74 助けの手
俺は自分の耳を疑った。
(ゾンビがこっちにむかって進んでくる? なんでそんなことが起こるんだ?)
信じられない。
そうならないように、ゾンビ達は公園から少し離れた所に配置したはずだ。
だけど、俺の目にも林の中を近づいてくるゾンビ達の姿が見えていた。
公園の外側からこっちにむかって、つまりステージのある方へ向かって、虚ろな目で涎を垂らしたゾンビ達が腕や足を引きずりながら進んでくる。
木々の間に見えるゾンビの数はかなりの数だ。
「うう……うううう……」
そんな低い唸り声があちこちから合唱のように響いてくる。
たまたま非感染者を追いかけてゾンビがさまよいこんできた、という状況ではない。
まるで何かに操作されるように大勢のゾンビ達が一斉に動いている。
俺は小声でつぶやいた。
「なんでゾンビが公園内に?」
中林先生の冷静な声が聞こえた。
「公園周囲のゾンビ全員が公園内に向かっている。これは、感応現象だろう」
感応現象?
誰かの強い思いに共鳴してゾンビ達が動いている、ということだ。
俺が結生をたすけたい、ステージから離れたくない、と思ってしまったからか?
いや、俺が結生をたすけたいと思っているのは、作戦開始前からずっと同じだ。
それに、さっき俺はすぐに頭を切り替えて、犬養を挑発することに集中することにした。
俺はステージの方に行こうと強くは思っていない。
俺がゾンビを引き寄せることはありえない。
俺とは別の誰かが……?
原因が何だろうと、こうなってしまったらペッポー君による救出パターンBは、無理だ。
犬養達がいてもいなくても、あと10分もしない内に、いや、それどころか5分もしない内に、ゾンビの大群が結生を襲ってしまうだろう。
俺は、結生を救出するために、すぐにステージにむかわないといけない。
ゆらゆらと林の中を進むゾンビ達は、涌井という非感染者に気がつく距離に迫っていた。
先頭を歩く中年女性ゾンビが興奮し、痙攣したようなガクガクした動きを始めた。
涌井に気がついたようだ。
ゾンビの動きは遅いから、ここにたどり着くまでにまだしばらくかかるけど。
俺の前で、涌井は迫りくるゾンビ達を前に雄叫びをあげた。
「ぬぅおおおおーー! ゾンビどもめ! 戦うぞ!」
こいつのノリには付き合っていられない。
俺は早く結生を救けにいかないといけない。
俺がゾンビ達に背を向けて、この場を離れようとしていると、涌井の怒鳴り声が響いた。
「おい! どこへ行く! ゾンビどもを倒すのだ!」
涌井に見つかってしまった。
「ハイ!」
俺はヘルメットの中でしかめ面をしながら、元気よく返事をした。
「よし! 行くぞ!」
涌井はそう言って、ゾンビ達に銃口を向けた。
俺は、そんな涌井の後ろからそそくさと近づき、涌井の太ももにスタンガンを押し付けた。
父さんの部屋で見つけた小型のスタンガンだ。何かの役にたつかなと思ってポケットにいれていた。
バチッと音がして涌井の巨体がその場に崩れ落ちた。
「ぐぅぉおおーー」
痛みで唸る涌井の腕にさらにスタンガンを押し付け、そして俺は全力で涌井の手から自動小銃を奪い取った。
これで、ここは問題ないはず。
地面に転がった涌井を放置し、自動小銃を持った俺はステージの方に向かって走り出そうとした……ところが!
「なにくそぉー! 気合いだ! 裏切り者め! 許さん!」
涌井は気合で立ち上がり、俺を追いかけてこようとしていた。
「げっ、効いていない!?」
もちろん、スタンガンに人を気絶させるほどの威力がないことは知っていた。
それでも、なんとなく数十秒ぐらいはもつかと根拠なく思っていたんだけど。
数秒しかもたなかった。
しかも涌井は怯むどころか戦意高揚、俺を倒す気満々だ。
俺は慌てて涌井の方に振り返りながら自動小銃を構えようとした。
アサルトライフルの安全装置がどうなっているかも知らないまま。どういうふうに持って撃つのかよく知らないまま。
そして、その時には、涌井の巨体がすでに俺に襲いかかろうとしていた。
あのままだったら、俺は涌井に掴まれ、投げられるか関節を決められ、自動小銃を奪われていただろう。
だけど、その時、横から誰かが飛び出してきた。
飛び出してきた人影は、跳躍しかけていた涌井の足に飛びついた。
そして足にタックルをされた涌井は、俺の目の前で倒れ込んだ。
激しい音を立てて地面に衝突した涌井を見ながら、俺は驚き混乱していた。
(誰だ?)
ここに俺を助けてくれる人がいるはずがない。
涌井の足にとびついたのは、制服に赤い腕章をつけた自衛兵団の痩せっぽっちの少年だった。
縮れ髪で肌の色が黒く手足が長い少年で、どこかで見たことがあるような気はするけど、俺の知り合いではない。
(なんで俺を助けるんだ?)
驚く俺の目の前で、涌井はジタバタ動きながら叫んだ。
「貴様! 何をする! 裏切り者はあいつだ! あいつを捕えろ!」
「すいません、すいません」
見知らぬ痩せた少年が、必死に涌井の頑丈な太い足にしがみつき、蹴りつけられながらひたすら謝っている。
そして、その時にはもう一人、一呼吸遅れて林の中から飛び出してきた小柄な自衛兵が、涌井の頭に拳銃を突き付けていた。
「すんません。涌井先輩。おとなしくしてください」
涌井は動くのをやめ、あっけにとられた様子で銃口を見上げていた。
「おまえは権田? 何のつもりだ?」
涌井に銃口を向けている自衛兵は、俺と同じ高校の制服を着ている。元気がよさそうな少年だけど、かなり背が低く中学生みたいな体格だ。
たぶん1年生だろう。
拳銃を持っていない側の腕は怪我をしているらしく、血のにじんだ包帯が巻かれていて、その上からラップを巻き付けるという応急処置状態だ。
ゴンダと呼ばれた小さな自衛兵は、涌井の質問には答えず、俺にむかって叫んだ。
「早くいけ! 怪しい奴。早くあの子をたすけろ!」
俺はそれを聞いて、反射的に走り出した。
誰だか知らないし、なんでかわからないけど、この二人は俺に結生を救出させようとしている。
俺の背後で小柄な自衛兵の大きな声が響いた。
「絶対に、あの子をたすけろ! シンゴのために!」