第10魔:暗雲
「ふむ、どうやらこの辺りが、魔獣集団暴走障害の発生地のようだね」
馬を走らせること数時間。
ファイリー山脈の麓に着くと、ここまでずっと続いていたブラックバーンブルの足跡が途絶えていた。
お坊ちゃんの言う通り、ブラックバーンブルはここから逃げて来たと見ていいだろう。
「ん?」
その時だった。
山の峰のほうから、何となく視線を感じたような気がした。
「どうかしたかい、マリィ?」
「……いや、何でもねーよ」
まあ、多分気のせいだろ。
「聖女様、お疲れではありませんか!?」
「うふふ、問題ございません。お気遣いありがとうございます」
「さ、左様ですか」
あーあー、坊ちゃん隊長も性女ちゃんのご機嫌取りに必死だねぇ。
完全に仕事の優先順位が入れ替わってやがるな。
性女ちゃんにばっか意識が持ってかれて調査が疎かになったら、本末転倒もいいとこだぞ。
「……あの丘」
「?」
お坊ちゃんが前方にある赤黒い丘を見つめながら、眉間に皺を寄せる。
「あの丘がどうかしたのか?」
「……マリィ、ちょっとあの丘に、攻撃魔術を撃ってみてくれないかな」
「ハァ? なんでだよ」
「頼むよ。君にしかできないことなんだ」
「……」
いつものキラキラスマイルで頭を下げてくるお坊ちゃん。
フン、本当に人を使うのだけは上手い男だぜ。
「わーったよ。攻撃魔術だったら何でもいいのか?」
「ああ、なるべく当たったら痛いタイプの魔術がいいな」
「ふうん?」
だったらこんなのはどうだ。
アタシは右の手のひらを、丘に向けてかざす。
「そよ風のように抱きしめて
――風刃魔術【そよ風の抱擁】」
通常の【そよ風の抱擁】は広範囲に風を噴出する魔術だが、その風を一点に集約し、鋭い槍のような形状にしてから一気に放った。
すると――。
「なあっ!? 何だ今の音は!?」
パアンという空気をつんざく轟音を立てながら、その風の槍は物凄い勢いで丘に突き刺さり、ドデカいクレーターを作った。
オイオイ、坊ちゃん隊長ビビりすぎだろ。
「ブラボー! ただの【そよ風の抱擁】が、ここまでの破壊力を持つとはね。これぞ【断滅の魔女】。つくづく君が味方でよかったよ、マリィ」
ケッ、おだてたって何も出ねーぞ。
「さすが姐御! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ。そこにシビれる! あこがれるゥ!」
「るゥ!」
スネイル楽しすぎだろ。
「で? ご要望通り魔術は撃ったけど、これで何がわかんだよ、坊ちゃん」
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「「「――!?」」」
その時だった。
大地を震わせるほどの激しい唸り声が、丘のほうから響いてきた。
ま、まさか――!?
「うん、君のお陰で、魔獣集団暴走障害の原因がわかったよ、マリィ」
「な、何だこれはああああああああ!?!?!?」
坊ちゃん隊長が、顎が外れそうなくらい口をあんぐり開けながら、その場に尻餅をつく。
――それは丘じゃなく、巨大な一匹の魔獣だった。
全身が赤黒い鱗で覆われた、四足歩行のドラゴン。
なるほど、ブラックバーンブルは、コイツから逃げて来たってワケだ。
「……これは、伝説の魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴン」
知っているのか坊ちゃん!?
「……だが、ところどころ皮膚が腐っている。――これは、歩屍化してるな」
「――!!」
歩屍化……だと……。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
確かにアブソリュートヘルフレイムドラゴンの目玉は両方とも腐り落ちており、眼窩には虚空だけが広がっている。
頭皮からも脳が露出していた。
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
「マリィ……!? 大丈夫か!?」
『……マリィ、私の師匠のところに、あなたを送るわ。……師匠なら、きっとあなたを守ってくれるから、安心してね』
『……元気でな。愛してるぞ、マリィ』
クソッ!
父さんと母さんが【酷屍夢想】に惨殺された光景がフラッシュバックしやがる……!
こんな伝説の魔獣を歩屍化できるのは、ヤツしかいねえッ!
「出て来やがれ【酷屍夢想】!! どこかで見てやがるんだろうがッ!!」
よもやさっき感じた視線は、【酷屍夢想】のものか!?
「マリィ、落ち着いてくれ。今は目の前の敵に集中しよう」
「チッ、わーってるよ!」
こんなヤツ瞬殺して、あの野郎を燻り出してやる――!
「聖女様、歩屍が相手なら、あなた様の聖魔術が天敵なはず。どうかあなた様のお力もお貸しいただけませんでしょうか?」
なっ!?
お坊ちゃん!?
「オイ、こんなヤツ、アタシ一人で十分だよ!」
「うふふ、申し訳ございません。私の力は、王族か、それに準ずる権限をお持ちの方の許可なく使用することを禁じられているのです」
「……そうですか。それなら致し方ありませんね」
だからアタシがやるから、性女ちゃんの力は要らねーって!!
「そうだぞ貴様ッ! 聖女様に向かって無礼な! 聖女様、ここは我々西方騎士団第一分隊にお任せください! こんな見掛け倒しのザコ魔獣、瞬殺してご覧に入れましょう! さあお前たち、今こそ第一分隊の力を、聖女様にお見せするのだ!」
っ!?
「オイ坊ちゃん隊長! お前らじゃアイツの相手は無理だ! ここはアタシに――」
「坊ちゃん隊長!? それはボクのことか!? ええい、そうやって手柄を独り占めする気なのだろう! これは命令だ【断滅の魔女】! 貴様は一切手を出すな! もし命令を破ったら、西方騎士団をクビにするぞ!」
「ハアッ!?」
正気かコイツ!?
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「「「――!!」」」
アブソリュートヘルフレイムドラゴンが大口を開けると、喉の奥からドス黒い何かがせり上がってきた。
あ、あれは、ヤバい気配がしやがる――!
「隊長、やはりここは、マリィに任せるべきです!」
「そうだよ! お坊ちゃんの言う通りだ!」
「ええい、うるさいうるさい! 隊長はこのボクだ! ここではボクが絶対のルールなんだ! オイ、そこの貴様!」
「は? お、俺ですか?」
さっき性女ちゃんのあれこれでしきりに挟んでほしがっていたスケベ男が、坊ちゃん隊長から指を差された。
「貴様、病気の妹がいると言っていたな? あの魔獣を今すぐ倒してこい! できなければ貴様はクビだ! 妹の薬代を今後も稼ぎたいんだったら、結果を出せ!」
「っ!」
最低だなコイツ!!
「わ、わかりました……。俺にもしものことがあったら、妹のことはよろしくお願いします」
「オイ、待てよ!?」
スケベ男は「ウオオオオオオ!!!」と雄叫びを上げながら、単身アブソリュートヘルフレイムドラゴンに突貫して行った――。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「あ、ああああああああああ――!!」
「「「――!!!」」」
が、アブソリュートヘルフレイムドラゴンの口から放たれたドス黒いブレスを浴びると、スケベ男の全身は鎧ごと一瞬で腐蝕し、グズグズに崩れ落ちてしまった……。
クッ……!!
「ヒ、ヒイイイイイイイイ……!!」
そんな部下の無残な死を見て、また坊ちゃん隊長は尻餅をついた。
テメェのせいでこうなってんだろうがッ!!
「もういい!! アタシがやる!!」
クビになろうが、知ったことか!
「絆のように脆く
時のように儚く
悪魔のように恭しく」
アタシが詠唱を始めると、瞬く間に空に暗雲が垂れ込め、禍々しい雷鳴が轟いた。
深淵魔術で一撃で決めてやる――。
「待てマリィ! それは――」
待たねーよお坊ちゃん!
「海のように暗く
空のように紅く
神のように無慈悲に
彼の者に裁きを与えん
――深淵魔術【魔女が与える鉄槌】」
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「「「――!!!」」」
アブソリュートヘルフレイムドラゴンの頭上に無数の漆黒の稲妻が落ち、目を開けていられないほどの光を放った。
フッ、終わったな。
――だが、光が収まると、そこには――。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「何!?」
全身が黒焦げになりながらも、まだ原型を留めていたアブソリュートヘルフレイムドラゴンが、先ほどの腐蝕ブレスをアタシに放ってきた――。
しまった――!!
アタシとしたことが、頭に血が上ってた――!
土属性の歩屍には、雷が効きづらいんだ……!
「マリィ、危ないッ!」
「っ!!?」
アタシを庇うように、お坊ちゃんがアタシの前方に立ち塞がった――。
「ル、ルギウスッッ!!!!」




