24年かけた願い事
あたしの名前はアナベル。
おばあちゃんの名前はアガサ。
ママの名前はメアリー。
ママのお兄さんのダニエルおじさんは、十七歳の時アーサーおじいちゃんと喧嘩をして家を出ていった。
バッグ一つを持って、始発の長距離バスに乗るために、角を曲がったバス停に行くダニエルおじさんを、十歳のママはパジャマで追いかけた。
「行かないで」
と泣くママの頭を撫でると、ダニエルおじさんは黙ってバスに乗って行ってしまった。
泣きながら帰ってきたママを、おばあちゃんは玄関のところで待っていた。
ママを抱きしめて、おばあちゃんは
「お兄ちゃんが帰ってきて、お父さんと仲直りするように、2人で神様にお祈りしましょうね」と言った。
二人は祈り続けたが、ダニエルおじさんは帰ってこなかった。
やがてママはパパと出会い、結婚した。
パパは放送番組のディレクターとして、世界中を飛び回っていたので、結婚後もママはそのまま実家に残り、翻訳の仕事漬けの毎日。
生まれた娘のお世話は、おばあちゃん任せ。
夜泣きがひどかったあたしに、おじいちゃんは耐えられず、西日の当たる狭い物置部屋にベッドを運び、物置の荷物はガレージに運ばれ、我が家の車は以来ずっと雨ざらしだ。
そんなわけで、あたしは赤ちゃんの頃からおばあちゃんとずっと一緒。
おばあちゃんは家出したダニエルおじさんが帰ってきて、おじいちゃんと仲直りしてくれますようにと、二十四年もの間毎晩お祈りをしている。
でもおじさんはまだ帰っていない。
マントルピースの上に、ダニエルおじさんが写っている最後の家族写真がある。
セピア色の写真の中で、十歳のママと十七歳のダニエルおじさん、若くて綺麗なおばあちゃんと、まだ禿げる前のカッコイイおじいちゃんが写っている。
写真の中の赤毛でソバカスの女の子は、大人になると母親そっくりのすごい美人になった。
(遺伝子ってすばらしい)
あたしも将来ママそっくりになる予定。
だから、同じ十歳になった時、髪型も写真のママとおんなじツインテールにした。
ダニエルおじさんも、おじいちゃんにすごく似てる。
今頃きっと、写真の中のおじいちゃんそっくりになっているにちがいない。
「ねェおばあちゃん、お祈りって何年続けたら叶うの? もう二十四年になるんだよ。
子供だったママが、おじさんが家出した頃のおばあちゃんの歳になったのに、まだ祈りが届かないなんて、神様って耳栓でもしてるの?
それともおばあちゃんに意地悪してるの?」
「神様は願いが本物かどうか、おばあちゃんを試されているのよ。
本物でない願いを祈り続けることを、神様は許してくださらないの。
祈り続けられたのだから、おばあちゃんの願いはちゃんと届いているのよ」
この頃、おばあちゃんは体が弱ってきた。膝が痛くて、階段でもすぐ息が切れてしまう。今日も教会の帰りに、ジェシカおばさんとベンチで座って一休み。
先月おばさんの旦那さんのお葬式があった。
病気で寝たきりになり、意識が戻ることなく死んだのだ。
ずっと祈ってたのに、神様は助けてくれなかった。
ジェシカおばさんは長い入院費用でお金がなくなって、家を売って引っ越すのだと泣いていた。
おばあちゃんは、手伝いに行くと言って一緒に泣いた。
あたしは、見つけた四葉のクローバーを、ジェシカおばさんのポケットに黙って入れた。
きっと良いことあるからね。
次の日、私が学校から帰ると、ママがすごく興奮して携帯電話で話してた。相手はパパらしい。
「アナ、パパから電話があってダニエルおじさんが見つかったの!
パパの取材先のモンゴルの発掘現場で働いてたんだって」
パパは、おじいちゃんの昔の写真にあまりにもそっくりな人がいたので、声をかけてみたんだそうだ。
持ってた家族写真を見せたら、本物のダニエルおじさんと分かったのだ。
「ダニエル、もう少しで発掘調査が終わるから、そうしたら必ず連絡くれるって約束してくれたの。
遺跡のある場所は携帯電話も圏外の奥地だから、パパ、次の取材に向かうウランバートルの空港から、今電話をくれたのよ」
あたしとママは抱き合って喜んだ。ダニエルおじさんが帰ってくる、
おばあちゃんの二十四年かけた祈りが通じたんだ!
その時また家の電話が鳴った。ジェシカおばさんだった。
おばあちゃんが倒れて、病院に運ばれたというのだ!
ママは慌てて、パパに
「ダニエルおじさんにすぐ帰るよう伝えて」
と頼んでる。
パパは遊牧民の人に、至急伝えてもらう手配をしてくれた。
家の電話番号は昔と変わってない。
知らせが届けば、きっとおじさんは電話をくれるはずだ。
ダニエルおじさん、間に合って!
ママと病院に行くと、おじいちゃんが、先に来て座っていた。
おばあちゃんは意識がなくて、お医者さんに今夜が峠だと言われた。
お医者さんは、今までにも何度か心臓に痛みがあったはずだと言った。
お婆ちゃんは、私たちが心配するから、具合が悪いのをずっと隠していたのだ。
どうして気付いてあげられなかったんだろう。
あたしは泣き続け、みんなでおばあちゃんの病室で椅子に座って夜を明かした。
「アナ……」
おばあちゃんの呼ぶ声で目が覚めた。もう夜が明けていた。
泣きつかれて、いつの間にか眠ってしまったのだ。
「おばあちゃん!」
大声を出しそうになって慌てて口を押さえた。
ママとおじいちゃんは、ぐっすり眠っている。
そーっとおばあちゃんの枕元にいった。
「おばあちゃん、ダニエルおじさんモンゴルにいたの。連絡したから、すぐ帰ってくるよ」
「ええ、あの子は帰って来た。神様に見せていただいたの。
あの子ったらアナに手を引かれて帰ってきたのに、ドアの前でいつまでもチャイムを鳴らせないでいたの。
アナが一生懸命励ましてやっとベルを鳴らしたら、ママが出て、おばあちゃんと間違えたのよ……」
こんなになっても、おばあちゃんはおじさんのことばかり考えてる。
おじさんのバカ、早く帰ってこい!
「アナ、ダニエルとおじいちゃんを仲直りさせてね。神様が言ったの、アナ次第だって。
おばあちゃんの願いを叶えてね」
「うん、約束する。必ずダニエルおじさんを、おじいちゃんのとこに連れて行くから」
おばあちゃんは安心したように目を閉じた。
そしてそれっきり二度と目を開けなかった。