第13魔:帝国
「うふふ、只今戻りました、殿下」
「おお! おかえり、メルア!」
やっとメルアが西方騎士団の査察から帰って来た!
数日メルアと会わなかっただけで、こんなに胸が苦しくなるなんて……!
やっぱり君は罪な女だよ、メルア。
「聖女様の慰問により、西方騎士団の士気は益々上がったことでしょう」
「うふふ、恐縮ですわ」
メルアと一緒に執務室に入って来た宰相のアンガスが、うんうんと深く頷く。
なんで二人は一緒だったんだ……?
「特に【金色の奸雄】様の叡智には、目を見張るものがございました。ああいうお方こそが、人の上に立つに相応しい器と言えるでしょう」
「……!」
メルアは両手を頬に添えると、うっとりとした顔で目をつぶった。
メ、メルア……?
なんだその顔は……。
まるで……。
「し、失礼いたします!」
「ん?」
その時だった。
秘書のジョンが、緊張した面持ちで執務室に入って来た。
「何用だ」
「は、はい! ルーサ帝国の皇帝陛下より、殿下に緊急で魔導通信が入っております!」
「なっ、何だとッ!?」
あの、ルーサ帝国の皇帝陛下がッ!?
――ルーサ帝国は、国土・軍事力・経済力、全てにおいて他国を圧倒している、大陸の覇者とも言える大国。
その皇帝陛下が、僕にいったい何の用が……。
「つ、繋げッ!」
「は、はいッ!」
ジョンがテーブルの上に魔導通信機を置き、震える手でスイッチを押すと、そこから霧が吹き出てきて、霧の中に皇帝陛下の厳つい顔が映し出された。
顔に深く刻み込まれた皺が、老獪さを表している。
『久しいなボンクラ王子。相も変わらず、締まりのない顔をしておる』
「ぐっ……!」
第一声がそれかよ!
「ご、ご無沙汰しております陛下。ご健勝なようで何よりでございます」
『フン、社交辞令は不要だ。ところで余の可愛いマリィの姿が見えんようだが、どこにおるのだ?』
「――!!」
ヤ、ヤバい……!!
このじいさんは、先の魔族による大規模な襲撃事件でマリィに命を救われて以来、マリィの熱狂的なファンになってやがるのだ。
大方僕にこうして連絡してきたのも、久しぶりにマリィの顔が見たくなったからに決まっている。
「あ、えーとですね、マ、マリィは現在、西方騎士団で働いておりまして……」
『……西方騎士団だと』
「ヒッ!?」
途端、陛下の顔が、殺気にまみれたものになった。
こ、怖ええええええ!!!!
『どういうことだ小僧。余の可愛いマリィは、貴様の婚約者だったはずだろう? それが何故、そんな左遷先で働くなどという不名誉な事態になっておるのだ?』
「そ、それは……」
魔導通信機越しにもかかわらず、返答次第ではこの場で即殺されかねないほどの威圧感がある――。
な、何と答えればいい……!?
何と答えるのが正解なんだ……!!
た、助けてくれアンガス!
縋るようにアンガスの顔を見ると、アンガスは一つ溜め息を吐いてから、陛下に向き合った。
「横から失礼いたします、宰相のアンガスでございます。実はマリィ様は本人の達ての希望で、婚約者の座を辞退することとなりました」
『辞退……だと?』
アンガス!?
大丈夫か、そんな噓をついて!?
「はい、何でも前々から西方騎士団で働くのが夢だったそうで、その夢がどうしても諦めきれなかったそうなのでございます。マリィ様を未来の王妃にできないことは、我が国としても大きな損失ですが、今までの数々の貢献を考慮し、受け入れた次第でございます」
『フム、そういうことか。確かに余の可愛いマリィは、王妃の椅子にちょこんと座っておるよりは、現場で暴れ回っておるほうが似合っているやもしれんな』
おお!!
誤魔化せたか!?
やはりアンガスに任せておけば、間違いないな!
ただ、それはそれとして、なんで毎回「余の可愛いマリィ」って言うの?
「殿下の新たな婚約者には、こちらの聖女様を迎え入れました。聖女様でしたら、マリィ様と比べても、遜色はないかと」
「うふふ、お初にお目にかかります陛下。僭越ながら、このたび婚約者に選んでいただきました、聖女のメルアでございます」
メルアはうやうやしく陛下に頭を下げた。
嗚呼、今日も僕のメルアは一挙手一投足が優雅で美しい。
これなら陛下もマリィからメルアに推し変してくださることだろう。
『ああ、あの120年ぶりに聖女としての力を発現させたとかいう、胡散臭い女か』
「「「――!」」」
胡散……臭い……!?
「お言葉ですが陛下、メルア様を聖女に認定したのは、宰相である私でございます。私は奇跡とも言うべきメルア様の聖女の力を、この目でハッキリと確認しております。メルア様が本物の聖女なのは、揺るぎのない事実でございます」
『フン、まあその女が本物でも偽物でも、余にはどうでもよいことだ』
どうでもって!?
そんな言い方はないでしょう!
そっとメルアの顔を窺うと、珍しくメルアから笑顔が消え、暗い虚のような瞳で陛下を見据えていた。
メ、メルア……?
『とにかく余は久しぶりに、余の可愛いマリィの顔を直接見たい。近日中にマリィを連れて、我が国に訪問せよ』
「えっ!? き、近日中にでございますか!?」
しかもマリィを陛下に会わせたら、マリィが婚約者を辞退したという噓がバレてしまうじゃないか!
『話は以上だ。では、待っておるぞ』
言いたいことだけ言って、陛下は一方的に魔導通信を切ってしまった。
クソッ!
父上といい陛下といい、どうして老害どもはこうも自分勝手なんだ!
ジョンは冷や汗を流しながら魔導通信機を抱えると、軽く会釈してそそくさと出て行った。
「ど、どうしてくれるんだアンガス! お前があんな噓をつくからだぞッ!」
「……では、他にあの場を丸く収める方法がございましたか?」
「そ、それは……」
そうかもしれないが……。
「……致し方ありません。陛下の要望通り、マリィ様を連れてルーサ帝国に訪問いたしましょう。でなければ、どんな経済的な制裁が待っているやもしれません」
「そんなッ!?」
我が国は輸入業も輸出業も、大部分をルーサ帝国に頼っているのが実情。
もしもそんな事態になったら、僕の王太子としての立場も危うくなってしまう……!
「だが、陛下とマリィを会わせたら、嘘がバレないか?」
「マリィ様には口裏を合わせていただくのです。ご安心ください、私のほうから折を見て、マリィ様に説明いたします」
「そ、そうか、では任せたぞ」
「はい」
アンガスなら上手くやってくれる……よな?
「うふふ」
「?」
メルアがふと、いつもの慈悲深い笑顔とはまた違った、陰のある笑みを浮かべた。
メ、メルア……?




