記念館を建てた経緯を調べているので、高坂善次郎氏の記録を調べねばならない。
面白いことに創業者の記録だが、高坂善次郎氏に関して批判的な書物もここにはあった。
それによると、高坂善次郎氏はかつて非常に悪どい事業家で、資産形成の際に法律すれすれのことを何度も行い、「高坂の通った跡はぺんぺん草も生えない」と言われるほどに金儲けのためには手段を選ばない人物だったようだ。しかし後年、そのような生き方を深く悔い、世間に対して償いの意味で私財をはたいてこの大佛山学院を創立した。そこで大佛山学院の理念は「あらゆる若者の可能性を見つけ出すために忍耐して機会を与え、人間を規格にはめることはしない」というものだったそうだ。
これは創立者記念館で見つけた碑の文言と合う気がする。おれはさらに高坂善次郎氏の日記を見つけた。
おれは日記のページをめくった。
日記は特にこれといって面白いものではなかったが、四十代以降になってからの学院運営の話が載っている。ほとんど行事関連で、おれは読み飛ばしたが、読んでいてなにかの既視感を感じた。これってじいちゃんの考古学調査日記に似ている。昔の人の日記って、みんなこんな感じなのかな。
そのとき突然おれは三代目理事長高坂進の名前に思い至った。どこかで見たと思ったが、じいちゃんの持っていた考古学会の記録かなにかで名前を見た覚えがある。生まれが戦後直後くらいだからじいちゃんと同世代だ。病気になっていなければまだ生きているかも。
日記はだんだんと第二次世界大戦の戦局が悪化していくに従って重苦しい内容になっていった。日本各地に米軍の爆撃機が飛んできて爆弾を落とし、街が焼け野原になったことが淡々と綴られている。
おれはページをめくった。
突然、日記のテンションが変わった。ページのあちらこちらに「地面に埋まっている金のようなものである」「理解しない者の手に渡してはならない」との記述が見つかったのだ。
おれは日記をもう一度ひっくり返して見たが、そのような記述はそれ以前の日記には見つからなかった。第二次世界大戦末期、日本が連合軍に無条件降伏する数ヶ月直前にこの記述が始まっている。そしてそれは数ページ続くと、今度は内容は終戦後になり、日記のテンションは戻った。また行事などが記録されているだけで、面白みのない内容になった。
おれは首をひねった。終戦前後の記述のみ、なぜこんなに突出しているんだろうか。おれはじいちゃんの顔を思い出したが、今すぐに連絡を取れない場所にいる。
今度じいちゃんに会う機会があったら、高坂進氏のことを聞いてみよう。
おれはそう思って図書館での調査を終えた。
*
「それでこの創立者記念館というのはいつ、何の目的で建てたのかが謎なんだ」
おれは自分の調査結果を郷土歴史研究会の面々に話していた。おれは一人でテンション高かったが、みんなの反応はいま一つだった。
「山前、ほんとに考古学脳」
「郷土歴史研究会に一番合った活動じゃね」
「いっそのこと、おたくが率先して入部したらどうよ」
まあ、そうだろうな。考古学的な話なんて、しかも近代史ってあまりロマンというか人気がないよな。
おれは一通り話おわったところで黙った。創立者記念館の秘密が分かったからと言って、おれたちの活動や生活に影響があるわけでもないだろう。
そのとき、正面玄関の方から声が聞こえた。
「ここです」
「まあまあずいぶんとむさ苦しいところね」
入り口の方から声が聞こえた。
おれが振り返ると先日俺たちを怒鳴りつけた学年主任と一緒に背の高い骨太な女性が現れた。若い頃はさぞかし美人、いや今でも痩せていたらけっこう素敵に見えるだろう。ただ今はでっぷりと太り、全身から暑苦しい威圧感のようなものを発している。これは性格によるものか。なんとなくこの人の前ではあまり正直に話したくない、そう思わせる人物だった。この女性に比べると学年主任はまだ小物だといえる。
「おや、どなたですか」藤原が応対する。
しかしその女性はおれたちなど眼中にないかのようにずかずかと室内に踏み込むと「汗臭いわね」と言いながら部屋中を眺め回し、勝手に三脚の上のカメラやゲームのコントローラをいじった。
「あ、すいません。今動かさないでください」御前が言うのをさえぎるようにして学年主任の斉藤先生が言った。
「こら。こちらの方はPTA会長の麻生泰子さんだ。粗相がないように気をつけろ」
彼が言うとなんでも怒鳴っているように聞こえる。
「そうでしたかこんにちわ。なんの御用ですか」PTA会長と聞いても全く態度を変えずに藤原が言った。藤原を見た学年主任が目を細めふん、と鼻を鳴らす。
「なぜこの子たちはまだここを占拠しているの」麻生会長が言った。
おれたちは全員がそれぞれ不穏な空気を感じ、押し黙ったまま二人の大人を見つめた。
「一応、同好会活動、という事になっています」と斉藤学年主任。
「じゃあ、部活動ではないのね」
「そうです」
「結構。よくわかったわ。学院の設備を利用して好きなだけ遊んでいる、ということね」
「ちょっと聞き捨てなりませんね」梅原が遮った。「おれたちは遊んでなんかいませんよ」
「これはなに? これはゲームでしょ」PTA会長はゲームのコントローラを人差し指でつつきながら口をとがらせた。
梅原も負けずと口を尖らせた。「今ではゲームは立派なスポーツです。アメリカや韓国ではゲームで食べているプロがいますし、世界大会での戦いはオリンピック選手並みの反射神経と才能がなければ勝てない世界です。知らないからって決めつけないでください」
梅原の反論に麻生会長は目をむいたが、何も言えなかった。彼女は次に三脚の上に止まったカラスのようなカメラをつついた。どうやら気に食わないものを指でつつくのが彼女の癖らしい。
「これはなに? これが部活動なの?」
「これはウーチューブに投稿するためのものです」御前が答える。
「なに? じゃあここはインターネット接続があるの?」麻生会長は学年主任を振り向いて言った。学年主任は若干慌てたように答えた。「え、はい。あります。前理事長の意向で、インターネット回線の契約は行っています」
「学院内でスマホの使用は禁止でしょう? なぜインターネット回線があるの?」
「ちゃんと説明して許可をもらいました。費用は部費から払ってます。ウーチューブは新しい情報発信の方法です。遊びじゃないです。新聞部や放送部があるのに、なんでインターネットはだめですか」
御前の言葉に麻生会長はここぞという感じで言った。
「インターネットは危険な世界だからです。未成年がSNSなんかでたくさん被害を受けています。判断力の劣った未成年がインターネットに接続することでたくさんの問題が起きています」
「判断力の劣った大人もいっぱいいますよね。電車やバスでスマホを見るために陣取って邪魔な大人。駅のホームでふらふら歩いて邪魔な大人。運転しながらゲームやってる大人。おれ、スマホは学校へ持ってこないし、歩きスマホもやりません。ちゃんとマナーは守ってますよ。ウーチューブへの動画作品投稿はちゃんとした部活で、全国高校総合文化祭の昨年度大会に出品して銀賞をもらいました。ウーチューブのなにがいけませんか」
堂々と話す御前に、麻生PTA会長はちょっと鼻しろんで脇の学年主任を見た。ひそひそと話す。
「銀賞をもらったというのは本当なの?」
「え、はい。そうです。でも個人で参加です」
「個人。部活じゃないの」
「当学院は五名以上いないと部活の承認は出ませんから、同好会レベルの扱いになります」
「なんだ。部活じゃないのか」
そのなんだ、はあたかも「なんだ、有能だけど正社員じゃないのか」とか、「なんだ、世界新記録だけど公式戦じゃないのか」のような響きだった。
「内容的には、普通の部活のレベルを完全に凌駕しているのに、規定のせいで承認だけ降りない。変だと思います」
「それが規則だ」学年主任は動じなかった。
「規則といえば」藤原が言った。「先月から五名そろったから部活の承認を求めているのに、どうしてまだ承認してくれないんですか」
「顧問が決まらないとだめだ」
「顧問は美術の島田先生です。それはちゃんと申請書に書いたはずですが」
「う」学年主任はいやそうに黙った。
「ちゃんと条件を満たして申請したのにそれが進んでいないのは先生たちの怠慢じゃないですか」
「おい。お前いいかげんにしないと」
藤原がそこを追求するとPTA会長の顔色が変わった。
「いい加減にしなさい。あなたは何? 大人たちがきちんと決めたことに口をはさむのは……」
「大人たちがきちんとやっていないから聞いているんです」藤原は負けていなかった。
(いや。まあ、それぞれ主張はあるよな。胸の奥に言いたいことはいっぱい溜まっていて。いや言いたいこととの分量いうのは、実は肉体的な質量に比例するのかも。とすると体積の大きい方が言いたいことはいっぱいあるのかもな。すると一番雄弁なのは相撲取りか)
学年主任とPTA会長がおれをすごい形相で睨みつけて、おれは初めて自分の胸の奥にある言いたいことをそのまま言ってしまっていたことに気付いた。
てへっ。またやっちまった。
ぷふっ
周りでどうなることかと心配そうに取り巻いていた御前、堂田、梅田たちが吹き出して、場がはじけた。おれたちは笑いだした。
「な、なにがおかしいんですか! 人を馬鹿にすると承知しませんよ!」
PTA会長が本気で怒っていたが、おれたちはなかなか笑いを止めることができなかった。
「いえ。別に誰も馬鹿にしたわけでなく……」おれはフォローしようとしたが、PTA会長は聞かなかった。
「これはやはり早急に手を打たなければいけません」学年主任を振り返って言った。「悪しき伝統に悪しき魂が宿っています」
「はい」学年主任は殊勝にうなずいた。
PTA会長は死刑宣告のように言った。
「創立者記念会館は取り壊すので可及的速やかに立ち退きの準備をしてくださいね!」
なに? 取り壊し。
顔色を変えるのは今度はおれたちだった。藤原が一歩前に出たが、それより速く御前がPTA会長に詰め寄った。
「ちょっと、今の聞き捨てなりません。「取り壊し」ってどういうことですか」
おれたちの焦りにようやく落ち着きを取り戻したPTA会長はふふん、と上から目線で藤原を見やると言った。
「言葉通りですよ。この建物は古くて以前から危険だと指摘されていたので、取り壊すのです」
「それで……それでその後は?」
「現在のところ、学生寮を建設する計画です」
「学生寮!?」初耳だった。ちなみに大佛山学院は今の所全寮制ではなく、寮生はいない。
「じゃあ、おれたちはどこで活動すればいいんですか」
「活動は認めません。この建物が解体されるとともに、あなたたちの非正規活動は全て中止になります。学生は学生らしく勉学に勤しみ、ゲームやウーチューブのような遊びは自宅でやりなさい」
「そんな!」
「おれたちの話、全然聞いていなかったんですか。遊びじゃないって……」
「認めません」
PTA会長が反っくり返ると、威圧感が十倍増くらいになった感があった。
*
PTA会長の麻生泰子と学年主任が去った後、おれたちはしばらく呆然としていた。誰も話さなかった。バックグラウンドに御前のかけていた「イエス・ウィ・キャン」のボリュームをしぼった音楽が虚しく流れていた。
「取り壊しって」「急だよね」「認めない」
おれたちは突然、硬化魔法が解けたかのように一斉に話し始めた。みなお互いの相手の言葉を聞かずにそれぞれ話している。
「ありえねえ。ありえねえよ」御前が髪をかきむしりながら叫んだ。
「ここがなくなったら、おれたちどこへ行けばいいんだ」堂田がぽつんと言った。
「漫画なら、ここでなくても自宅で描けるじゃない」中田が言う。
「そうじゃない。創作はアウトプットだ。アウトプットのためにはたくさんのインプットが必要だ。それは本を読むだけじゃ駄目で、はやりの映画はみんな見てるから、ほら、テレビドラマってヒットした映画のパクリみたいのたくさんあるだろ。あれはテレビだから許されるのであって、本当に厳しい競争をしている創作の世界では他人が思いつくようなことをやってても駄目なんだ。全然」
「それで?」
「ここにいると刺激を受けるんだよ。本や既存の考え方の中にないみんなの行動をみてるだけで、おれの創作魂に火がつく。いわば触媒かな。描くことそのものは自宅でもできるけど、ここがなくなったらおれはどこで刺激を受けりゃいいんだ?」
その言葉におれたちは再び沈黙した。
「ここはかなり古いらしい」藤原が考え考え言った。「でも今まで全く問題はなかった。雨漏りさえも。古い石造りの土蔵を改造した建物だ。木造みたいに腐ったりもしないし簡単には壊れない。この地域は地震も少ない。ここが危険だから取り壊す、っていうのはどうも納得いかない」
「いやさっきも言ったように、ここは古くないよ。なぜ古く偽装されているのかは謎だけど」おれは言った。
藤原はおれたちを見回すと言った。「大人が決めたことを覆すのは難しい。でもPTA会長が言ったことは理不尽だ。ここを取り壊さずに済むか、それともここが取り壊されたとしてもおれたちのような同好会が活動する場所を確保してくれるのか、交渉してもいいかもしれない。あきらめるのはまだ早いぜ」
藤原の言葉にみな勇気づけられたように顔を上げた。しかしなにをどうすればいいのかは靄のようにはっきりしなかった。
*
「だからなんで承認してくれないんだって」生徒会室に押しかけた藤原が怒鳴る。
「学生会館に部室の空きがありませんから」すまして答えたのは生徒会長の麻生小夜子。
「空きならあるだろ。倉庫とか第二更衣室とか」
「それを決めるのはわたしたち生徒会ではありません」
「なんとかしてくれよー」
取り付く島もない生徒会室から創立者記念館へ戻って郷土歴史研究会の面々は渋い顔をしていた。
「あれ、怪しいよな。急に寮を作るとかなって、おれたちは要らないってことになって」
「あのPTA会長、麻生って姓だろ。生徒会の会長と同じだな」梅田がぽつんと言った。
「あれ。じゃあ親子?」
「はーん。二時間ドラマ並みの隠された真相ってやつだな」藤原が言った。
「いや、憶測でものを言うのは良くないよ。証拠もないし」
「じゃあ、その証拠を見つければいいんだよな」
「とにかく取り壊しは絶対阻止しなきゃ」
*
久しぶりに早く帰っていた父さんが機嫌よさそうにおれの部屋に来た。父さんはITエンジニアをしている。おれは両親がおれを私立学校に入れるために二人共働いていることを知っている。
「おう。ちゃんと勉強してるか」
「勉強はいいんだけれど、ちょっと問題があって」おれは創立者記念館取り壊しの話をした。
父は言った。「まあなんだ。事情はわからないが、なんか会社の「追い出し部屋」みたいな話だな。
「追い出し部屋って?」
「たとえば会社で嫌われている、または役に立っていない人たちがいるとする。会社としては首にしたいんだが、日本の法律は厳しくて正社員をなかなか首にはできない。そこで俗に言う追い出し部屋を作る。具体的には何もやっていない部署を新設し、そこにできる予定のないプロジェクトを割り振る。それから首にしたい社員を全員そこに転属させる。適当に仕事をさせるが当然ないプロジェクトなので何の成果も上がらない。頃合いを見て、プロジェクトを解散させ、その部署にいる人間が嫌気がさして退職するように仕向ける。これが「追い出し部屋」だ。ま、学校にそんなことがあるとは思えないけどな」
「でもそれっぽいことになりそうなんだよ。なんとかしてやりたいけど」
「学生のうちはあんまり大人の事情に首を突っ込まない方がいいぞ」
*
おれたちは創立者記念館で集まっていた。おれは創立者記念館のなぞのためにいた。
おれはみんなの前で実演して見せた。
「この創立者の碑、これをそっとはがしてみる」
「おい、いいのか勝手に建物を傷つけて」
「だって、ここ、取り壊すんだろ。じゃあちょっと壁をけずったって問題ないだろ。この碑は後でくっつけて戻しておくし」
おれが注意深く碑をこじって壁からはがすと、少量のしっくいがこぼれて碑は壁からはずれた。
下から壁の下地が現れた。
「やっぱり思ったとおりだ」
「なにが思ったとおりなんだ」
「見ろよ」おれは下地を指でこすった。「これは明らかにセメントだ。しっくいなんかじゃなく。つまりこれが江戸時代じゃなく近代・現代に作られたのは間違いない。でも上に漆喰をかぶせて由緒ある建物であるかのように偽装している。なぜそんなことをする必要があったのか」おれは考え込んだ。
「じゃあ、古い建物で危険だから取り壊すってのは」
「嘘だ。内部が鉄筋コンクリートかどうかはわからないが、セメントだからあと百年は保つだろうね」
おれは調べてあった知識を披露した。「日本でセメントの大量生産が始まったのは明治時代だ。明治・大正の古地図に創立者記念館が載っていなかったことを考えると、この建物が昭和に作られたものだというのは間違いないと思う。問題はなぜ表面にしっくいを塗りつけて古い建物のように偽装したかだ。偽の文化財とかで外部に発表したわけでもないのに。なにか理由があったんだろうか」
「そういえば聞いたことがある」藤原が言った。「創立者はすごい金持ちだったけれど死後、ほとんど遺産は残っていなかったんだって。今でもどこかに創立者の埋蔵資金がある、という都市伝説がある」
「また都市伝説かよ」
「でも、それいい線いってるかも」
「じゃあ、この下に埋蔵金が?」
「でもなんでこんな建物を建てたんだ?」
「それは・・・・・・なぞだな」
*
創立者記念館を守る。
そう決意した元生徒会の面々をおれは他人事のように眺めながら、一人思い出にふけっていた。
「見えないものの中に大切なものがあるんじゃ」
おれは小学生だった。
見渡す限り表皮を剥いだ土が陽にさらされて白くなっている中、おれたちの前だけが黒い。遠くには山々の緑が目に染みるが、おれたちのいるここは部外者が立ち入らぬ様、黄色いビニールテープで複雑な形に囲ってある。
ウグイスが鳴いた。
おれはとうとう気が散ってあたりを見回した。それに目ざとく気づいたじいちゃんがしわだらけの笑みを浮かべて握りこぶしで後ろから腰をぽんぽんと叩くと「そろそろお茶にするか」と言った。
お茶は歓迎だ。夕食の後に飲む日本茶もいいけど、じいちゃんの発掘現場では、じいちゃんが北アフリカの発掘作業をしていた頃現地で飲んでいたミントティーを出すことになっている。ポットの中に水と紅茶の葉、砂糖を入れ、さらに発掘現場の作業小屋裏で栽培しているミントを根本から切り取ったものを、ぜいたくにも大きな束ごと入れてぐつぐつと煮る。できあがったそれは存分に染み出したミントのエキスを含んでどろりとしていた。
「北アフリカには及ばんがな。ここの地方の乾燥した夏にはこれが合うんじゃ」じいちゃんが一人づつコップに入れてくれたミントティーは甘く、強烈な香りがして、数時間かけて大地の表皮を少しづつ少しづつ剥ぐ労苦による体の節々の疲れに染み込んでいくようだった。
「ゆっくりと頑張るんじゃ。ここにはきっとなにかある」じいちゃんは確信するように言った。
「どうしてここになにかあるとわかるの」
聖人の知る限り、この場所の発掘は始まったばかりで、まだなんの遺物も見つかっていなかった。
「想像力じゃ」じいちゃんはにかっと笑って言った。同じ人間のことだもの、古代の人々がどんなことを考えてどんな生活をしていたのか想像してみることじゃ。例えば……」
「この地方に古代の人々が住んでいたことはわかっておる。いくつかの遺跡があるからな。それでは鉄筋コンクリートも暖房器具も会社も車もなかった時代、人々が住むのはどんな場所かな?」
聖人は言った。「やっぱり、住みやすいとこ?」
「そう。どんなところが住みやすいかな?」
「近くに店があって、学校があって、駅があれば住みやすい」
「そういったものは古代にはない。人間の生活に最低限必要な水が汲めるか、採集狩猟民なら山菜が採れ、狩りの獲物がいるか。しかし採集狩猟民は普通、移動しながら生活するから遺跡に残るような集落を作ることはまれじゃ。農業を営むならなにが必要かな?」
「ええと。水と肥料と道具と」
「そうそう、十分な水を田畑に入れ、さらに水はけも良くなくてはならん。冷害に合わないよう適度な気候があり、台風などにやられないように山かげなどの風があまりきつくない場所がいい。当時は警察もいないから盗賊や他の部族の襲撃や獣を防ぐことができるようにちょっと小高い、あるいは洞窟や山間の谷間などで身を隠したり防いだりできる場所がいい。あと農耕具を加工するための石器を作りやすい石が出土する地域か、あるいは出雲の方から鉄器を売りに来る者たちの通る街道へ行けるくらいの距離にあるか。様々なことを想像するのじゃ。聖人。もしお前が古代人の村長だったら、このあたりでどこに村を作るかな?」
聖人は考えてからあたりを見回した。難しいことはわからなかったが、じいちゃんが列挙したような条件を、今掘っている場所はすべて満たしているような気がした。
「ここ」
「うむ。わしもそう思う。このあたりにこの場所ほど古代人にとって住みやすい場所はない。だからここを見つけた人々はきっとここに住居を作りたいと思ったに違いない」
「それだけでここを掘り始めたの?」
「それだけではないがの」
*
「それで埋蔵金の話だけど」おれが切り出すと創立者会館の面々、特に藤原が驚いて寄ってきた。
「なんだよ。都市伝説じゃなかったのかよ」
「いや、あの後じっくり考えてみて歴史を調べても見た」おれは続けた。「太平洋戦争の終わりにはわかる人ならみんな日本が負けることはわかっていたらしい。問題は敗戦後、どういう扱いを受けるかだった。おそらく資産家の資産はみな連合国に没収される可能性があった」
「そこで敗戦の直前に資産を金とか宝石などの形に変えて地面に埋め、その上にこの創立者会館を建てた。建物に漆喰を塗りつけて歴史的建築物を偽装した。それならば調査が終わるまではむやみに破壊されることもあるまい。そして後継者が死んでしまっても、後で調べれば誰かが感づくように碑を残した」
「碑?」
「あの碑の文章さ。「すべての若者には個性があり可能性がある。それらはまるで地面に埋まっている金のように価値あるものである。教育者の目的はその価値あるものを発掘することであり、理解しない者の手に渡してはならない」そのままとれば教育理念のように読めるけど、これを暗号ととればどうだろう」
「なるほど」藤原が食いついてきた。「おまえ、おれより都市伝説」意味不明だが言いたいことはわかる。
「おそらくこの創立者会館を建てたのは初代高坂善次郎氏か二代目の高坂由自氏だろう。代々秘密を伝えているはずだから、理事長が埋蔵金のことを知っているなら、建物を取り壊すのも埋蔵金を掘り出すためかもしれない。まっ、全部想像だし、そうだとしてもおれたちには関係ないけどな」
おれはちょっとかっこつけて言った。部屋の片隅で中田がにこにこしながらおれたちの話を聞いていた。
*
スイートピーの花壇の前で黙祷している女子学生がいた。
おれは引き続き調査のために創立者記念館へ来たのだが、入口の前でばったりとその女子と出会った。
後ろ姿だが、よく知っている娘だ。ついでに言うと服を着ていない姿も知っている。
女子学生は坂崎だった。
「あら」坂崎は黙祷を終えると、後ろで見守っているおれに気づいて微笑んだ。「何しに来たの? こんな場所へ」
「まあ、部活かな。きみは?」
「ここは思い出の場所なの、友達との」
「友達って?」
「しんじゃった」
「そうか」おれはそれ以上追求するのをやめた。
「ちょっと寄ってかないか」おれは坂崎をいざなって創立者記念館の扉をくぐった。
「え、ここって使ってるんだ」坂崎は最初のときのおれと同じ反応をしながらおずおずと入ってきた。
一瞬、中の暗さに立ち止まったが、迷うことなく踏み入った。
「へえ。ほんとに部室みたいね」郷土歴史研究会の部室を見回すと面白そうに言った。
「おれは部員じゃないんだけれどな」そういうおれに対し、机の向こうから藤原が言う。「もう半分以上足つっこんでるじゃねえか、って委員長じゃん」
「あら藤原くんじゃない。そちらのみんなは?」
「中田以外の女子がここに入るのは珍しいな」梅原が振り向いて急に固まった。
「どうした。珍客か」堂田もいぶかしげな様子で坂崎を見つめる。
中田だけはちょっと問題集から顔を揚げて坂崎に手を振り、にこにこしている。
「部員は足りてるけど、入部歓迎だよ。潰れるかもしれないけど」そういった御前が大きく目を見開く。「サッチー!」
「なに。知り合い?」藤原がのんきに言った。おれも意外な展開に驚く。世間は狭いもんだ。
「ええっ! 御前くんに堂田くん、梅原くん。なんでみんなここにいるの?」坂崎の方が驚いている。「みんな背が高くなったねー。言われるまで全然気が付かなかった」
坂崎と三人は親しげに手を取り合った。え、これどういう展開?
ひとしきり久闊を叙している彼らに置いていかれているのはおれと藤原だけだ。
しばらくして坂崎は振り返った。「この人たちはね、中学のときに一緒だったんだよ」
「え、東中?」おれの問いに坂崎は答える。「ううん。知っているでしょ。わたしが不登校だったこと。みんなは私の不登校仲間。中学生対象の特別学級で一緒だったんだよ」
そうなんだ。
「学校に行けないからオンラインで授業してたね」
「よく最後まで続いた」
「でも大佛山学院が元不登校の生徒を受け入れてくれたから」
「高校に来られたんだよね」
「え、じゃあその頃のここって、進学校じゃなかったんだ」
「そうだよ。進学コースとか特別進学コースっておれたちの代から。それまでは不登校とか落ちこぼれを拾ってくれる学校だったよ」
「そうかー」
楽しそうな坂崎。よもやま話が済んだ後、おれたちは今抱えている問題を坂崎に話した。部への昇格が滞っていること。創立者記念館が取り壊される予定で、その代わりとなる部室を確保できないこと。創立者記念館は割と新しい建物で、取り壊す理由が不明なこと。
「ふーん。じゃ、任せてよ」
なぜだか突然明るい顔で坂崎が言った。目がきらきら輝いている。なにかを思いついたような表情だ。
「なぜ取り壊すのかの事情を調べればいいのね。調べるのは得意だから」
*
「それで色々と不審な点が見つかったの」
数日後、創立者記念館の面々の前で坂崎は早速調査報告を話した。むろん透明のことやどうやって調査したのかは明かさない。
「学院の運営なんだけど、お金が足りていないみたいね」
「え、生徒数が足りないからか」堂田がきく。
「学校運営はずっと同じ調子でここ数十年続いているし、生徒数もほぼ横ばいだから経営失敗ということはないみたい。理事長が変わってからなにかにお金を使ったようね」
「ふーん。すごいな。どうやって調べたの」藤原が聞いた。
「ひみつ」坂崎は笑顔でスルーした。
「それで敷地内には別の建物を建てるスペースがない。それが既存の創立者記念館を取り壊して立て直す理由みたい」
「そうか。じゃあ取り壊すのは仕方ないか」
「でも他に行く場所をもらわないと。なんとかできないかな」
「う、ん。まあついでにもう少し調べてみるね」
「ついでって、何のついで?」御前が聞く。
「あ、いや、こちらの話」坂崎は言葉を濁した。
おれはなにかを感じたが、黙っていた。透明人間に関わることなら、うかつに口にはできない。でもおれと視線の合った坂崎がすぐに視線をそらせたのはちょっと気になった。
*
「それで、調べはついたのかね」
高坂理事長の前で警備員は小さくなっていた。「いえ、まだです」
「夜間に誰かが学校の事務室に侵入して重要書類を探し回った跡があるのだ。それがどうしてわからないのだ」
「はい。何者かが出入りしたような形跡はあったのですが、監視カメラの記録を調べても、なにも写っていません。まるで透明人間の仕業みたいです」
「馬鹿なことを言うな」理事長の一括で警備員は縮こまった。「だが、気配を消すことのできる侵入者に対する手段はある。ローテクだがな」
「はい?」
「早速手配しよう。きみにもがんばってもらうよ」理事長は自信ありげに言った。