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妄想論

ざまぁと信者的熱狂

作者: とびうお君

 私の中でも話題の流行がある。今扱ってるのはなろうの読者は決して信者的な読者ではないと言う視点になる。この視点が今の流行なのは、私は過去のエッセイで180度違うことを言ってるからになる。以前も書いたが、私はその点手のひら返しをした。以前の見解を否定している。


 この点反省はない。理由は新しい情報が入ってきたからになる。私の視点は異世界転生が流行していた時代からのもので、そのためいまのざまぁの流行を見てなかったからになる。新しい時代の流行を見て、あこれいい加減なものだと悟った。敬虔なる信者的熱狂によるものじゃない。


 後もう1つ書いておくが、盾の勇者が顕著だが、転生転移の中でもクラス転移やまとまった集団転移で外れスキル転移者がはぶられるって展開が無茶苦茶ある。どうみても追放系の原型だと分かる。追放系が新しい発明であるのは否定しないが、転生転移の中の追放系の原型が今ほどの寡占状態になかったのを見ると、新しい発明によって寡占状態になったわけじゃなくて、別の要因があると私は見ている。


 次にこの手の流れは大多数の大衆と呼ばれる集団にも似たような現象がある点になる。なろうは極端で分かりやすいので勘違いされるが根本的には、大多数の大衆とほぼ変わりがない。


 ただ最初に断っておくが、これは女性向けとは違い男性向けのハイファンに限った話とする。実際は私は恋愛とハイファンのザマァは統一した視点は可能だとは思ってる。だがそれをするメリットが感じられないため女性向けは排除している。根本的にジャンルが違う。そのため共通点がかなりずれる部分がある。


 ざまぁでまとめて話す人が多いが、それは手抜きだと思う。どちらにもそれなりに詳しい人でまとめて話すのを目的としてる人じゃないとずいぶん違うのに気が付く。恋愛のザマァは転生転移タグができる前からずっと寡占状態にある。だが、ハイファンのざまぁは転生転移タグ後の現地主人公流行の流れで現地主人公の間で寡占状態になったものにある。


 あともう1つは、ハイファンのザマァは根本的にハイファンで多い勧善懲悪モノの派生でしかない。悪い奴がいてやっつける。この単純な話の派生でしかない。公共的な悪か?個人的な恨み憎しみの対象の違いで、むかつくやつが酷い目に合うって基本構造は全く変わらない。ざまぁが特徴的なのは自分で手を下さなくても自滅するケースも多々ある点にある。


 でもそれはあまり重要じゃない。何故ならごきぶりを触るのも嫌だって心理だと思う。自滅してくれれば読者視点的には十分。悪質な人間に関わると例え復讐でも自分も嫌な思いが絡み合う。そもそも復讐譚はさらに酷い精神状態であるケースが大半で、精神衛生上良くない。懲らしめるのが自分である必要はない。そのため復讐譚ではないが勧善懲悪と異なるのはここにもなる。自分で懲らしめない、個人的なもので善悪ではない。この点から差別化されるだけで、根本的にはほぼ両者と変わらない。


 そのため男性向けのざまぁは過去の勧善懲悪とかなり似てくる。恋愛のざまぁと無理にまとめるメリットをほとんど私は感じない。


 以前水源さんが書いていたなろうテンプレこそがなろうの軸だろうと言うのに全面的に同意する。でも私はその流れを展開してない。それには理由がある。いわゆるトートロジーになるからになる。私は今あるなろうテンプレ以外の流行を作りたいから様々なアプローチをしている。それをなろうテンプレだからと説明すればトートロジーになってしまい終わってしまうからだ。ただなろうはざまぁが重要なわけじゃないってのはここになる。ざまぁはなろうテンプレの1つの型にすぎない。その点だけはなろうテンプレって言葉を説明の軸にしたい。


 ここまで書けばもういいだろう。なろう読者はざまぁ物語の熱狂的読者ではない。なろうテンプレの熱狂的読者なのか?なら新しい流行が来ればさっさとそっちに行って今うような軽薄な読者だ。彼らは消去法的に今ましだから選んでるだけ、それが新しい流行でほいほい流れる根拠になる。飽きていてもアニメやすでに去ってしまった飽き飽きしてる外の読者に比べたらマシとなるだけ。私はこれを消去法的な選択と見ている。積極的にざまぁ大好きで選択する読者ではないと見ている。もちろん、ざまぁが嫌いなわけじゃない、どっちかと言えば好きだろうし面白いだろう。だがもっと刺激的なものが無いから選ばれてるだけ消極的な好意だと見ている。


 何度も書くがこれはハイファンだけの話になる。めんどくさいのでなろう読者はと書いてるだけ、だから冒頭で丁寧に説明した。これから先似たようなエッセイを書いても省略すると思う。


 なろうテンプレというトートロジーになる説明以外では過去書いてきたと思う。今あるテンプレを愛してるわけじゃなくて、選択の都合から選んでるだけなのでなろうテンプレは多分守らなくても問題ないと見ている。ただ問題はそれをどうやって新しく作るか?になる。その点私は個人では無駄だと思ってる。何度も書いてるのは運営が新しいものを作るようなシステムに変えていくことになる。


 私も個人的にはやってる。現代もので可能じゃないか?としていろいろ実験的に書いてる。私はなろうテンプレは短期的には問題だと思ってない。世代交代で失敗するだろうと見ている。でも今若者にも同時に受けてると私は書いたが?と矛盾してる。これ難しい。ガンダムシードを見ろとなる。当時の若者には中年のガンダムファンとともに受けた。だが今どうだ?ある一時期受けても根本的には中年老人文化なのだ。


 そこで問題になるのは中年でも同じだが、レッテル張りこそ排除される要因になり、なろうはそれが容易にできる。今流行で見えてないがいずれは異世界はすべて排除される可能性が有る。ゼロ年代そういう時期があったんだ。灼眼のシャナが典型的だろう。今私は見てないが、最果てのパラディンのスタート部分はシャナの踏襲だと見ている。シャナの根底にはハイファンタジーがあって、そのためパラディンと相性が良かったと見ている。ほとんどの人に指摘されないのが不思議だが…。


 ハイファンタジーを書ける人がそれを書かない。それは当時排除され気味だったからになる。異世界は一度絶滅に近いのを私は見てるので全く不思議じゃない。だからなろう=異世界の枠組みはとても危険だと見てる。広くネット小説に期待して、スーパーカブを見たがあれじゃダメだ。上手くやってるとは思うが普通にあれは小説だと思う。ユーフォなどとあまり変わらない。展開で見せようと必死なんだ。じゃそれ以外何があるの?だから私も困ってるのだが…。


 まあこれは将来的なものなので置いておこう。誰かが頑張ってほしい。孤独のグルメ見たいのを飯以外で作るって事になる。展開の刺激に頼り過ぎない。私は最初からランキングの上位だけ見れればいいと思ってる。後はゴミで良いと思ってる。それでしか無理だと思う。展開の刺激が使えないんだから。


 ざまぁに熱狂的読者を想定しないのはものすごく重要だと見ている。自分の想定が正しいか?と言うとなんとも言えないが、それを想定するとおかしなことがいっぱいある。じゃ何故なろうエッセイはそれを想定してしまうのか?と言うと、大半のエッセイがそれの読者に否定的だからになる。作品に対しての否定が読者の人格否定につながってしまってる。否定的な感情に捕らわれて冷静な思考力が無い。


 次に女性向けと男性向けを安易にまとめてしまう点。これが無茶苦茶大きい。普通にざまぁ的流れじゃなくて、勧善懲悪程度の転生転移の物語も今でも無茶苦茶人気がある。以前の寡占状態を追放系に奪われただけ。短編が人気になるとか、とにかく様々な点が違う恋愛とハイファンをざまぁでまとめて理論展開するのは無理がある。


 ざまぁの批判でまともなものは、ラノベ数巻も続く長編に向かないって点になる。これ以外は大半は悪感情に捕らわれたためにまともに思考してない感情論しかない。はっきり言えばゴミ…。


 短編がそんなに重要なのか?と言うとこれが重要なんだ。ざまぁだけじゃなくて、女性読者の短編好きがハイファンにはほとんど表面化しない点。短くまとまった物語の流れを男性読者は特に強く求めてるわけじゃないって点。根本的に物語に求めるものが多分違う。それはどれだけざまぁが人気でも変わってない。私は以前からその点選択の問題に上手くはまっただけと見てるから。


 さて、なろうテンプレ以外の説明だが、これは過去にしてるので止めておく。理由だけは、私は今の寡占状態が将来問題なると思ってるからそのための対策を打ちたいから書いてるためで、そのためにはなろうテンプレって説明は説明になってないと見てるからだ。今回使ったのは、ざまぁについて説明するならこれはかなり有用だと気が付いたから。ざまぁはなろうテンプレの一つのかたでしかない。読者はその型が増える事を望んでいて、今のざまぁの寡占は読者が望んだものじゃない。消去法的に今ある中でマシだから選ばれてるだけと私は見ている。


 ハイファンに限ってだが、なろうはざまぁ系を好む熱狂的読者の巣窟ではない。どこにでもいる普通の大衆的読者の傾向にすぎない。


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