第1話
『困ってる人を助けなさい』
俺は子供の頃からよく、そんなことを両親に言われていた。
二人は当時まだ幼かった俺から見てもまさに聖人と言われるような、とても優しい人たちだったと記憶している。
専業主婦だった母は道に迷った子供のために何時間も町をさまよったり、父も大工の仕事をする傍ら、休みの日には見知らぬ老婆の代わりに買い物をしたりしていた。
周囲の人からは変わった夫婦だと笑われることもあったけど、それでも俺にとっては胸を張って誇れる両親だったと、今でも心の底から思える。
その結果、俺がまだ十歳の時に、赤の他人の家族を助けるために命を失ったとしても、俺はあの二人を恨んだり、馬鹿にしたりなんてしない。
『困ってる人を助けなさい』
だって、その教えはどこまでもエゴイスティックではあったけど、尊い事だと思ったから。
そう、例えその教えのせいで自分の人生が大ピンチに陥った今でも、俺は全然あの二人を恨んだりはしない。
「いってえええええええええええええええええええええ!」
俺は激痛と共に目が覚めた。ここは……俺の住んでるアパートの階段だ。
何があったか……それもよく記憶している。バイト終わりに家に帰ると、部屋の前で待ち伏せをしていたあの借金取りのコワモテ男に顔を殴られたんだ。それで階段から足を滑らせて頭を打ち、少し気絶してたんだった。
「来週までに五〇〇万の返済とか……無理に決まってるだろ」
借りたものは返す、それは当たり前のことだ。でも借りたのは俺じゃない。俺の友人、それも子供の頃からの幼馴染だ。
「いや、正確には『だった』か……」
少し前、久しぶりに会ったあいつから借金の保証人になってくれと頼まれ快諾したのは良いものの、俺の知らぬ間にその額をどんどんと増やし、どこかへ消えたという。
それでその借金は連帯保証人である俺に支払い義務があるらしく、連日連夜取り立ての怖い人たちが家にやってくるのだ。
「腫れたりしてんのかな、つっても誰も気にしないか三十五歳のおっさんの顔なんて……」
他の人ならどうか分からないが、残念ながらフリーターの身では五〇〇万なんて大金、ぽんと出せないのだ。
「はぁ。金を貸したことがある相手は何人もいるけど、金を借りれるような相手もいないしな……」
その金だってほとんど返ってきていない。
正社員として仕事をしていた時期もあったが、同僚のミスを肩代わりしたことで、居場所がなくなり退職。ミスをかばった同僚や部下からも一切擁護されることもなかった無様な生活。
感謝をされなかったとしても、その行い自体に間違いはなかったと今でも胸を張っていえる。しかし、人間金が無ければ生きていくことは難しいのもまた事実だ。
階段を上り、部屋に戻って呟く。
「もう、死んじゃおうかな」
無意識にそんな言葉が口を突いて出た。らしくない冗談だと思ってると視界の端、台所の方からきらりと鈍く光るものがある。
それは数日前に買ったばかりの包丁だった。訪問販売員のおじいさんが『これ、売れないと、僕が年下の上司に怒られちゃうんだよぉ』と悲しんでいたのでセットで九万円の所を六万円で買い取ったんだ。
おじさんいわく、とてもよく切れる包丁だという。
『さあ良いですかお客さん。この包丁、とってもよく切れて指を切ったら指が落ちる。首を切ったら首が落ちる。切りたいものなら何でも切れる。安いよ安いよ。今なら二本で九万円のところを、この小ぶりの包丁を付けて、サア三本セットで六万円だ、安いよ安いよ』
部屋の入口で聞かされたおじさんのそんな売り文句が唐突にフラッシュバックをする、指を切ったら指が落ちる。首を切ったら首が落ちる。
俺は手にした包丁の刃を、自分自身の首に押し当てて──
そこから先の記憶は、ない。
●
次に目覚めた時、俺は見覚えのない真っ白な空間の中にいた。身を起こし、左右を見渡しても何もない、真っ白な空間だ。
どこからかチクタクと規則的な音が鳴っているが、その発生源は分からない。
「なんだここ……まさかクソでかい病院……!?」
「ざぁんねん。大外れだマヌケ」
「マヌケとはなんだ──って、でっけええ!」
と、背後を振り返った俺の目に映ったのはクソデカいアナログの古時計だった。さっきから聞こえていたチクタクという音の発生源はあれだろう。
「ちっ、起きて早々ウルセーなあお前」
ウザったそうに告げる声の主はその時計の足元。長い黒髪が目立つ、スーツを着込んだ女性の姿があった。
う、初対面でも、相手が苛ついてるのが分かる。でも、他に頼れる人もいないし、とりあえず話を聞いてみるとするか。
「あの、ここは一体どこなんだ?」
「はぁー? 覚えてないのかよお前、自分であんなコトしておいて」
いきなり怒られた。やっぱり不機嫌らしい。ってかあんなことってどんなことだ?
さっきから滅茶苦茶睨まれまくってるけど、俺何か悪いことしたか? それともまさかこれがこの人のデフォの表情だったりするのか?
「なんだあ? その感じだとあれか、記憶喪失ってやつかよ、御堂エニシ」
「な、なんで俺の名前を知ってるんだ」
相手の顔をまじまじと見てみるがやっぱり記憶が無い。黒髪で二十台後半くらい、それで目つきが悪いスーツ姿の女性。
うーん。
「あ、もしかして仕事で会った人だったり?」
「ちげえよハゲ。お前は死んだんだよ、ここはアタシしか存在することができない天界、そんでアタシはこの世界の神だ」
「ハゲてねえし! ってか、俺死んだの?」
というか天界って? 神って一気に情報量の多い言葉をぶつけないでくれ!」
「そうだ。世界で一番マヌケな死に方だったぜ。覚えてなくってむしろ良かったなあ!」
俺が死んだ……。にわかには信じられないが直前の記憶を思い出してみると、そんな風な気がし始めている。というより目の前の自称・神様と周りを取り囲む非現実的な空間を目にしたら信じざるを得ない。
「ま。あのままあの世に行ったんじゃあまりに可哀想だから、アタシがこの世界に呼んでやったっつう事だ。お前からしたら、異世界ってやつだな」
「まさか……異世界転生ってやつか! 現世の知識を使って子供のころから天才扱いされたりするあの!?」
「いや。お前はそのまんまの姿で転移する形になる。えーっとたしか年齢は……」
「今年で三十五歳だけど……。えっ、この年で一から異世界ってどうなんだ? 体力とか色々付いていけんのか?」
こちらの懸念にも女神は「知らん」と一言。冷てえ。
「そもそもな、オマエみたいなおっちゃんが赤ん坊からやり直すとか、ダルイだろ。それに、こっちには時間が無いんだよ」
「時間?」
ボーンと空間に大きな音が響く。例のアナログ時計が発した音だ。よく見てみると時計には文字盤の他にも色々な数値のカウントがされていた。例えばこの世界の総人口らしき数字や、世界の日付の記録と、他には──
「オマエはそういう難しい話は気にしなくていーよ! アタシから一つオーダーがあるとしたらそうだな……この世界をイイ感じにしてくれ」
「イイ感じに?」
「そうそう。神様の代わりに世界をよくすれば良いだけだ。簡単だろ?」
「具体的には……?」
「うるせえな、こっちが下手に出てりゃ偉そうにしやがって。自分で考えろや殺すぞ」
「いま一瞬でも下手に出てたか!?」
「例えば……困ってる人がいたら助けてやるとか、そんなところだよ!」
良いかぁ? と脅すように女神が説明する。やっぱり怖い人だ。
「これからオマエが行くのはアタシが作った世界……ダイタニアっつー大陸だ。そこには色んな人間が居る。オマエの居た世界とは異なる見た目も奴がいたりするが、いちいちビビったりすんなよ? で、そんなやつらも世代交代やら文明の進歩をしてくと、細かーい不満や戦争のタネっつうのが出来てくるだろ? そういう面倒なもんをサクっとイイ感じに解消してくれって事だよ」
まあまあ長々と説明してくれた割には具体性は限りなくゼロに近かった。しかし、それを指摘する勇気は俺にはなかった。だって怖いし。
ふん、と女神はつまらなそうに鼻を鳴らすと、もちろん交換条件があると告げる。
「オマエがこの世界をイイ感じにしてくれるって言うなら、一度だけ職業とレベル(Lv.)を設定させてやるよ。あ、ランダムだぞランダム。最初からレベル100の聖騎士でスタートなんて見てて面白くない──じゃなくて不公平だろ?」
「俺の一世一代の異世界転移はただのエンタメなのか……」
「文句あるならレベル1村人のままで良いかぁー?」
「全然そんな事ないです!」
分からんことが多いが、世界をイイ感じにするなんて、俺好みの頼みだ。
『困ってる人を助けなさい』
亡くなった両親の教えがフラッシュバックする。なあ父さん、母さん。俺は友達に借金を背負わされて自分で命を絶つような大バカ息子だけど、まだ誰かを助けようとしても良いのかな?
「じゃあ、行くぞー。オマエがステータスオープンと叫んだ時点で、オマエの職業とレベルが決定される。それじゃあ、叫べ。御堂エニシ」
ああ、とうなずき。
「ステータス……オープン!」
俺が叫ぶと同時にウィンドウが展開され、そこに書かれていたのは。
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名前:御堂エニシ
年齢:35歳
レベル:999
種族:人間族
職業:大家
体力:9999 魔力:9999 筋力:9999 素早さ:9999 防御:9999 知力:そんなに高くない 成長性:100
スキル
メテオフォール
デスリカン
気配探知
鑑定
鑑定阻害
罠無効
火炎属性無効
電撃属性無効
風属性無効
水属性無効
氷結属性無効
毒属性無効
光属性無効
闇属性無効
ユニークスキル
特になし
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……うそ、俺のステータス高すぎ!?