69 *結生4
結生は縛られ、椅子にくくりつけられていた。
今いる場所は野外だ。たぶん角山公園だろう。
結生はここに来るまでに歩いた地面の感触と木々や芝生の匂いから、そう推測していた。
今いる場所は階段を上がった先の平坦な場所で、床は固い。
少し離れた低い所にたくさんの人がいる気配がする。
あちこちから雑談の声が聞こえていた。
広瀬美羽と男子生徒達が話している声を、たくさんの声の中から結生は聞き分けた。
「ひどすぎるっすよ。シンゴが命をかけてあの子を守ったのに。なんでこんなことに」
この声は、ゴンゴンと呼ばれていた男子生徒だ。
いつもは元気なゴンゴンの声が、今は悲痛だった。
(山下君は、やっぱり……)
結生の胸の奥から悲しみの塊がこみ上げてきた。
「文句は犬養君に言ってよ~」
そう言う美羽に、アベッチと呼ばれていた生徒が咎めるようにたずねた。
「あの子、隊長の親友の妹さんなんですよね? ゾンビじゃないんですよね? なんで団長を説得しないんですか?」
「説得してみたけど~。あの石頭を説得なんて無理だよ~。犬養君は何が何でもキネキネゾンビを誘い出すつもりな上に、結生ちゃん、完全に言っちゃいけないことを言っちゃったしねー。犬養君が言うこと聞くわけないって。結生ちゃんを認めたら犬養君の求心力だだ下がるもん。寧音には悪いけど、もうお手上げ♪」
美羽は全く罪悪感のなさそうな調子でそう言った。
ゴンゴンが疑わし気に美羽にたずねた。
「隊長、さっき、お姉さんの方を呼び出してたっすよね。ここじゃないとこに。なんであんなことしたんすか?」
「犬養君が寧音を誘い出して監禁するっていうんだもん♪ しょーがないでしょ?」
ゴンゴンは驚愕した声で叫んだ。
「誘い出して、監禁したんすか!? ひどっ。隊長、あの人と友達じゃなかったんすか?」
美羽はあっけらかんと言った。
「親友だよ♪ だって、ほっとくと、寧音が結生ちゃんを救出しちゃうもん」
しばらく唖然としたような沈黙が漂った後、ゴンゴンが吐き捨てるように犬養への不平を言った。
「だいたい、団長は何考えてんすか。あの子を人質にしてまでゾンビの親玉を狩らなくたっていいじゃないっすか」
アベッチも続いた。
「ゾンビのボスの始末なんか、国防軍に任せればいいのに」
美羽はあっさり同意した。
「だよねー。ほっとけばいいのにねー。たしかにキネキネゾンビは不気味だけど、わたしたちには関係ないもんねー。それに、寧音は妹が捕まっていたら絶対に救出に来るけど。木根は他人だから、結生ちゃんを人質にしても、来ないかもしれないのにねー」
その通りだと、結生は思った。
美羽が言う通り、寧音は何が何でも助けにくる。
結生はむしろそれを心配していた。
今の、異常事態の中で精神状態が危うげになっている寧音なら、きっと、文字通り死に物狂いに、人を殺してでもたすけにやってくるだろう。
だけど、木根文亮にとって、結生は昨日偶然出会って親切をしただけの他人だ。
来るはずがない。
「そう思ってんのに、隊長は、あの子を人質にしたり、お姉さんを捕まえるのを助けてんすか? ありえねぇ」
ゴンゴンは驚きあきれている。
美羽はぶりっ子みたいに言った。
「だって、犬養君が怖いんだもん♪」
ゴンゴンは即座に吐き捨てるように言った。
「絶対、ウソっす。隊長に怖いもんなんてないっす。つーか、隊長に人の心はあるんすか? 悪魔にしか見えないっす」
美羽は可愛らしい声で言った。
「ひどいなー。わたしはただのかよわい女の子だよ? でも、人の心ってなんだろね♪ 他人の不幸は密の味っていうでしょ? 良い子の不幸を美味しくいただくのが人の心かもよ♪」
「そういうこと言えるやつに人の心はないっす」
「そーかなー。でも、犬養君の執着心もたいしたもんだよねー。探し回って仕留められないなら、あきらめればいいのに。結生ちゃん人質作戦にかけるなんて。だけど……」
美羽の声がそこで一瞬、不気味な響きをまとった。
「よーく思い出すと、キネキネゾンビ、けっこう結生ちゃんに執着してるっぽかったから、ワンチャン来るかも? ……あ。気づいちゃった♪ これって三角関係? 犬養君→木根→結生ちゃんの?」
結生はそこでふと思った。
昨日、文亮と結生がずっと一緒にいたのを知っているのは、寧音と美羽たちしかいないはずだ。
そもそも、結生を人質に文亮を誘い出せると犬養が考えたのは、美羽が犬養にそう報告したからでは?
美羽は実は裏で糸を引いてこの状況を作り、楽しんでいるのでは?
美羽のことを疑いすぎだろうか。
ゴンゴンは憮然とした調子で言った。
「そんな冗談言ってる場合っすか? 団長は、本気であの子を殺すつもりっすよ」
美羽は軽い調子で言った。
「冗談言ってる場合じゃないよ♪ もう避難しないと♪」
ゴンゴンとアベッチが驚いた声で同時に聞き返した。
「え? 隊長?」
「避難って?」
「いっしょに来る?」
美羽の問いに、ゴンゴンとアベッチはとまどったように同時に尋ね返した。
「だって、あの子を放置していくんすか?」
「だって、団長は、避難はこのミッションの後だって……」
美羽はあっさり言った。
「のろのろしてて国防軍の攻撃に巻きこまれたら、やだもん♪ 犬養君と心中なんてしてらんないよ。じゃーねー。バイバイ♪」
「隊長!?」
美羽は去って行ったようだ。
ゴンゴンとアベッチがどうしたのかはわからない。
結生はため息をついた。
(お姉ちゃんって、人間関係にめぐまれないなぁ。かわいそう)
想い人は狭量で冷酷。
親友は薄情で残酷。
寧音には、人を見る目が全くないのだろうか。
好きな人や親友に、こんなにあっさり裏切られたら、辛すぎる。
寧音の立場になるくらいなら、今の自分の立場の方がましだと結生は感じた。
それが、殺される立場だとしても。
(木根先輩は、来てくれるかな? 来ちゃだめだけど……)
結生の脳内で、ヒーローのように颯爽と、バタバタいうマントをつけた文亮が登場した。「とう! バカ者どもめ。俺が退治してやる」と、ちょっとまぬけな声で言って。
結生は、ふふっと笑った。
でも、そんな能天気な想像をしていられるのは、結生は文亮が来ないと思っているからだ。
結生は不思議なほどに自分が殺されることへの恐怖を感じていなかった。
言いたいことは言った。それで逆上した犬養に殺されるなら、しようがない。
結生に後悔はなかった。
あとは、文亮がどこかで幸せに生きていてくれればいい。
結生はそう願っていた。
(先輩、どこかに隠れていてください。あと数時間たてば、犬養先輩たちはいなくなります。それまで無事でいてください)
結生はどこにいるかもわからない文亮に、心の中でそう語りかけた。




