第4魔:深淵
「あ……あぁ……、地平線が黒く染まってる……」
本部から出て西側のだだっ広い平原に向かうと、先に出ていた団員の一人が、顔面蒼白で呆然としていた。
見れば、確かに地平線が黒一色で塗り潰されている。
その黒の大群は地響きを立てながら、一直線にこちらに向かっていた。
ありゃ、ブラックバーンブルの群れだな。
鋭い二本の角が特徴の牛型の魔獣で、その突進力は、一匹だけで民家を一撃で粉砕するほどはある。
アタシも若い頃、修行でよく狩ったっけな。
それがあれだけの数いるんだ。
このままじゃ、西方騎士団本部はおろか、王都にまで被害が及ぶかもな。
「も、もうお終いだ……。あんなの、どうしようもねぇよ」
「チクショウッ! 童貞のまま死にたくねーよぉッ!!」
おいおい、もう諦めムードかよ。
お前らだって一応、百戦錬磨の【野犬の墓場】だろ?
「なあ、ここまでの規模の魔獣集団暴走障害は、今までなかったのか?」
「え?」
アタシは近くに突っ立ってた、ゴリラ男のジャイアスくんに訊いてみた。
「……あぁ、魔獣集団暴走障害自体は今まで何度かあったが、いずれも小型の魔獣の魔獣集団暴走障害で、ブラックバーンブルみたいな、一匹でも災害級の魔獣による魔獣集団暴走障害は、長年西方騎士団にいる俺も初めて見た……」
「ふぅん」
それだけの異常事態ってことか。
通常魔獣集団暴走障害は、より強大な魔獣から集団で逃げることによって発生するもんだが、つまりあいつらが逃げて来た先には、もっとヤバいバケモンがいる可能性がある、と。
「え、えぇい、何を怖気づいておるか! それでも貴様ら、誇りある西方騎士団の一員かッ! 今こそ命を懸ける時だ! 全員掛かれぇッ!!」
セクハラ団長の怒号が飛ぶ。
そういうアンタも、産まれたての小鹿みたいに足プルップルじゃん。
「「「…………」」」
「なっ!? ワシの言うことが聞けんのか!? 減給にするぞ、貴様らァ!!」
あー、人望ないねぇセクハラ団長。
まあ、でもこれは団員たちが正解だとアタシも思うぜ。
正直今この場にいる連中が束になって掛かっても、あのブラックバーンブルの群れには敵わないだろうからな。
アタシ以外は。
「マリィ、お願いできるかい?」
お坊ちゃんがキラキライケメンスマイルを向けながら、そう訊いてくる。
あーあ、その辺のチョロい女だったら、この笑顔にコロッと騙されちまうんだろーなー。
「へいへい、給料分くらいは働くさ。おい、どきなアンタら」
「「「っ!?」」」
アタシは目の前の人垣を掻き分けて、最前列に出た。
「オ、オイ、【断滅の魔女】! いくらお前でも、あれはもうどうしようもねーよ!」
「ア、アニキの言う通りだよ!」
おやおや、心配してくれるのかい、ジャイアスくん、スネイルくん。
意外と優しいところあるじゃん。
「大丈夫大丈夫。すぐ終わるからそこで見てなよ」
間近にまで迫っているブラックバーンブルの群れを見据え、全身の魔力を練る。
「絆のように脆く
時のように儚く
悪魔のように恭しく」
「「「――!!」」」
アタシが詠唱を始めると、瞬く間に空に暗雲が垂れ込め、禍々しい雷鳴が轟いた。
この前ウォーレンに落とした虚仮威しと違って、これは本気の深淵魔術だ。
その威力、とくとご覧あれ。
「海のように暗く
空のように紅く
神のように無慈悲に
彼の者に裁きを与えん
――深淵魔術【魔女が与える鉄槌】」
「「「ボアアアアアアアアアアアア」」」
「「「っ!?!?」」」
辺り一面に漆黒の稲妻が落ち、目を開けていられないほどの光を放った。
光が収まると、そこはまさに焼け野原。
ブラックバーンブルの群れは、一匹残らず消し炭になっていた。
ハイお疲れ、解散解散。
「……バ、バカな……、有り得ねぇ」
「これが……【断滅の魔女】の力……」
「バケモンだ……」
おお、みんな引いてる引いてる。
近衛騎士団に入った時も、こんなことあったなー。
あん時は王都に迫って来たロンジェヴィティギガントタートルを、瞬殺したんだっけ。
たまたま貴族学園の騎士科のお坊ちゃんたちも近くで演習してたから、そいつらに危害が及ばないよう手加減するのに苦労したっけなぁ。
「ブラボー!」
「「「っ!」」」
その時だった。
さっき初めて会った時みたいに、お坊ちゃんがパチパチとアタシに拍手を贈ってきた。
フン、いちいち芝居がかった野郎だな。
「本当にありがとうマリィ。君がいなかったらと思うと、冷や汗が止まらないよ」
お坊ちゃんはキラキラした笑顔で右手を差し出してきた。
コイツ何かにつけて握手を求めてくるな。
「ケッ、よく言うぜ。アタシがいなかったらいなかったで、そん時はお前がお得意の口八丁手八丁で何とかしたんだろ?」
「フッ、どうかな」
【金色の奸雄】は、腹が読めない嘘臭い笑みを浮かべている。
まったく、食えないやつだぜ。
「い、今の、マジ凄かったです姐御ッ!」
「痺れましたよ、姐御ッ!」
「っ!?」
姐御!?
ジャイアスとスネイルが、絵本の中のヒーローに出会ったみたいに目を輝かせながら、アタシに擦り寄って来た。
「な、何だよお前ら、急に」
気持ちワリィな。
「いや、今ので俺たちは姐御に惚れましたッ! どうか俺たちを、姐御の舎弟にしてくだせぇ!」
「してくだせぇ!」
「ハァッ!?」
舎弟だぁ!?
「アッハッハ、こりゃいい。初日で舎弟が二人も出来るなんて、【断滅の魔女】の二つ名は伊達じゃないね、マリィ」
「うるせぇ!」
お前ゼッテェ面白がってるだろ、お坊ちゃん!
「さて、団長、あなたがとんでもない人物にセクハラ行為をしたことが、これでおわかりいただけましたね?」
「……うっ」
お坊ちゃんはセクハラ団長に冷ややかな目線を向ける。
「あのまま俺が団長を殴らなかったら、団長はこのブラックバーンブルと同じ目に遭ってましたよ」
「そ、そうなのかッ!?」
セクハラ団長は蛇に睨まれた蛙みたいな顔で、アタシを見てきた。
いや、流石に殺しはしねーよ?
半殺しにはしよーかなと思ったけど。
「咄嗟の機転で敢えて団長を殴ることによって、団長の傷を最小限に抑えたのです。所謂、肉を切らせて骨を断つってやつです」
「なるほど! よくやってくれたぞルギウスくん!」
「いえいえ、俺は当然のことをしたまでですよ」
うわぁ、コイツ、これで自分の罪を帳消しにするどころか、手柄に変えやがった。
しかも『肉を切らせて骨を断つ』は、使い方間違ってるだろ。
いや、多分コイツのことだ、わかっててワザとセクハラ団長をおちょくってるんだろう。
「フフ」
「っ!」
【金色の奸雄】が、キラキラスマイルでアタシに手を振ってくる。
あーあ、コイツだけはマジで苦手だわ。
――こうしてアタシの【野犬の墓場】入団初日は、波乱の幕開けとなったのだった。