第7魔:聖女
「嗚呼、僕のメルア。君は今日も美しいね」
「うふふ、殿下ったら、お上手なんですから」
王太子用の執務室で、今日もメルアと二人、愛を育む。
嗚呼、星空を散りばめたみたいな輝く瞳に、雪みたいに透き通った白い肌。
そして豊穣の女神を彷彿とさせるような、たわわに実った二つの果実……!!
野蛮な猿みたいなマリィとは大違いだ!
やはり未来の国王である僕の婚約者には、メルアこそが相応しい。
僕の判断は間違っていなかったようだな。
「なあメルア、いいだろう?」
メルアの手を撫でながら、その身体を抱き寄せる。
「うふふ、いけませんわ殿下。私たちはまだ婚約者の身。そういうことは結婚してからでないと、下々の者に示しがつきませんわ」
「あ、ああ、そうだったな」
クソッ、だが、こんな豊満な身体を前に結婚まで我慢しろというのは、最早拷問ではないかッ!
「失礼いたします、殿下」
「ん?」
その時だった。
宰相のアンガスが、いつもの仏頂面を浮かべながら執務室に入って来た。
まったくこいつは、相変わらず愛想のない。
むしろこのところ、前にも増して僕に対する態度がドライになったと感じるのは、気のせいか……?
「聖女様と親睦を深められているようで、大変結構でございますな」
「うふふ、殿下にはとてもよくしていただいております」
「ああ、それもこれも、お前が僕を後押ししてくれたお陰だ。礼を言うぞ、アンガス」
「恐悦至極に存じます」
アンガスは仏頂面のまま会釈した。
こんな素っ気ないアンガスだが、僕がメルアと一緒になるためにマリィとの婚約を破棄するか悩んでいる時に、背中を押してくれたのが他ならないアンガスだった。
そもそも孤児だったメルアを、聖女に抜擢したのもアンガスだという話だ。
アンガスは長年我が国を陰から支えてくれた、国家の懐刀とも言うべき存在。
アンガスの言う通りにしていれば、間違いはないからな。
「し、失礼いたします!」
「ん?」
その時だった。
つい最近僕の秘書になったジョンが、緊張した面持ちで執務室に入って来た。
「何用だ」
「は、はい! 国王陛下から、殿下に緊急で魔導通信が入っております!」
「何だと!?」
父上から!?
はて、父上は公務で隣国に出張されてる真っ最中のはずだが?
何か問題でも起きたのか?
「繋げ」
「は、はい!」
ジョンがテーブルの上に魔導通信機を置きスイッチを押すと、そこから霧が吹き出てきて、霧の中に父上の顔が映し出された。
「お久しぶりでございます父上。どうかなさいましたか?」
『どうもこうもあるかこのバカ息子めッ!! 私に無断で、マリィとの婚約を破棄したそうだなッ!?』
「――!」
何故父上がそのことを!?
……いや、よく考えれば当然か。
未来の国王である僕が婚約破棄したのだ。
こんなビッグニュース、誰かしらの口から、父上の耳に入らないはずがない。
本当は父上が出張から戻られてから、面と向かって説明するつもりだったが、致し方ない。
「はい、僕はやっと気付いたのです。未来の国王である僕の婚約者に、あんな下賤で教養のない女は相応しくないと。何よりあの女は未来の国王である僕に対する敬意というものが――」
『うるさいッッ!!!』
「っ!!?」
父上???
『そんなものは二の次だッ! 何より重要なのは、あの強大な魔力だということがわからんのか、このバカ息子めッ!』
「ぐっ……!」
何回バカ息子って言うんですか!
そんな言い方ないでしょう!?
「お言葉ですが父上、魔力よりも大事なものはいくらでも――」
『いや、お前は何もわかっていない。いいかよく聞け。国家を維持するために最も必要なのは、圧倒的な「力」だ』
「――!」
圧倒的な……力。
『力を持たない国は、遅かれ早かれいずれ他国に侵略され、地図からその名を消す。それは人類の歴史が証明しているのだ。だからこそ、我が国で最も力を持つマリィの血を王家に入れることこそが、国家の繁栄に繋がるということが、何故わからん?』
「……」
父上の言い分は一理あるが、息子である僕が勇気を出して決断したことなのだから、親として少しは耳を傾けてくれてもいいじゃないかという気持ちが拭えない。
「僭越ながら陛下、殿下が新たに婚約者として選ばれたのは、こちらの聖女様です。聖女様でしたら、マリィ様と比べても、遜色はないかと」
おお、アンガス、フォローしてくれるのか!
やはりお前は信頼できるな!
『……ふむ、聖女、か』
「うふふ、ご無沙汰しております陛下。光栄なことに、このたび殿下のご寵愛を賜ることになりました、聖女のメルアでございます」
メルアはうやうやしく父上に頭を下げた。
嗚呼、やはりメルアは一挙手一投足が優雅で美しい。
これなら父上も納得してくださることだろう。
『確かにお主は、実に我が国で120年ぶりに聖女としての力を発現させた貴重な存在。「力」という点では、マリィと並ぶやもしれんな』
おお!
「で、では、父上……!」
『――だが、それはあくまで、本物の聖女だった場合だ』
「は?」
ち、父上!?
「父上は、メルアが偽物だとでも仰るんですか!?」
『そうは言っておらん。ただ、私はこの目でメルアが聖女の力を使っているところを見たわけではないのでな、いまいち確証が持てんだけだ。――それはお前も同じだろう、ウォーレン?』
「そ、それは……」
確かに僕も、実際に見たことはないが……。
『そもそも120年前の聖女の伝説自体、実在したのかすら怪しいものだ。何せ詳しいことはほとんど記録に残っておらず、聖女の名前すら判明していないのだからな』
「陛下、聖女様の力は、おいそれと人前で使っていいものではございません。それにメルア様を聖女に認定したのは、他ならぬ私でございます。私は奇跡とも言うべきメルア様の聖女の力を、この目でハッキリと確認しております。その聖なる力は魔なる存在を一切寄せ付けず、逆に一撃のもとに完全に消滅させる、それはそれは凄まじいものでした。ここまで言っても、まだ信用には足りませんか?」
アンガス……!
『……ふむ、そうであったな。アンガスがそこまで言うなら間違いはあるまい。疑って悪かったな、メルアよ』
「うふふ、恐縮でございますわ」
クソッ、僕の言葉は聞いてくれないのに、アンガスの言うことなら信じるんですね、あなたは……!
『ウォーレン、今回だけは特別に、お前の勝手な行いを許す。――ただし、二度と無断で私が決めたことを覆すでないぞ。わかったな?』
「は、はい……、承知いたしました」
クッ……!
『話は以上だ』
言いたいことだけ言って、父上は一方的に魔導通信を切ってしまった。
まったく、勝手なのはどっちだ……!
ジョンは気まずそうに魔導通信機を抱えると、軽く会釈してそそくさと出て行った。
「おめでとうございます、お二人とも。これで陛下からも正式に、お二人の婚約が認められましたね」
「うふふ、アンガス様のお陰ですわ」
……メルア、君までアンガスを持ち上げるのか。
「ま、まあ、あんな魔力しか能のないマリィよりは、魔力以外の全てが勝っているメルアを僕の婚約者にしたほうが得だと、父上も気付いたのだろう」
「……殿下は、魔力は私よりもマリィ様のほうが上だと思ってらっしゃるのですね」
「――!」
メルアは憂いを帯びた瞳を床に向けた。
嗚呼、しまった!
「い、いや、もちろん魔力でもメルアのほうが上だとは思っているとも!」
ただ、僕はメルアの魔術を見たことはないから……。
「そういえばマリィ様は、今は西方騎士団で働かれてらっしゃるのですよね?」
「ん? ああ、そのはずだが」
「私、西方騎士団を査察してまいります」
「……は?」
メルア、どうしたんだ急に!?
「過酷な現場を慰問することも、聖女の務めの一つですから」
メルアは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「あ、ああ、そういうことか」
やはりメルアは本物の聖女だ。
こんな慈悲に溢れた女が、偽物なはずはない。
――これで我が国も安泰だな。