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76 犬養の転落

 結生を人質に取られ、寧音は動きをとめた。

 俺は寧音の様子を観察した。

 ゾンビマークはまだ浮かんでいない。

 だけど、走ってくる時、寧音はゾンビ達に無視されていた。

 寧音はまちがいなく感染している。


 寧音の顔からは、返り血と汗が滴り落ちていた。

 寧音の顔色は青く、苦し気に息を吐いている。

 動きは落ちていなかったけど、本当は寧音は感染の初期症状で相当に具合が悪いのかもしれない。


 ゾンビウイルス感染の初期症状は人による。

 俺は歩けないほど具合が悪くなって気絶した。

 元気なまま感染拡大行動を取る者もいる。


 寧音は今にも倒れるかもしない。

 あるいは、正気を失い感染拡大行動を取り、結生まで感染させようとするかもしれない。


 今、ステージ上には死んだ2人の自衛兵の他に、生きている者が5人いる。

 椅子に縛られ身動きのとれない結生。

 結生を人質にとり拳銃をつきつける犬養。

 血塗れの刀を手にした寧音。

 そして、寧音に銃口をむける自衛兵が二人。

 自衛兵は二人ともフルフェイスヘルメットをかぶりアサルトライフルを手にしている。

 自衛兵の一人は寧音の左側に数メートル離れたところにいて、もうひとりは寧音の前方、犬養の左側、斜め後ろに数メートル離れたところにいる。

 寧音は犬養の横にいる自衛兵を一瞬睨み、そして、結生に銃口を向ける犬養に視線を戻した。


 数秒間、誰も何も言わない無言の時間が過ぎた。

 ステージ下に集まってきた、興奮したゾンビ達の唸り声だけが響いていた。

 寧音の視線の無言の圧力に負けたように、犬養が焦ったような早口でしゃべりだした。


「悪かった。おまえの妹を人質にしたのは悪かった。だが、これは木根文亮をおびきだすためだ。おまえの妹に危害を加えるつもりはなかった。さぁ、避難しよう。このままではゾンビに囲まれる。全滅だ」


 ステージの周囲、芝生の広場には、沢山のゾンビが観客のように集まっていた。

 すでにステージ近くに到達しているゾンビ達は、ステージ上の非感染者に熱狂し、少しでも近づこうと手を伸ばしている。

 今のゾンビの動きは精神感応で公園の外から近づいてきていた時の、のっそりとした動きとは違う。

 非感染者を見て、感染拡大欲求で荒れ狂っている。

 ゾンビ達は涎を垂らしつばを吐き散らしながら盛んに唸り、手をのばしていた。

 ステージの下から伸びてくるゾンビ達の手は、砂浜をなめる波のように結生の足のすぐ傍まで打ち寄せていた。


 寧音は表情を緩めず犬養を睨みつけたまま言った。


「それが結生に銃をつきつけて言うことか?」


 犬養はゆっくりと銃口を結生から離し、上に向けた。

 だけど、フルフェイスヘルメットの自衛兵二人の銃口は寧音に向いたままだ。

 犬養は言った。


「刀を床に置け。そうすれば、お前の妹を引き渡す」


 すぐに結生が声を上げた。


「お姉ちゃん、犬養先輩の言うことを信じないで。犬養先輩は、ウソをついてる」


 犬養は即座に脅すように言った。


「嘘ではない。早くしないと、どのみち全員死ぬことになるぞ。さぁ、どうする」


 寧音は犬養を見、そして次に、寧音に銃口を向ける犬養の横の自衛兵を見た。

 寧音は視線を動かさず、ゆっくりと頷いた。


「……わかった。結生のことを頼む」


 俺は気がついた。

 犬養はほくそ笑んでいた。必死に笑みを打ち消そうとしていたけど、間違いない。

 だけど、寧音はゆっくりと跪きステージの床に日本刀を置き、立ち上がった。


 とたんに、その瞬間を待ち構えていたように、犬養が叫んだ。


「撃て!」


 犬養の叫び声をかき消すように激しい銃声が響いた。

 吹き飛んだのは、寧音の横にいた自衛兵のアサルトライフルだった。 


「な……?」


 信じられないといった様子で犬養が自分の横、ちょっと斜め後ろにいた自衛兵の方に振りかえった。

 自衛兵のアサルトライフルを撃ち落としたのは、犬養の横にいたその自衛兵だ。

 フルフェイスヘルメットの自衛兵……に化けていた、俺だ。


 俺はどさくさに紛れてステージに上がっていた。

 迫りくるゾンビの大群と寧音の襲撃で動転していた犬養ともう一人の自衛兵は、制服に赤い腕章で偽装した俺を不審に思わなかった。駆けつけた仲間だと思ったのだろう。

 寧音は俺の正体に気がついていたみたいだけど。

 そして、俺は何気なく自衛兵のふりをして寧音に銃口を向けつつ犬養達を攻撃する隙を狙い、犬養が攻撃命令を出す直前に発砲したのだ。

 

 俺が発砲するとほぼ同時に、寧音は犬養に向かって突進していた。

 犬養は避けることも、銃口を寧音に向けることもできなかった。

 寧音が犬養の懐に入った時、犬養はまだ俺の方を向いたままだった。


 寧音は犬養の腕を掴み、自分の体に巻き付けるように体ごと犬養を投げた。

 そして、そのままステージを転がり、二人はゾンビの海へと転がり落ちていった。

 待ち構えていたゾンビの唸り声が轟き、辺りの空気を震わせた。

 周辺のゾンビ達が一斉に蠢き、犬養達の姿を覆った。

 巨大な肉でできた繭のように、ゾンビの重なりが盛り上がっていった。

 そのゾンビの塊の中に、宇野がいたのが一瞬だけ見えた。


 ゾンビの唸り声の轟音の中に、犬養の悲鳴が響いた。

 重なり合い巨大な塊のようになったゾンビの中から、いつの間に這い出たのか、寧音がゆっくりと立ち上がった。寧音は犬養が持っていた拳銃を手にしていた。


 ゾンビの肉塊の下から犬養の悲痛な叫び声が響いていた。


「やめろぉ! ゾンビども! やめろぉ!」


 犬養が全身の肉をゾンビに噛まれるグチュグチュグチャグチャといった嫌な音がステージ下から響き続けている。

 ゾンビ達の唸り声と咀嚼音の中で、犬養の苦痛の声が聞こえ続けた。


「痛い……痛い……やめて……」


 それは次第に泣き声に近づいていった。


「うぅ……あぁ……ゾンビには……ゾンビにだけは、なりたくない……殺してくれ……殺して……」


 寧音は冷徹な目で、ゾンビに埋もれる犬養を見下ろしていた。犬養をひと思いに殺してやる気はなさそうだった。


「たのむ……ゾンビには……ゾンビにはなりたくない……」


 ゾンビ達に噛まれ舐めまわされながら、哀れな声で懇願し続ける犬養の声に、俺は疑問に思わずにはいられなかった。

 犬養は、自分だけはゾンビにならないとでも思っていたのだろうか?

 誰だって、いつゾンビになってもおかしくない、この世界で。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 呆然としていた俺は、結生が寧音を呼ぶ声ではっと気がつき、結生のもとに駆け寄った。

 犬養なんかに気を取られている暇はない。

 早くしないと、ゾンビ達が襲ってくる。


「今、ロープを切る」


「先輩?」


 俺はポケットからナイフを取り出し、結生を椅子に縛りつけるロープを切り裂いた。


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