第5魔:悪夢
「ここが君の部屋だよ、マリィ」
「ふうん」
その日の夜。
お坊ちゃんに西方騎士団の寄宿舎に案内された。
寄宿舎とは名ばかりの、台風が来たら吹き飛びそうなオンボロな建物で、廃墟マニアとかが喜びそうな外観をしている。
「王太子殿下の元婚約者様が住むには、相応しくないかもしれないけどね」
「いや、アタシも昔はここと大差ないとこで暮らしてたから、むしろ落ち着くくらいさ」
「そうか……、そうだったね」
「?」
なんでお前が、アタシの昔の暮らしを知ってんの?
まさかお前、アタシのストーカーじゃねーだろうな?
「俺の部屋は君の隣だから、何かあったらいつでも言ってよ。もちろん、寂しくて一人じゃ寝れないっていう相談も、随時受け付けてるよ」
お坊ちゃんはキザったらしくウィンクを投げてきた。
うへぇ。
「もしそうなってもゼッテェお前にゃ頼らねーよ。さっさとあっち行け。しっし」
「フフ、つれないなあ」
なんで嬉しそうなんだよ。
さてはドМか、お前?
「お前こそ、エリートのお坊ちゃんなのに、こんなボロ小屋に住むのはプライドが許さないんじゃねーの?」
「まさか。言っただろ? 俺は将来、親父の後を継いで近衛騎士団長になるつもりだって。だからこそ、末端の現場を身をもって知っておくことは、何より大事なのさ」
「……あっそ」
どこまで本気で言ってるのかは定かじゃねーが、まったくの建前ってわけでもなさそうだ。
この辺も、【金色の奸雄】たる所以かね。
「じゃあまた明日。おやすみ、マリィ、良い夢を」
「ああ、おやすみ、お坊ちゃん、悪い夢を」
「フフ」
食えない笑顔を浮かべながら、お坊ちゃんは自分の部屋に消えて行った。
「さて、と」
アタシも自分の部屋に入ると、中も外観と同じくボロボロだった。
窓ガラスなんて全部割れてて、まったく窓としての役割を果たしちゃいない。
まあ、最近は季節柄暑くなってきたし、風通しがよくてちょうどいいか。
「よいしょ」
部屋着に着替えて埃臭いベッドに横になる。
よし、今日もやるか。
アタシは右の手のひらを額に当て、呪文を唱える。
「我は差し出す 平穏な夢を
我は捧げる 魔力の淵を
我は求めぬ 神の慈悲を
然らば我に力を与えん
――夢幻魔術【夏の夜の夢】」
【夏の夜の夢】は敢えて悪夢を見ることによって負荷を掛け、寝ている間も鍛錬し、魔力を底上げする高等魔術だ。
アタシは長年この方法で自らを鍛え、【断滅の魔女】と呼ばれるまでの強大な魔力を手にしたんだ。
程なくして瞼が重くなってきたので、意識を手放す。
さあて、今日はどんな悪夢が待ってるかな。
――まあ、アタシが見る夢は、アレに決まってるけど。
「そよ風のように抱きしめて
――風刃魔術【そよ風の抱擁】」
「おお、凄いじゃないかマリィ!」
「もう【そよ風の抱擁】を使えるようになったなんて! やっぱりマリィは天才ね」
「えへへへー」
あれはアタシが8歳の時だ。
この日のアタシは、父さん母さんと三人で、高原にピクニックに来ていた。
初めて使えた【そよ風の抱擁】を両親に褒めてもらえたことが嬉しくて、無邪気に飛び跳ねてたのを今でも覚えている。
「ウェッフェッフェッ、これはこれは、美しい家族愛だねぇ」
「「「――!」」」
その時だった。
粘着質で耳障りな声が、アタシたちの鼓膜を震わせた。
目線を向けると、そこには一人の男が佇んでいた。
だがその男の風貌は異様だった。
貴族風の豪奢なコートの背中からは、コウモリのような羽が生えていた。
頭にも歪な二本の角が生えており、犬歯は鋭く伸び、獣の牙のよう。
そして、瞳の色は血のような深紅だった。
「ま、魔族かッ!」
「マリィ、下がっててッ!」
「っ!?」
両親がアタシの前に立ち、臨戦態勢になった。
父さんも母さんも近衛騎士団所属の名うての魔術師で、今まで数々の魔族を葬り去ってきた。
並みの魔族では、二人に敵うはずがなかった。
「ウェッフェッフェッ、そう邪険にしなくてもいいじゃないかぁ。ワタシの名誉あるコレクションの一部に加えてあげようとしているのだからねぇ」
「「「――!!」」」
男がパチンと指を鳴らすと、地面から夥しい数の動く死体が這い出て来て、アタシたちを取り囲んだ。
「歩屍……! さては貴様、あの【酷屍夢想】かッ!」
「ウェッフェッフェッ、そう呼ばれることもあるねぇ」
これは後で知ったことだが、【酷屍夢想】はとあるネクロマンサーの魔族につけられた二つ名で、史上最悪のネクロマンサーであるコイツ一人だけで、数百年に渡り、星の数ほどの命が弄ばれてきたらしい。
だが【酷屍夢想】に会って生き延びた人間は数えるほどしかいないので、その正体は未だ謎に包まれている。
その伝説の存在である【酷屍夢想】が、今、アタシたちの目の前にいるのだった――。
「アアアヴァアアアヴァアア……!」
【酷屍夢想】の隣に立っている若い男の歩屍が、血の涙を流しながら慟哭している。
見ればその歩屍は、着ている服は明らかな高級品で、生前は身分の高い貴族だったことが窺えた。
「ウェッフェッフェッ、この彼はねぇ、とある国の侯爵令息だったんだけどねぇ、使用人との身分違いの恋に悩んでいたのさぁ」
「「……」」
父さんも母さんも警戒はしつつも、【酷屍夢想】の語りに耳を傾けている。
「それがワタシは不憫でならなくてねぇ。彼の悩みを解決してあげるために、彼を歩屍にしてあげたのさぁ!」
「アアヴァァアアアヴァアアアアア……!」
「「――!」」
「いやぁ、キミたちにも見せたかったねぇ。彼が愛しの彼女を、生きたまま食べる様をねぇ! ウェッフェッフェッ!!」
「アアアアヴァァアアアアアヴァァアアアアアアアア……!!」
「「――!!!」」
頭を搔き毟って自らの頭皮を剝がす歩屍の肩を、ケラケラ嗤いながら叩く【酷屍夢想】。
「これで名実共に愛し合う二人は一つになれたというワケさぁ。いやぁ、善行は何度しても気分がいいものだねぇ」
「……この、腐れ外道が……!! 地獄で永久に懺悔しろ!」
父さんが右手を天に掲げ、全身の魔力を練る。
「総てを還す天の光
地の底から呼ぶ亡者の叫び
穢れた大地に浄化の雨を
――獄炎魔術【獄炎の豪雨】」
「「「アアアヴァアアアアアアアヴァアアアア……!!」」」
父さんの右手から放たれた無数の炎の槍が天から降り注ぎ、それが一面の歩屍を全て焼き払った。
血の涙を流していた元侯爵令息の歩屍も、心なしか安らかな顔をしていた気がする。
「父さん、凄い!」
「ハァ……ハァ……、やったか?」
「ウェッフェッフェッ、なかなかいい腕だぁ。これはいい歩屍になりそうだねぇ」
「「「――!!」」」
が、当の【酷屍夢想】には、かすり傷一つ付いていなかった。
「そ、そんな……! だが、もう歩屍はいない! 後はお前だけだぞ、【酷屍夢想】!」
「ウェッフェッフェッ、歩屍があれだけだと、誰が言ったかねぇ?」
「「「アアアアヴァアアアヴァアアア」」」
「「「っ!!?」」」
【酷屍夢想】がパチンと指を鳴らすと、アタシたちの足元から無数の歩屍が這い出て来て、アタシたち三人の足にしがみついてきた。
「なっ!?」
「と、父さん、母さん、助けてぇ!!」
「マリィッ!!」
まだ子どもだったアタシには、泣きじゃくって両親に助けを求めることしかできなかった。
――だが、これが最大の悪手だった。
「ウェッフェッフェッ、油断は大敵だよぉ」
「がっ……!」
「はっ……!」
「――!!」
次の瞬間、【酷屍夢想】の左右のそれぞれの手刀が、両親の腹部を貫通していた――。
「父さぁぁんッ!!! 母さぁぁんッ!!!」
「マ、マリィ……、あなただけでも……、逃げて……」
「っ!?」
母さんが右手をアタシに向けた。
「次元と次元を繋ぐ穴
座標と座標を測る磁針
心と心を結ぶ手紙
――転送魔術【彼方からの手紙】」
「――!」
アタシの身体が光に包まれ、歩屍たちを吹き飛ばした。
そしてそのまま身体が宙に浮き始めた。
「ヤ、ヤダ! 私離れるのヤダよ! 母さん、父さんッ!」
「……マリィ、私の師匠のところに、あなたを送るわ。……師匠なら、きっとあなたを守ってくれるから、安心してね」
「母さん……!」
「……元気でな。愛してるぞ、マリィ」
「父さん……!」
二人は愛に溢れた顔で、アタシに微笑む。
もうアタシの視界は、涙でグシャグシャに歪んでいた。
「ウェッフェッフェッ、これは残念だぁ。でも何年掛かってでも絶対キミを見付け出して、ご両親と一緒に、家族水入らずでワタシのコレクションに加えてあげるからねぇ。その時を楽しみにしているんだよぉ、お嬢ちゃん」
「……くっ!」
心底楽しそうな【酷屍夢想】の歪んだ笑みは、今でも脳裏にこびり付いて離れない。
「父さぁあん、母さぁぁあん!!!!」
物凄い速さで身体が天に向かって飛び、アタシは意識を失った。