62 人斬り
チンピラ達がペッポー君軍団相手に苦戦している間に、寧音が反撃を始めていた。
ペッポー君に手をバッドでフルスイングされた鼻ピアス男が和柄の細長い袋を手から落とし、そこに寧音がとびついた。
寧音はその袋を振り回し、襲いかかろうとしていた鼻ピアス男をけん制した。
そして、寧音が袋から日本刀を取り出した。
ぞくっと俺の背筋が震えた。
寧音の気配が変わった。
寧音が鞘から刀を抜いた。と思った次の瞬間には鼻ピアス男の手から血が噴き出した。
そのまま寧音は振り上げた刀を振り下ろし、鼻ピアス男の頸動脈を斬っていた。
「あーーーー!」
鼻ピアス男は人生最後の叫び声をあげ、数秒後、倒れた。
噴き出す血しぶきを見ながら俺は呆然とつぶやいた。
「あいつ、人を斬ってる……」
この状況じゃ、当たり前といえば当たり前だ。
だけど、寧音は非感染者の人間を平然と斬り殺していた。
相手は自分を襲おうとしていた暴漢だから、正当防衛かもしれないけど。
だけど……。
鼻ピアス男の出血を止めようとして血塗れになったモヒカン男が、叫びながら斧を振り上げ寧音に向かって、突っこんでいった。
「この野郎! よくも、モークンを!」
寧音はモヒカン男の突進を左に避け、モヒカン男の右腹を刀で突きさした。
寧音の背中側から別の男が鉄パイプで殴りかかった。
寧音は刀を抜きながら反転し、鉄パイプで殴りかかる男の腹部に横一閃、刀を走らせた。
そして、次には床にうずくまるモヒカン男の首に容赦なく刀を振り下ろし、とどめを刺した。
寧音は確実に致命傷を与えるように動いていた。
相手を戦闘不能にするのではなく、殺すことを目的に。
俺の背筋をビリビリと恐怖が電流のように流れ続けていた。
さっきまで俺は、チンピラ達のことを悪人だと思っていた。いや、今でも思っている。
だけど、人を殺すことに迷いがない寧音は、チンピラ達以上に恐ろしい。
木刀で村田と戦っていた時のあいつは、ただの剣道娘だった。
だけど、今のあいつは、違う。
あいつは、人ではない……いや、これこそが人、なのか……?
一方、蛇タトゥー男は、いまだにペッポー君とお掃除ロボットに邪魔をされて拳銃を拾えないで床にうずくまっていた。だけど、突然起き上り、床に落ちていた斧を拾って寧音に向かって投げつけた。
寧音は飛んでくる斧を避けた。
斧はそのままボウリングのレーンに向かって飛んでいってピンを全てなぎ倒していった。
「ストラーイク! すごいね!」
ボウリングのレーン近くにいたペッポー君がほめた。ペッポー君は、空気を読めない。
蛇タトゥー男は今度はバールを拾い、寧音に向かってバールを振り下ろした。
だけど、バールは空を切り、寧音の刀が蛇タトゥー男の首を貫通した。
寧音は前蹴りで蛇タトゥー男の体を向こうへ押しやり、刀を抜いた。
敗北を悟った金ネックレスの坊主男と、パンチパーマ男は逃げ出そうとした。
ずっと傍観状態で最初から逃げ腰だったパンチパーマはいち早くペッポー君をかきわけ逃げていった。だけど、金ネックレスの坊主男は、ぼーっと立っていたペッポー君と正面衝突して転びかけた。
その背中を容赦なく寧音が斬りつけた。
金ネックレス男は振り返り、寧音の方に手を伸ばし、必死に懇願した。
「許してくれ。許してくれ。別に、おまえには何もしてないだろ? 許して……」
命乞いをする金ネックレスの坊主男に、返り血で全身赤く染まった寧音が刀を振り下ろした。
血だまりの中に死体と瀕死の男達が転がっていた。
返り血で真っ赤の寧音は刀を手に、死にゆく男達を見下ろしていた。
周囲のペッポー君達まで、血しぶきを浴びて赤く染まっていた。
ペッポー君達は、停止している。
中林先生がそういう指令を出したのかもしれないけど、俺の目には、まるでペッポー君達がショックで停止しちゃったかのように見える。
俺の近くのペッポー君から中林先生の声が聞こえた。
「おまえの友達は容赦がないな。まったく。若者は殺し合う環境に順応するのが早い。長年にわたり殺人と強姦で遺伝子を残してきた現生人類のことだ。最初から遺伝子に組みこまれているのかもしれないな」
若者でひとくくりにされるのは心外だから、俺は思わず、むっとなって反論した。
「あいつや自衛兵団やチンピラ達を人類代表にしないでください。みんながみんな、あんな奴らじゃないです。ほら、俺みたいに誰も殺さない善良な……」
言いかけて、俺は自分がゾンビだということを思い出した。完全ゾンビは皆、人を殺さないし。人を殺さない善良な平和主義者は、ただのゾンビらしいゾンビなのかも。
人類代表になる自信がないので、俺は反論するのをやめて、もっと重要な問題を指摘した。
「そもそもアレは、俺の友達じゃありません。先生、俺が探してほしいと言った友達は、アレじゃないです。大いなる間違いです」
今度は中林先生が、むっとした様子で俺に言い返した。
「私が間違えるものか。おまえが友達としてあげていた二人の内の一人で間違いないだろう。身長170センチ台前半、推定年齢17歳の少女だ」
俺は先生との以前のやり取りを思い返した。
たしか、俺は先生に結生の特徴を教えた後で、寧音のことも教えた……。
それが誤解を生んだようだ。
「すみません。俺の言い方が悪かったみたいです。もう一人の方が俺の友達です。アレは友達と一緒にいるけど友達じゃない奴です。むしろ俺にとっては危険な……」
俺はそこで思い出した。
寧音にとって、俺はゾンビという敵だ。
つまり、刀を手にした寧音がいるこの状況、俺にとっては激しく危険……。
寧音がこちらを見た。
「木根か……」
バレた。俺はマルパンマンのお面をかぶっているけど、しゃべりまくっているから、当然のごとくバレてしまった。
頭から血をかぶって真っ赤に染まった寧音が鋭い目で俺を睨んでいた。
寧音は血に染まった刀を手に、ゆっくりと俺の方に歩を進めた。
(殺される……)
俺は後ずさり、ペッポー君の後ろにまわった。
でも、ペッポー君は小さいから、俺が後ろに隠れることはできない。
寧音と俺の間に壁や柱の障害物がある状態をたもたないと。
俺がそう考えながらさらに動こうとしていると、寧音が歩きながら口を開いた。
「木根。お前はゾンビは人間だと言っていたな」
「あ、ああ」
俺は後ずさりながら返事をした。寧音は歩きながら話しつづけた。
「ゾンビを殺すのは人殺しだと」
「もちろん、人殺しだ。だから……」
「だから俺を殺すな」と言いかけて、俺は気がついた。ゾンビじゃない人間すら容赦なく殺す人斬りに、「だからゾンビを殺すな」と言っても全く無意味だと。
(昨日、こいつに土下座なんてさせずに、恩を売って置けばよかったぁ!)
後悔先に立たず。今更どうしようもない。それに、命乞いが無効なことはさっき目撃している。
こういう狂気を感じる危険な相手には、三十六計逃げるにしかず。
実は剣豪だった桂小五郎だって逃げまくったんだから、剣を持ったことすらない俺は、逃げの一手に決まっている。
俺が寧音の動きにあわせて棚の周囲を移動していると、寧音は立ちどまり、ぽつりと意外なことを言った。
「お前は正しいのかもしれない」
「え?」
「ゾンビは人かもしれない。だが、私には関係ない。人であろうとなかろうと。邪魔をする者は、結生に危害を加えるものは、誰であろうと殺す」
寧音は力強く宣言した。一瞬、俺の中でふくらみかけた期待がしぼんだ。
(やっぱり殺す気満々……! この殺人鬼!)
寧音はその場で刀を振った。
そしてボウリング場のタオルで刀の血を拭うと、ゆっくりと刀を鞘に納めた。
寧音はそのまま俺のことを無視してボウリングコーナーの出入り口に向かって歩き去って行った。
(襲ってこない……?)
あまりに意外すぎて、俺は数秒間、ただ立ち尽くしていた。
寧音は、俺が結生に危害を加えない存在だと認めてくれたのか?
いや、ゾンビを斬ると返り血で感染するリスクがあるからかもしれない。
きっと、だから、今まで寧音はゾンビ相手に木刀で戦っていたんだろうし。
そこで我に返って、俺は、去って行く寧音にむかって叫んだ。
「結生は? 結生はどこにいるんだ?」
寧音は振り返りもせず、冷たく言った。
「お前に結生の場所を教えるものか」
寧音はそのまま立ち去っていた。