プロローグ
プロローグ
白い肌に白いワンピース、それと対照的な黒くて長い髪、それだけで印象的だった。白いキャンバスの前に立つと、黒髪がよく映える。
彼女はたくさんのインクが入ったバケツをたくさん持ってくると、聴衆の方には見向きもせずに淡々と準備を進める。
キャンバスは年にしては小さい彼女の身長より少し高いくらいある。
彼女は聴衆の前に立つと、バケツになみなみに入った赤いインクを持って、あろうことかバシャとボードに文字通りぶちまけた。突然の行動に今まで穏やかに見ていた聴衆に動揺が走る。そんなことを気に留めず、さらに黒を持つと同じようにぶちまける。それは、彼女の長く綺麗な黒髪が突如意志を持ったように好き放題に伸びたようだ。
まだ終わりじゃない。
さらにさらに紫を持つと頭の上に持ち上げて、重力に彼女の細腕の力が加わり思いっきり振り下ろした。影がついていなければ、キャンバスの端なんてものはわからなかっただろう。そして、黒!赤!黒!赤!と連続してぶちまける。
彼女は辛そうに口を歪め、肩ではあはあと息をする。あたりにはきついインクの匂いが充満しており、人々はそこを避けて通る。あれだけ白かったキャンバスは白い部分が全くない。そう、それはまるで暗い暗い濁っている血のようだ。
彼女はその細腕に見合わないくらいの大きな筆を持ち、最後の黒いペンキにつける。やっと筆を持ったのかと誰もが思ったその時、彼女が書き出したのは大きくて下手くそな文字だった。
生きろ
たったそれだけ
それを描き終えた彼女は初めて聴衆の方に振り向いた。
・・・・・
その目には光が灯っておらず、その顔の白さはこの世のものとは思えない儚さを感じさせる。きっと誰もが綺麗と思っただろう、その体が色に染まってなければ。紫、黒、赤、それぞれの色が汚く混じり合い、まるで肌の腐っていないゾンビだ。
その光景にコソコソ話していた聴衆は鎮まり、その少女に目を向ける。
それを見た少女は大きく息を吸い吐露した。
「生きろなんて言わないで!!」
金切り声に近いその声は空気を震わせ耳まで届く。
「そんなこと言うくらいなら、
私の好きなところを一つ教えて!!」
「私と行った場所を
一つくらい答えて!!」
「生まれた日くらい、
ちゃんと覚えて!!」
「私に興味を持ってよ!!」
「おかあさん!!!」
・・・・・・・・・
はあはあはあ
・・・・・・・・・・・・・・・・
はあはああ
最後の言葉がこだまする。そのほかに音は聞こえない。
世界が彼女に注目する。
誰も彼女に答えない。
誰も彼女以外を見ようとしない。
彼女も誰も見ようとしない。
その永遠と思われた静寂は一瞬で終わり、人々は手を挙げる。そして、
それは上から下、右から左まで全てがブーイングとなった。
渋そうな男性、若い女性、婦人に貴婦人、若い男性、老婆に老人
全てが少女を否定した。
会場をめちゃくちゃにされた戒めか、心をぐちゃぐちゃにされた八つ当たりか
全てが少女を否定した。
少女はそれを俯いて聞いていた。
全てが少女を否定するその音を
もう我慢できなかった
徐に少女の手を取り、その場から走る。少女は少し抵抗したが、意外に瞬足ですぐに抜かれた。僕も負けずに抜き返し気づけば、聴衆はもとより人が全くいない丘まできていた。
僕と少女は肩で息をしていたが、そんなに苦ではなかった。
僕より小さなその身に手をのばし、こう、言った。
「君の名前を教えてよ。」
それが彼女との出会いだった。