51 正体
廊下に出たところで、速川はふと思い出したように俺にたずねた。
「木根はこんなところで何やってたんだ?」
「俺は医療物資の調達に来たんだ」
俺はとっさにウソをついた。速川たち自衛兵団から逃げ惑っていたなんて言っちゃったら、一巻の終わりだから。
速川は即座に怪訝そうにたずねた。
「こんなゾンビだらけのところに一人で?」
たしかに、ありえない。俺は本当に嘘をつくのがへただ。
「いやぁ。大変だったー。ほんと、ゾンビから逃げるの、大変だったー」
俺は安定の棒読みで言った。ここまで棒読みが多すぎると、逆にこういうしゃべり方の奴だと思われてスルーされるかも。
そのせいかはわからないけど、速川は特に俺を疑っている様子はなかった。
病室の並ぶ長い廊下は暗い。速川の懐中電灯のか弱い光だけが辺りを照らしている。
俺は暗視ゴーグルをつけているから視界に問題はないけど、速川はよく見えていないだろう。
俺が気をつけてやらないと、どこからゾンビが出てくるかわからないこの状況で、速川が感染せずに病院から脱出するのは難しいかもしれない。
俺は廊下の様子を確認した。見える範囲には何もいない。
「よし。ゾンビはいないな」
「ここのゾンビ、隠れて襲ってきたり、投げつけてきたりするから気をつけろよ」
何も知らない速川は俺に忠告した。
もちろん、ゾンビは俺を襲わないし、襲われたってすでに感染している俺は恐れる必要がない。と、速川に言うわけにはいかないけど。
「大丈夫。俺は暗視ゴーグルでバッチリ見えているから」
それはそうと、俺は少し違和感を感じた。
(ここにはゾンビがいないのか……?)
この病院はゾンビだらけなのに。
それに、どこかから気配を感じる気がする。
速川が言うように、ゾンビ達は隠れているんだろう。
それか、おとなしく病室で寝ているのか。
どこかからか、微かにかん高い笑い声が聞こえたような気がした。
ゾンビが高い声で笑うことがあっただろうか。たぶん、俺が思い出せる限りでは、ない。
ゾンビは唸ったり、唸るように歌ったりはするけど。ニヤリと笑うことはあるけど。あんな感じに笑うのは聞いたことがない。
でも、ゾンビじゃないとしたら、なんだ?
夜の廃病院に響く笑い声……幽霊?
俺は思わず恐怖で身ぶるいをした。
いや、俺は幽霊とか信じていないんだけど。しかも幽霊に怯えているゾンビとか、滑稽なんだけど。でも、怖いものは怖い。
「不気味だ……。早く脱出しよう」
「どっちに行く?」
速川は細い懐中電灯の頼りない光で左右を照らした。
もっと強力な俺の懐中電灯を貸してやろうかとも思ったけど、たぶん、アサルトライフルと一緒に持つにはあの細さじゃないと無理なんだろう。
俺は廊下の両側を観察した。
「非常口のマークは……どっちにもあるな。どっちも距離は同じくらいか」
向かって左の廊下の端とその反対側、両側に非常出口のマークがある。
どっちに向かうにしろ、病室が並ぶ廊下を歩いて行くことになる。
病室の扉は開いていることが多い。ここからは中が見えないけど、中にゾンビがいる可能性がある。
俺だけなら何も気にせず走って行けばいい。
だけど、速川は非感染者だから近づけばゾンビが襲ってくるだろう。
そうなると、速川が銃撃して、ゾンビに犠牲者が出てしまう。それは避けたい。
「速川はここで待ってろよ。俺がドアを閉めてくる。確認が終わったら合図するから、脇目もふらず一目散に走ってこいよ。物音がしても唸り声がしても無視して」
普通のゾンビならドアを開けて出てくるまでに時間がかかるから、俺が先に行ってドアを閉めておけば、十分に速川が駆け抜ける時間が確保できるだろう。速川は結生と違って一人で走れるから、これで問題ないはずだ。
速川は驚いたように俺に聞き返した。
「木根ひとりで先に? 俺も行くよ。おまえ一人じゃ危ないだろ」
「大丈夫。俺には暗視ゴーグルがあるから」
本当のことは言えないから、暗視ゴーグルのせいにしよう。だけど、速川は意外と鋭かった。
「暗視ゴーグルがあったって、おまえ、丸腰じゃん。ゾンビに襲われたらどうするんだよ」
「大丈夫だって。暗視ゴーグルがあるから」
「暗視ゴーグルって、そんなにすごくないだろ?」
「暗視ゴーグルを信じろ」
俺が暗視ゴーグルの力を妄信しているアホみたいに聞こえるけど、本当のことは言えないし。
その時、再び速川のスマホが鳴った。
速川は首からかけていたスマホを手に取り応答した。
スマホから、黒田の声が聞こえた。
「良太、無事か?」
「順?」
「ここから撤退する。早く合流しよう。今どこにいる?」
「俺がいるのは……ここは……どこだろ……?」
速川は返事をしながら周囲を懐中電灯で探り見渡した。
速川の懐中電灯の光が、ナースステーションの傍の表示をとらえた。
「ここは小児病棟みたいだ」
ナースステーションを見ながら、俺の背筋で何かがざわついた。
(小児病棟……?)
言われてみれば、小児病棟以外のなにものでもなかった。
ベッドの上には大きなぬいぐるみがあった。廊下やナースステーションには可愛らしい飾り付けやイラストが飾ってある。ナースステーションの向こうには、プレイルームという表示もある。
だけど、何かがひっかかる。何かを忘れているような気がするけど、思い出せない。
スマホから聞こえる黒田の声が廊下に響いた。
「小児病棟か。わかった。今、そっちに向かう。待機していてくれ」
黒田の声がスマホからだけではなく、病院内のどこかからも聞こえた気がした。
黒田達はわりと近くにいるようだ。
きっと、黒田はすぐにここに来るだろう。
俺は迷った。
俺は黒田達と合流しても、ゾンビとばれずにやり過ごせるだろうか。
俺には無理な気がする。
速川はちょっと普通じゃないからうまくいったけど。
普通は「走るゾンビ」と同じ格好をしている包帯ぐるぐるミイラ男みたいな奴を見て、信用なんてしない。俺が自衛兵だったら、速攻、銃をぶっぱなす。
今のうちに逃げた方がよさそうだ。
俺はそろりそろりと、速川に気がつかれないように、廊下を移動しだした。
速川はスマホで黒田に話していた。
「じゃあ、俺達はナースステーションのところで待ってる……。あれ? 木根?」
速川に見つかってしまった。
より正確には、俺が近くにいないことが速川に見つかってしまった。俺は小声で言った。
「俺のことは、お構いなく」
「待てよ。木根。一人じゃ危ないじゃん。みんなと合流して一緒に脱出しよう」
俺は手を振った。
「俺はボッチを愛する男なんだよ。集団行動とか、無理、無理。じゃ、そういうことで」
スマホから黒田の声が聞こえた。
「良太、他に誰かいるのか?」
「うん。生存者を1名発見。うちの学校の木根だよ」
「生存者? こんなところに? そいつは本当に……」
黒田は早くも怪しんでいる。
速川のスマホから、黒田の声とは別の声が小さく、でもはっきりと聞き取れる音量で響いた。
「黒田隊長! 団長から追加連絡です。走るゾンビの正体についてです」
俺の背筋に冷たい汗が流れていった。自衛兵の報告は続いた。
「走るゾンビの正体は、3年の木根文亮……」
「木根文亮?」
黒田が聞き返すのと同時に、速川もつぶやいていた。
「走るゾンビは、木根……?」
速川の懐中電灯の光が俺を探すように廊下を動いた。




